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第75話 お汁粉とぜんざい

「ふう、やっぱり初花はつはなのお汁粉はほっとするなあ」

「おぜんざいよりもねっとり濃くて甘いデス! ところで、おぜんざいとお汁粉は何が違うのデスカ?」

「何が違うんだろうねえ」


 日本橋を離れた沖田、アーシア、真琴、弥次郎の四人は、水天宮前の茶屋〈初花〉で温かい汁粉に舌鼓を打っていた。まだ朝五ツ(午前8時頃)を過ぎた時分である。茶漬けや握り飯を頬張っている町人たちが、朝から甘味を味わう武士の姿にちらちらと奇異の視線を向けていた。


「総司殿! あれは一体何だったのですか!」

「何って、お汁粉だと思うけど。あれ、ひょっとしてこれってぜんざいかな?」

「そうではなく! 先ほどの立合いは何だったのかと聞いているのです!」


 ひとりいきり立っているのは真琴である。沖田が勝手に頼んだぜんざいには手を付けず、端正な顔を真っ赤にして口角泡を飛ばしていた。その隣では弥次郎が居心地悪そうに茶漬けをすすっている。


「何って言われても、単なる小手調べだよ。それとも、あのまま俺が決着をつけてよかったの?」

「ぐっ、それは……」


 真琴としては林太郎を始めとする新徴組隊士のかたきを討ちたい。そして柳生流の強さも証明したいのだ。沖田が一人で倒してしまっては面目が立たない。


 一方、沖田は沖田で思惑があった。相手が真実宮本武蔵その人であるかはわからないが、坂本龍馬の腹心の一人であるのは間違いない。吉田松陰しかり、ヘンリー・ヒュースケンしかり、魔物の隠し玉には何度も煮え湯を飲まされている。もしあの場で宮本武蔵を追い詰めたとして、何が起こるかわからない。大勢の野次馬が集まるあの場で勝負を急ぐのは得策ではなかった。


 そのあたりの事情も含めて説明できれば誤魔化す必要などないのだが、魔術だの屍人ゾンビだのと話をしたところでこちらの正気を疑われるだけだ。実際に怪異を目の当たりにすれば納得もするだろうが、それを望むのは本末転倒だろう。

 というわけで、沖田は誤魔化しを重ねる。


「それに、あの場で捕らえたところで大したお咎めはないよ。林太郎さんはもちろん、新徴組の隊士たちも訴え出たりはしないだろう?」


 挑発された結果とは言え、宮本武蔵との戦いは尋常な立合いである。いくら重傷を負わされたとしても、それは織り込み済みであるべきだし、公儀に訴え出るなど恥の上塗りにしかならない。

 将軍家や柳生流への侮辱は確かに罪だが、せいぜい敲仕置たたきしおき(鞭打ち刑)がいいところだろう。むしろあの程度で重い罰を下せばかえって公儀の恥となる。

 おそらくあの男はそこまで計算づくだろう、とまで話すと、真琴はぎりぎりと歯ぎしりをした。


「くっ、なんと姑息な……」

「あいつに言わせたらそれも兵法のうちなんて言いそうだけどね」


 そして、心情としては沖田も武蔵の側に近い。

 試合ではなく生死のかかった実戦であれば、そこに手段の正邪はない。正面から剣術を競い合うだけが戦いではないのだ。沖田は己を剣術馬鹿と自称するが、その実質は武芸者や兵法者と呼ぶ方がふさわしかった。


「それで、実際に見たところどう? あいつもまだまだ本気じゃなかったみたいだけど」


 沖田の問いかけに、真琴は顔を俯けて唇を噛む。

 そして砂を吐くようにつぶやいた。


「今の拙者では、及ぶとは思いませぬ……」

「そう。頭に血が上って目が曇ってなくてよかったよ」


 一方の沖田はあっけらかんとしたものだ。

 双方と立ち会った手応えから、武蔵は地力だけでも真琴の数段上だと確信していた。これでもし真琴が彼我の力量の差を見誤っているようなら、適当に出し抜いて一人で対応を進めるつもりだったのだ。

 これならば血気に逸って暴走することはあるまいと、沖田も手札を一枚開示することにする。


「実はあの男は、ある謀り事につながっている目算が高いんだ。新選組が探索を進めてる。俺が江戸に戻ってきたのもその件にかかわってるんだ」

「というと、アーシア殿の件もか?」


 沖田は黙って頷いた。

 真琴もそれ以上言葉を紡がず、真剣な目でアーシアを見つめている。禁令を破って異人を国に招き入れての密命だ。とても小事とは思えない。

 その視線を向けられているアーシアは、のんきにむに~と餅を伸ばしてあむあむと頬張っているのだが。


「胡乱な不埒者かと思いきや、そんな大事にかかわっていたとは……。総司殿、拙者も軽挙は慎もう。何か手伝えることはあるか?」

「助かるよ。ひとまず新徴組にはあの男から目を離さず、動向を追ってほしい。ただし、深追いは厳禁だ。今のところ人死には出てないが、本来の奴らは殺しなんてなんとも思っていない」


 沖田の脳裏に浮かぶのは京での惨劇だ。

 坂本龍馬と邂逅したあの日、ディープワンにより命を奪われた町人の数は両手の指ではとても足りない。二条城での戦でも、会津藩兵にかなりの犠牲者が出た。


「承知した。弥次郎、屯所に走って人手を出すよう伝えてくれるか。お主は面が割れておる。誰か別の小者を手当てしてくれ」

「へい! 合点承知で!」


 真琴の命を受け、弥次郎が汁粉を置いて駆け出す。あれだけ目立つ男だ。慌てずとも見失う心配はないと思うが急ぐに越したことはない。


「それで、我らはこれからどうするのですか?」

「それなら決まってるでしょ」

「決まってる?」


 不思議そうな顔をする真琴に、沖田はにやりと笑みを返した。


「打倒宮本武蔵の修練。約束したからね」

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