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第76話 約束稽古

 腹ごしらえを済ませた沖田たちは新徴組屯所へ戻っていた。

 一足先に戻っていた弥次郎に手筈を確認すると、宮本武蔵の追跡には小者が三人ほどついたらしい。たかが浪人一人に随分と手厚いことだが、十人以上の隊士が重症を負わされたのだ。新徴組の面子にかけて見失うことはあるまい。


 道場に入り、沖田は竹刀を二本手に取った。

 そして真琴に練習用の薙刀を持たせて道場の中央で向かい合う。


「口であれこれ説明するより、実際にやってみた方が早いでしょ。俺も二刀流はやらないから見様見真似だけど」


 という理屈であった。

 沖田は二刀を持つ手をだらりと垂らし、剣先をやや外側に開く。構えと言えば構えだが、単に弛緩しているようにも見える。つい先程、沖田と立ち合った武蔵が取っていた構えだ。


「ここに打ち込むとしたらどうする?」

「むう……」


 真琴は薙刀を構えたまま沖田を観察する。

 隙だらけのように見えるが、下段の攻めは難しい。脛切りにいっても左右の竹刀に容易く防がれる。突きならばどうか。しかし、突きはそもそも決まりにくい技である。自然体の相手では、左右に身をかわされて反撃を受けてしまう。

 ならば、


「上段から真っ向打ち込みます」

「やってみて。……あー、ゆっくりね。激しくやると怒られそう」


 沖田の視線の先にはジト目で睨むアーシアがいた。

 宮本武蔵との立合いは突発的なものだったため止める暇もなかったが、本来怪我人の沖田を戦わせたくなどないのだ。練習で怪我を悪化させればまた叱られてしまう。


「わかりました。行きます」


 真琴は約束稽古の要領で、下段に構えていた薙刀を上段に振り上げ、それから振り下ろす。沖田は半身になり、右の竹刀で薙刀の柄をなぞって逸らす。薙刀の穂先が虚しく床を叩き、そのうえ左の竹刀が真琴の腹を突いていた。


「むっ、これは……」

「右肩を前に出して半身になると、左の刀が体に隠れて死角になる。そこからぶすり……ってわけだね。結構厄介でしょ?」

「確かに……」


 江戸に二刀流の使い手は少ない。頭では二刀に注意せねばと思うがどうしても一刀に注意が向いてしまう。二刀目が視界から隠れたならばなおさらだ。間合いも掴みづらくなる。


「とりあえず、この構えを下段八の字ってことにしよう。次はこれ、下段逆八の字ってことで」


 沖田は元の位置に戻り、今度は二刀の先端を内側にすぼめた。言った通り、竹刀は逆八の字を描いている。


「これは……上段はあからさまに通じませんね」

「うん、二刀を十字にして受けてもいいし、一刀でさばけそうならもう一刀で反撃できる。下段八の字よりは変化が少なく読みやすいけど、その代わりに堅固だ」


 下段や中段の横薙ぎは先ほどと同様に防がれやすい。一手で崩せる手はなさそうだ。


「次は上段八の字だ」


 沖田は二刀を持つ腕をそのまま上に持ち上げる。二刀を八の字に掲げた形だ。

 これならば下段が狙いやすい。

 真琴は沖田の脛に向けて薙刀を横薙ぎにする。

 沖田は振り下ろした一刀でそれを叩き落とし、もう一刀を真琴の首筋に振り下ろした。


「くっ……」


 実際に打ち込まれたわけではないのだが、思わず呻いてしまう。

 沖田の動きもゆっくりしているはずなのに、まるでかわすことが出来ないのだ。


「おそらく、二天廻厭かいえん流とやらの基本形はこの三つなんじゃないかなと思う。上段逆八の字はさすがに隙だらけだからないだろう」


 二刀流は山陰、九州、四国では使い手が多く、それらは倒幕派浪士のメッカだ。そのため沖田も京での戦いで何度か遭遇しており、経験と照らし合わせてこのように推測したのである。


「で、どんな印象だった?」

「とにかく堅い。攻める隙が見出せませぬ」

「同感。二刀流はとにかく堅い。一旦防いで後の先を取るのがたぶん基本……なんだけど」


 沖田はそこで言葉を切って、右足を前後にぷらぷらと振った。


「宮本武蔵にはこれがある」

「鎖分銅……」

「だけに限らず、他にも暗器を使うだろうね。たぶん、それがやつの基本戦術だ。二刀で守り、暗器で仕掛ける。これは本当に厄介だよ」


 言葉とは裏腹に、沖田の表情は玩具を与えられた子供のように輝いていた。その頭の中ではどうやってこれを打ち破ろうかと、幾通りもの戦い方を工夫しているのだろう。


「ではどうすれば……」

「どうすればいいと思う? 少なくとも、受けに回ったら膂力の差で押し負けるのは目に見えてるけど」

「攻めるしかありませぬ。ありませぬが……」


 真琴は思案を巡らすが、肝心の攻め手が思い浮かばない。

 どんな手を打っても返される可能性が頭に浮かんでしまうのだ。


「もしかして、無傷で必勝とか考えてる?」

「えっ、それは……」


 図星だった。

 柳生流は必勝を義務付けられた剣である。その本質は将軍を護るための剣ではない。将軍自身が己を護る剣なのである。将軍には敗北はおろか、傷つくさえ許されない。


――もっと攻めっけがないと怖さが足りない


 昨夜の試合で沖田に言われた言葉が脳裏をよぎる。

 物心ついた頃から身に染み付いた柳生流の教え。それこそが己の枷だったのではないか。

 真琴は唇を震わせながら、つぶやく。


「突き……捨て身の突きしかありませぬ」


 柳生流――に限らず、多くの剣術流派で突きは悪手と言われる。

 曰く、

 突きは攻撃が一点に定まり、回避が容易い。

 突きは直線の攻撃のため、払うことが容易い。

 突きは打ち込んだあとに身体が泳ぎ、隙が大きい。


 そしてこれは間違いではない。

 剣術における突きとは、己の身を捨ててこそ成る技なのだ。


「正解。俺も突きしかないと思う」


 しかし、目の前の若者はそれを笑顔で首肯する。


「というわけで、真琴さんにはこれを習得してもらおうと思う」


 沖田は竹刀を中段正眼に構え、それから刃筋を横に寝かせた。

 天然理心流平晴眼の構えである。

 そして――


 どんっ


 と、床が鳴った。

 沖田の身体が前のめりに伸び、一直線に竹刀が突き出されている。

 目の前で行われたはずなのに、動き出しの瞬間さえ捉えられなかった。


 試衛館の神童、沖田総司の三段突きは新選組の活躍前から江戸の剣術家たちの間で密かに噂されていた。神速のうちに行われる三連撃は、まるで三つの突きを一度に放っているように見えるという。半ば伝説めいたものであり、誇張や喧伝のたぐいだろうと思っていたのだが――


「これが、沖田総司の三段突き……」

「お、知ってたんだ。それなら話が早い。まあこれだけじゃなくてもうひとつ仕掛けを――」

「ソージ様っ!!」


 アーシアの怒声が響き渡った。


「傷が開いたらどうするんデスカ! ほら、肩を見せてくだサイっ!!」

「こ、これくらい大丈夫だよ」

「大丈夫じゃありマセンっ! 手当する身にもなってくだサイっ!!」

「ご、ごめんなさい……」


 小動物のような少女に叱りつけられて小さくなっている沖田から、先ほどの三段突きが放たれたとはとても信じられない真琴であった。

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