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第81話 変貌

 沖田は双頭の異形と化した宮本武蔵と対峙していた。

 沖田は得意の天然理心流平晴眼、対する武蔵は二刀の切っ先をすぼめた下段逆八の字の構え。


 頭が二つに増えただけ――な訳がないだろう。先ほど真琴を襲った空中からの一撃は、明らかに不自然な動きだった。何か特殊な能力が身についていると考えた方がいい。そういえば、横浜でクラーケンの触手を斬ったときも空中で奇妙な軌道を描いて飛んでいたのを思い出す。


「なるほど、また鎖か」


 おそらく、鎖を何かに巻き付け、それを操って空中で軌道を変えたのだろう。だが、それは増えた頭とは関係がない。素の宮本武蔵でも可能な芸当だ。他にも何かあるに違いない。


「どうした沖田総司ッ! また逃げ出す算段でもしているのかッ!!」

「いや、さすがに今度は逃げないよ」


 沖田は暢気な口調で答えつつ、裏腹に鋭い踏み込みで一気に間合いを詰める。


(魔物の能力なんて予想したってわからない。こちらから仕掛けるしかない!)


 加州清光の切っ先が弾丸の如き勢いで伸びる。狙いは武蔵の右の喉。

 武蔵の一刀が跳ね上がる。剣を引いてやり過ごし、すかさず二段目の突き。

 さらに一刀が跳ね上がる。再び剣を引き、三段目。

 ずぶり、と肉の感触。


(えっ!?)


 呆気なく三段突きが決まったことに、一瞬だけ動揺してしまう。

 その刹那――

 沖田は咄嗟に飛び退った。

 着物の腹が十字に切り裂かれ、腹筋に赤い筋が薄っすらと走っている。

 まさしく皮一枚。もうわずかでも反応が遅れていれば、十字に裂かれた傷から臓腑がこぼれていたことだろう。


「くくく、今のを初見でかわすか。いい勘をしておるの」

「それはどうも。いい加減、化け物の相手に慣れてきてね」


 喉を貫かれた武蔵が生きていることには今更驚かない。屍人ゾンビとなった芹沢鴨もそうであった。

 注視しているのは新たに構えられた脇差し二本。

 武蔵の脇腹から生えた追加の腕がそれらを握り、沖田の腹を切り裂くべく振るわれたのだ。


「なるほどね、それで左右に大小を差してたんだ。頭が二つだから腕は四本って、安直だなあ」

「くくく、儂も同感だ。だがこの四刀流、簡単にはしのげぬぞッ!」


 今度は武蔵が間合いを詰める。

 まずは右の横薙ぎ。大小の剣閃が並行に走る。

 大きく退がってそれをかわす。

 続けざまに左の突き。縦に並んだ二点の閃光。

 大きく身を捻ってそれをかわすが、小刀が脇腹をかすめていく。

 さらに逆側から並行の袈裟斬り。

 脇差しを刀で弾き、身を反らせて大刀を避ける。


(やりにくい……!)


 四刀すべてがバラバラに動くわけではない。

 剣は腕のみで振るうものではない。身体で振るものだ。

 体軸は一本であるから、剣の動きの基本は変わらない。

 しかし、単純に攻撃範囲が広い。

 剣術とは煎じ詰めれば「いかに致命の一撃を先に与えるか」の競争だ。

 それを実現するために、最小限の動きでかわし、捌き、反撃を加える。

 だが四刀の旋風がそれを許さない。

 いちいち大きく動かなければ、避けきることができないのだ。


(それなら……っ!)


 沖田はなんとか剣風から逃れて間合いを取ると、右上段の構えを取った。

 しかし、普通の上段ではない。柄が耳にくっつくほど両腕を引き付け、刀身が垂直に天を指す。江戸の諸剣術には見られない異形の構え。


「ほう、蜻蛉か。どこで習った」


 武蔵の二面が愉しげに笑う。

 右頭の喉から胸まで真っ赤に濡れているが、もう出血が止まっている。傷口が盛り上がった桃色の肉で塞がれているのが見えた。肉はじゅくじゅくと芋虫のように蠢いている。すさまじい再生力。長期戦も不利だ。


「へえ、やっぱり知ってた? 薩摩とはやり合うことが多いからね。見様見真似だよ」


 沖田が取ったのは示現流蜻蛉の構え。

 初太刀の威力にすべてを懸ける受太刀不能の必殺剣である。

 戦国末期の剣豪、東郷重位しげかたが流祖であり、戦場で磨かれた古流剣術のひとつだ。数十年前に薩摩藩主島津斉彬なりあきらが御留流とし藩外への伝授を禁じたが、それ以前から九州の各地に広まっている。晩年を肥後で過ごした武蔵にとっては馴染み深い剣法だ。


「四刀流と初めて対してすぐにそれを思いつくとはな。やはり貴様、なかなかおもしろいのう」


 武蔵は虎の如き笑みを浮かべながら、四刀を上段八の字に重ねて構える。

 蜻蛉から放たれる初太刀の威力は身に沁みて知っている。腕が四つに増えたとて、容易く受けられるものではない。蜻蛉の初太刀は受けずにかわすのが鉄則であるが、三段突きの踏み込みの鋭さを思い出せばそれもやはり容易ではない。


「うおおおおっ!!」


 気合いとともに沖田が踏み込む。

 加州清光が颶風をまとって垂直に振り下ろされる。

 瞬きする間もない刹那。

 鐘を打つような鈍い音が響き、受けた四刀から火花が弾ける。


「ぐおおおおおおおおお!!」


 武蔵の二口が吠える。

 凄まじい圧力。

 わずかでも気を抜けば押しつぶされかねない重み。

 この細身の若侍の身体の、一体どこにこれほどの膂力が秘められているというのか。


「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 沖田がさらに吠える。

 刀を持つ手が痺れるほどの衝撃。

 わずかでも気を抜けば跳ね飛ばされ、返す刀で斬られるだろう。

 満身の力を一刀に込め、武蔵の四刀を押しつぶさんとする。

 と、一瞬だけ武蔵の身体がよろめいた。

 左足が滑り、体軸がかすかにぶれている。


(ここだっ!!)


 沖田は両腕に込めた力を抜いた。

 抗する力が突然に失われ、武蔵の四刀が浮いて上体がわずかに泳ぐ。

 蜻蛉の構えはあくまで囮。

 本命は崩してからの前蹴りだ。

 つま先を槍の如くすぼめ、武蔵の腹を貫かんと右足を蹴り出す。


「ぐあっ!」


 苦鳴が上がった。

 しかし、それは武蔵のものではない。

 体をくの字に曲げ、吹き飛ばされて宙を舞う沖田の口から洩れたものだった。

 沖田の身体が地面を転がり、二転三転して立ち上がる。

 その腹にははっきりと打撲の跡。

 口の端からは血が一筋垂れていた。


「参ったな。増えたのは頭と腕だけじゃなかったんだ」

「くくく、それはそうじゃろう。頭が二つ、腕が四本、どちらも二人分じゃ。足だけが増えぬとどうして思った」


 沖田が睨む視線の先には、二足で立ち、二足を前に伸ばした異形があった。

 二頭、四腕、四脚。

 二人の人間を重ね合わせたようなその異形こそが、今の宮本武蔵の正体であった。

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