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第54話 Afvlakken(肉叩き)

 水しぶきを上げながら無数の異形が這い回る。

 口々に「ありがとう」と呟きながら、かさかさ、じゃばじゃばと疾走する。


「うへえ、油虫ゴキブリみたいだ」

「色は白いがな」

「さすがにこれは厳しいデス……」


 三人は揃って眉をひそめた。

 これまで様々な異形と遭遇してきたが、これは生理的に受け付けないものがあったのだ。


――ありがとうっ! ありがとうっ! ありがとうっ!


 白い異形が逆さまにした鼠捕りのように飛び跳ねる。

 沖田と土方が白刃を振るい、難なくそれらを斬って落とす。

 水に落ちた異形がびちびちと身を捩らせ、すぐに動かなくなった。


「弱い……?」


 あまりに手応えがない。

 大仰に登場しておいて、これではあまりにも肩透かしだ。


「まだまだ隠し玉があんだろ。油断すんじゃねえぞ」

「もちろん」


 弱者を装い奇襲をする。それもまた兵法の基本だ。

 沖田と土方の警戒心はむしろ高まる。無理攻めは避け、アーシアを守りながら見に回った。


「……消極策。……思ったよりも頭の回る方々ですが、浅知恵ですね」

「高みから負け惜しみ言ってんじゃねえぞ! 時間稼ぎなんてやめてとっとと降りてきやがれ!」


 土方の怒鳴り声に、ヒュースケンはひゅうと口笛を吹いた。


「……正解です。……時間稼ぎ。……言ったでしょう、私の魔術には少々・・時間がかかると!」


 どくん。

 巨大な心臓が大きく脈打った。

 血管が根本から順繰りに膨れ、末端にまで多量の血液が送り込まれる。

 石造りの壁に突き刺さったその先にまで。


「まずい!」「アーシア!!」


 それはほとんど本能的な反応だった。

 土方は後方に、沖田はアーシアを掴んで前方に飛んだ。


 ずうん。


 重低音。

 それまでいた場所を、巨大な両手が数体の異形を巻き込んで押し潰していた。手は赤黒い肉と岩とレンガを混ぜ合わせたような何かで出来ており、沖田の背丈の倍は大きい。それは両側の壁から飛び出したにも関わらず、壁を崩さずそこから生えていた。


「トシさん! 無事ですかっ!」


 岩壁のような巨腕に遮られ、土方の姿は見えなくなっていた。

 巨大な腕の向こうにいるであろう土方に向けて叫ぶも、返事はない。


「ぶった切って合流する……のはさすがに無理だなあ」


 参ったな、と沖田はこめかみを掻く。

 巨木を唐竹割りにしたあの時の力があれば……という考えがよぎるが、頭を振ってそれを追い出す。分断されただけだ。追い詰められたわけではない。いや、たとえどんなに追い詰められたとしても頼るべき力でない。


「……躱しますか。……Afvlakken肉叩きの手間が省けたのですが」

「奇襲は黙ってやった方がいいよ」


 どすっと鈍い音がして、ヒュースケンの顔が不意にのけぞった。

 ゆるゆると起き直したその眉間には小柄が生えて・・・いる。

 何気なく話しながら、一切の予備動作なしで小柄を投擲していたのだ。


「……なるほど、勉強になりました。……はあ、荒事は本当に苦手だ」


 ヒュースケンはため息をつきながら小柄を引き抜き、沖田に放って返した。

 沖田は空中でそれを掴み取り、さりげなく刃を改める。

 血の一滴もついておらず、脂の曇りすら一点もない。

 それを鞘に収めつつ、


「こっちも勉強になったよ。同じ不死身でも今まで斬ってきた連中とはまた違うみたいだ」

「……屍人ゾンビのそれは本当の不死とは程遠いですからね。……魔核がある限り死なないように見えますが、時と共に肉体は朽ち、魂は摩耗する。……真っ先に鈍るのが味覚です。……はあ、美食の楽しみなくして永らえたところで何の意味があるというのか」

「なるほどね、それでわざと幽霊船に捕まって、陸じゃ死なない体になったってわけだ。ま、あんたに味がわかるようには到底見えないけど」


 ヒュースケンは肩をすくめ、鼻でため息をつく。


「……この国はChina中国の伝統を重んじるのでしょう。……三国志演義に曰く、劉備玄徳を妻の肉でもてなした漁師は百金の報奨を得ました。……清の宮中では高官がこぞって赤子の肉を買い求めると聞きます。……そうだ、この国でも罪人の肝を妙薬として売り買いしているではありませんか」

「人食いが上等な趣味とでも言いたいのか。俺は死んでもごめんだね」


 沖田はあからさまに不快な顔をしてみせた。

 そしてアーシアの顔をちらりと振り返って言う。


「あんたに限らず、アーシアに随分ご執心みたいだけど、アーシアそのものよりもアーシアが作ったべえこん・・・・の方がよほど美味いって教えといてやるよ」


 くくく、とヒュースケンの口から笑いが漏れる。


「……さすがは実際に聖女を喰らった方は言うことが違う」


 ヒュースケンの言葉に、沖田は一瞬呆気にとられ、無意識に自分の胸に手を当てる。イタカとの死闘の際、アーシアの血で濡れたところだ。あのときは確かに、得体の知れない力を取り込んでいるような感覚があった。


 それを「味」と感じていたのか。

 そう気が付き、沖田は愕然とした。言い知れぬ気持ちの悪さが胃の腑からせり上がってくる。


「く、く、く、喰らったナンテ! わたくしとソージ様はまだそんな関係じゃありマセンっ!」

「へ?」


 背中から素っ頓狂な声が聞こえて、沖田は我に返った。

 振り向けばアーシアが顔を真っ赤にしてもじもじしている。


「そそそそういうことはデスネ! きちんとその……手順を経て、けけけ結婚してからするものなんデスヨ! それに婦女子に向かってそんなことを口になさるなんて、破廉恥デス!!」


 アーシアは真っ赤になりながら、ヒュースケンに抜けてびしりと人差し指を伸ばした。

 さしものヒュースケンも濁った目をまん丸に剥き、きょとんとしている。


「う、うん。アーシア、えっとね……さっきのは言葉の綾だから気にしないでね」

「ききき気にしてなんてないデスヨ!」


 アーシアの顔の火照りが、沖田にも伝染った気がした。


「でも、おかげさまで目が覚めたよ。ごちゃごちゃ考えてるせいで後手を取った。まずはあんたをバラバラにして、それからその心臓をひん剥いてブリュインを引っ張り出すことにするよ」


 沖田は虎のような笑みが浮かべ、加州清光の切っ先をヒュースケンに向けた。


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