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第80話 人面瘡

「キェェェェェエエエエエイッッ!!」


 耳をつんざく怪鳥音とともに武蔵の姿が消えた。

 否、凄まじい速度で宙に飛び上がったのだ。

 二面四眼の鋭い視線が、足下の真琴を貫いていた。


「死ねぇぇぇぇぇえええええいッッ!!」


 武蔵の身体が真琴に向かって急降下する。

 自然落下ではありえぬ角度、速度。

 常の立合いではありえぬ上空からの急襲。

 人間ではありえぬ

 あまりにも唐突、あまりにも理外、あまりにも埒外。

 真琴は指一本動かせず、その場に立ち尽くす。


 二筋の銀線が降り注いだ。

 轟音とともに土煙が巻き起こる。

 その向こうにけぶる姿は二刀を携えたる双頭の魔人。

 両刀を振るい、その剣風で土煙を吹き飛ばす。


「尋常な立合いの邪魔をするかァ……沖田総司ィ!」

「何が尋常な立合いだよ。そういうのは人間の間でだけ成り立つの。化け物とは成立しないよ」


 四眼の先には、真琴を抱きかかえた沖田がいた。


「真琴さん、アーシアの護衛を頼める?」

「護衛……?」

「ずっと抱っこしてるわけにもいかないしさ」

「こ、これは失礼した!」


 真琴は真っ赤になりながら沖田の腕から離れ、アーシアの元へ走った。アーシアは呼子をくわえて吹いている。それに応じて廃寺を囲む雑木林からも呼子の音が鳴り響いた。


「ほう、伏兵か。貴様とて尋常な立合いをする気など最初からなかったのではないか」

「人聞きが悪いなあ。人間のあんたとはちゃんと立合ったじゃないか。それに、不逞浪士の取り締まりとは話が別だ」


 沖田は加州清光を抜き、異形と化した武蔵に切っ先を向けた。

 こんな状況でなぜ落ち着いていられるのか、真琴には理解しがたい。


「マコト様、落ち着いてくだサイ。浪人たちも魔物になろうとしてイマス」


 真琴の隣ではアーシアが棒手裏剣を両手の指に挟んで構えていた。

 年下の少女に諭されたことで、真琴も多少だが冷静さを取り戻す。今はもう立合いではない。捕物に変わったのだ。浪人たちも必死で抵抗するだろう。腰の刀を抜き放ち、正眼に構えて周囲に視線を巡らす。


 先ほどまでうめき声を上げていた浪人たちが、今は静かに立ち尽くしていた。両手をだらりと垂らし、顔中の穴という穴からどす黒い血を滴らせ、青ざめた肌からは生気が感じられない。


 何よりも異様だったのはその頭部。

 額から、もう一つの頭が生えていた。薄い桃色のそれはむくんでしわくちゃで、生まれたての赤子を連想させる。それは豆腐のようにぷるぷると震えると、歯のない口をカッと開いた。


――オギャァ

 ――オギャァア

  ――オギャァアァァァアアァアアァァアアアアア


 産声。それはまさしく産屋から響く赤子の泣き声だった。

 赤子の頭は腫れぼったい目を薄く開き、赤い瞳を真琴に向けた。浪人たちの身体がびくんと跳ねた。そして糸繰り人形のようなぎこちなさでこちらに向けて一歩、二歩と歩み始める。


「な、何なのだ、あれは……」

「人面瘡の一種、寄生型の魔物のようデス。赤ちゃんの頭に見える腫瘍はおそらく感覚器官デスガ、同時に武器かもしれマセン。気をつけてくだサイ」

「何……?」


 無意識に洩らしたつぶやきに回答が与えられ、真琴は思わず聞き返してしまう。魔物、魔核、一体何の話をしているのか。


「敵は敵だ! 迷うなっ!」


 沖田の叱咤が飛び、真琴はハッと我に返った。

 あの武蔵と対峙しながらこちらにまで目を配っていたのか。この体たらくでは足手まといだ。柳生の剣士として、そんな醜態はさらせない。


「アーシア殿の護衛は拙者にお任せを!」


 改めて刀を握り直し、深呼吸をして丹田に力を溜める。

 狭まっていた視界が広がる。異形と化した浪人の数は十四人――いや、十四体か。真琴とアーシアを押し包むように進んでいる。このまま囲まれ、一斉にかかられては厄介だ。

 呼子の音は近づいている。援軍はすぐに到着するだろう。ならば――


「アーシア殿、まずは林に向かって囲みを破る。よろしいか」

「ハイっ!」


 林を背にし、援軍と合流する。アーシアを護るのであればこの一手だ。

 囲みの一角に向けて駆け出し、立ちふさがる一体に向けて袈裟懸けに斬りつける。様子見などしている暇はない。先手必勝だ。


 真琴が放った剣閃は、異形の肩口から入って鎖骨を断ち割り、肋骨を数本巻き込んで一気に斬り下げる。常人ならば即死の一撃だ。


――オギャァァァアアアァアアアアアア


 しかし、相手は常人どころか人間ですらない。

 斬られた瞬間びくりと身をひねり、腕を振り回す。とっさに身を引きかわしたが、袖口を指先がかすめて引き裂いていく。異形の手もまた異形に変じていた。獣の如き鉤爪が生え、それが袖を引き裂いたのだ。


「ちぃっ!」


 真琴は振り下ろした刀を切り返し、異形の腕を切り飛ばす。肘から先が宙を舞う。赤黒い血しぶきを撒き散らかしながら地面に落ち、五指が虫のように激しく蠢いた。

 袈裟懸けに斬られ、片腕を失ったにもかかわらず、異形は悲鳴ひとつ洩らさない。残る片腕を振り回し、真琴が刃でそれを受けると、指がちぎれてぼとぼとと落下した。


「こやつ、痛みを感じぬのか!」


 さらに一刀切りつけ、片足を腿から両断してようやく異形は地面に倒れた。しかし、そうなってもなお真琴に向けて這い進もうとしてくる。この怪物は一体どうすれば死ぬのか。


「頭デス! 赤子の頭を潰せばひとまず無力化できるハズ!」


 アーシアが投擲した棒手裏剣が、倒れた異形の人面瘡に突き立つ。


――オギャァァアアァアアアアアア


 甲高い絶叫。

 異形の身体が、活け締めにされた魚のようにびちびち跳ねた。


「なるほど、そこが弱点か!」


 真琴は身を翻して刀を横薙ぎに一閃する。

 背後から迫っていた異形の人面瘡が切り裂かれ、赤子の絶叫が再び響き渡った。

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