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第13話 饅頭

 町娘に扮したアーシアを伴い、沖田は堀川通を北に上がっていた。

 ディープワンが現れた山名町の辺りもすっかり元の人通りを取り戻しており、商店もほとんどが営業を再開している。しかし、あの騒動で壊れた店も多く、大工の振るう金槌の音があちこちから聞こえていた。


「なんだかいい匂いがしマスネ」


 どこからともなく漂ってきた甘い香りに、アーシアが立ち止まって小鼻をぴくぴくと膨らませている。匂いの源を探すと、紅月屋という菓子屋の軒先に屋台があった。屋台の後ろでは大工たちが忙しそうにしている。どうやら店を修繕する間、臨時で屋台を開いているらしい。


「ちょっと寄ってみようか」

「ハイ!」


 探索の最中だが、慌てたところで白峯神宮が逃げるわけでもない。沖田はアーシアの手を引いて屋台の前に行く。屋台では何かをせいろで蒸しており、温かい湯気とともに濃厚な甘い香りを漂わせていた。


「何を売ってるんだい?」

「へい、こんなものを商っております」


 店番の男に話しかけると、せいろの蓋を取って中を見せてくれる。甘い湯気がむわりと立ち上り、それが晴れると「涛」の字が焼印された白いまんじゅうが姿を表した。


「酒まんじゅうというやつで。越前の名物なんどすが、お武家はんはご存知やろか?」

「いや、初めて聞くな」

「わたくしも初めてデス!」

「お故郷くにの名物でしてな。店がこないなことになっておりますさかい、簡単なもので急場を凌ごう思うたところで。あ、簡単ゆうても味には自信がありますえ。生地に甘酒を使つこうとるさかい、皮まで甘いんですわ。あんこも砂糖をたっぷり使つこうとります」

「へえ、そりゃ旨そうだ」


 ちらりとアーシアを見ると、今にもよだれを垂らさんばかりになっている。沖田も甘いものには目がない性分たちだ。


「いくらだい?」


 沖田が紙入れ財布を取り出そうとすると、


「いやいや、いけまへんいけまへん!」


 と男は慌ててそれを制した。


「新選組の沖田はんですやろ? お代は要らんさかい、好きなだけ持っていっておくれやす」

「えっ、そんなわけには……」


 芹沢の乱暴狼藉が原因で、新選組を恐れる町人は少なくない。無銭飲食は当たり前、何なら無礼があったと難癖をつけて逆に金を取っていくような始末だったのだ。芹沢の粛清後は、土方が綱紀粛正を掲げてこうした行為を堅く禁じており、沖田も当然承知している。


「いえいえ、命の恩人にろくにお礼もできず、あまつさえお代を取ったとあってはこの紅月屋一生の名折れどす。私の顔を立てると思ってどうぞ受け取っておくれやす」

「命の恩人?」


 と沖田は怪訝な顔をしたが、


「あっ、あのときの方デスネ! お怪我はもう大丈夫デスカ?」

「ああ、あのときの舞妓さんでしたか。あのときは手ぇがあかんことになったらどうしようかと目の前が真っ暗になりましたけど、おかげさんでもう痛みもあらしまへんのどす」


 アーシアの方は覚えていたらしい。どうやらディープワンの襲撃の際に助けた町人のひとりのようだった。男は包帯の巻かれた腕を見せ、手をにぎにぎとしてみせた。すっかり快方に向かっているらしい。


「沖田様にお受け取りいただけないのなら、こちらのお嬢さんに差し上げましょ」

「わあ! ありがとうございマス!」


 経木きょうぎで包まれた酒まんじゅうを、アーシアは満面の笑みで受け取る。沖田の喉がごくりと鳴るが、いまさら「やっぱりひとつくれ」とも言い出せない。金を出しても受け取ってくれそうにないし、沖田は軽く会釈をして店先を離れた。


「はあ、まったく恨むよ、芹沢さんのせいで」


 自分の分の酒まんじゅうを買い損ね、沖田は思わず愚痴をこぼす。たしか紅月屋は本来武家や公家を相手に高級菓子を商っていたはずだ。店の修理が済めばこういう駄菓子はもう扱ってくれないだろう。


 自分が行っても素直に売ってはくれないだろうから、顔の知られていなそうな隊士にお使いを頼んでしまおうか。局長近藤勇への差し入れだと言えば否というものもおるまい……そんな悪知恵まで巡らし始めたときだった。


「ソージ様、半分こしマショウ」

「えっ?」


 半分に割った酒まんじゅうを差し出され、沖田は顔が熱くなる。まるで自分がねだったようになってしまったからだ。


「い、いいって。アーシアがぜんぶ食べなよ」

「一緒に食べた方がおいしいデス!」


 なんなら口にまでねじ込んできそうな勢いに負け、沖田はしぶしぶ受け取った。


「せーの、で一緒に食べマショウ」

「ええ……」

「ホラ、せーの!」


 アーシアに促され、沖田は酒まんじゅうにかぶりつく。温かくふかふかの食感。なめらかなこしあんの舌触り。甘酒の優しい香りが鼻を抜けていく。


「美味シイ!」

「美味い!」


 二人の声が揃った。沖田は少し気恥ずかしくなるが、アーシアの屈託がない笑顔を見ているとなんだかそれも馬鹿らしくなってくる。


「ズコットみたいなお菓子かと思ったのですが、ぜんぜん違うのデスネ。甘さがとっても優しいデス!」

「ずこっと?」

「フィレンツェのお菓子デス! ふかふかのスポンジに、たっぷりのナッツやクリームが入ってるんデスヨ!」

「すぽんじ? くりぃむ?」

「ええと、スポンジというのはこのサカマンジュウの生地に似ていて――」


 アーシアの故郷の菓子について聞きながら、白峰神宮へ続く路地を進んだ。

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