「おらおらおらおらっ! 神妙にしやがれいっ!!」
灯りは床に転がった松明一本。
黄色く灯る双眸を目当てに、当たるを幸いとばかりに櫂を振るっていた。
ごっ、ごっ、と硬いものが砕ける音が鳴り響くたび、黄色い光が床に転がっていく。
それはさながら稲をなぎ倒す竜巻の如く。
天然理心流では棍術も扱う。長物もお手の物だ。
「それじゃあ相手が神妙にする暇もないだろうに」
遅れて船に乗り込んだ沖田は、目を細めて暗闇に目が慣れるのを待つ。
右から風切音。鉈のような刃物が振ってくるのを手首を掴んで止める。
やけに細く、冷たい感触。
そのまま引き込み足をかけて投げ飛ばす。
「うわ、しゃれこうべ」
湿った床に転がったのは鉈を握った骸骨だった。
骨にこびりつく襤褸布は風化した衣服の名残だろう。
頭蓋骨の眼窩では、黄色い炎が弱々しく燃えている。
「ひとまずこんな感じかなあ」
沖田は骸骨の手首を捻り、関節を文字通りに外した。肉のない身体に
少し前までなら骸骨が敵などと多少は驚いていただろう。しかし、坂本龍馬に関わる一連の戦いにより、もはやこの程度では毛ほども動揺することはない。
「ちっ、思ったより手応えがねえな」
そして、それは土方も同様であった。
つまらなそうな土方に、沖田は念のため注意を呼びかける。
「油断しないでくださいよ。奥の手を隠してるかも」
言いながら、沖田の声にも緊張感はない。
刃こぼれを嫌って無手で戦っているほどだ。
常ならばこんな油断はしないのだが、どうも雰囲気がおかしい。
骸骨たちは腰が引けており、積極的な戦意を感じないのだ。
これなら無銭飲食目当てに暴れる浪士の方がよほど覇気がある。
数十体の骸骨が瞬く間に倒れ、床に黄色い双眸が積み上がっていく。
『やめろっ! やめやがれっ!!』
野太い声が頭の中に直接響いた。
日本語ではない。しかし、なぜか意味がわかる。
ウミニカエレと繰り返していたあの叫びと同質の声だった。
「なんだあ?」
土方が櫂を振るう手を止め、柄尻でどんと床板を突いた。
声の方向にいた骸骨の群れがかしゃかしゃと音を立てて左右に割れ、道を作る。
そして骸骨の群れの中から一人の男が姿を現した。
やたらに鍔が幅広い帽子を被り、くすんだ金ボタンのジャケットを羽織っている。その内側は薄汚れた白いシャツ。真っ赤なズボンにつま先が上に尖ったブーツという出で立ち。袖から見える左腕は鉤爪の義手になっている。
『おい、てめえらは海賊か! そうは見えねえが……このフライング・ダッチマン号、
蛸髭を名乗る男の顔の下半分は髭ですっかり覆われていた。
その髭は松明の炎に照らされ、てらてらと光って蠢いているかのように見えた――否、実際に蠢いていた。髭に見えたそれは吸盤のついた無数の触手だったのだ。まさしく蛸の足の如くである。
「海賊ぅ? 海賊っつったのかてめえ?」
眉間に皺を寄せた土方が蛸髭を睨みつける。こめかみには血管が浮いており、言葉には隠しもしない怒気が満ちていた。
「おうコラ、どっからどう見たら俺が海賊になんて見えるんだ。だんだら羽織に二本差し。天下の新選組副長、泣く子も黙る鬼の土方たァ俺のことよ。てめえの目は節穴か? どうせ見えてねえんなら俺がほじくってやんぞコラ!」
土方はどすどすと足音を立てて歩き、蛸髭に額をくっつけて睨みつける。この時代にそんな言葉はないが、現代人が見ればたちの悪いヤンキーにしか見えなかっただろう。
「あーあ、キレちゃった」
沖田はため息をつく。
土方ははっきり言って喧嘩っ早い。普段は鷹揚で冗談好きな明るい男だが、喧嘩を売られると思うとすぐに買ってしまう。少しは我慢をおぼえろと近藤からも注意されているのだが、彼に言わせると「売られた喧嘩を買わないのは形がよくない」のだそうだ。こうなると聞かないのはわかっているので、近頃では近藤も土方の喧嘩っ早さを諌めるのを諦めているほどだ。
『なぁにが新選組だ! 聞いたこともねえんだよ島国の田舎もんが! 人様の船にいきなり襲いかかりやがって! それが海賊じゃなきゃ一体何様だってんだ!』
そういえば、幽霊船から積極的に危害を加えられたわけではない。相手は魔物だが、その点だけを考えるとたしかに反論しにくいな、と沖田は思った。
しかし、土方の勢いは止まらない。文字通り口角泡を飛ばしてまくしたてる。
「てめえこそ何様だ! イカサマか? いや、タコ様ってか? うすっ気味悪りぃ髭しやがって! 引っこ抜いて刺身にしてやろうか!」
『船長様だバカヤロウ! 食えるもんなら食ってみやがれこの
「団子や扇子がなんだってんだ! わけわかんねことほざいてっとぶっ飛ばすぞコラァ!」
『おう、決闘なら受けて立つぜ! 甲板までついてきやがれ!』
「ンだコラァ! 逃げんじゃねえぞ!」
『甲板までついて来いっつったのが聞こえなかったのかトンマが!』
ずかずかと階段をのぼっていく蛸髭の後に続いて土方もずんずんと階段をのぼっていく。一歩ごとに踏み板が悲鳴を上げ、今にも割れそうだ。その間も二人の言い争いは途切れることがない。
二人がいなくなると、船室はしばしの静寂に包まれた。
骸骨たちは土方と蛸髭が消えた階段の先を呆然と見送っていた。
沖田は辺りを見渡して、闘争の気配がなくなったことが確認できると「ううん」と咳払いをして船腹の大穴から外に声をかけた。
「アーシア、なんかもう乘っても大丈夫そう」
「そうなんデスカ? いま伺いマスネ!」
そしてアーシアの手を引いて、土方の後を追って階段をのぼりはじめた。