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第8話 水怪

「俺は新選組一番隊組長、沖田総司だ! 助けに来た! ひとまず材木問屋に逃げ込め!」


 沖田は堀川通を縦横無尽に駆け巡って窮地の人々を助けて回っていた。行き合ったディープワンは尽く一刀で斬り伏せている。新選組だと殊更に叫ぶのは素直に言うことを聞かせるためだ。


 新選組は都で剣名と共に悪名も轟いている。本意ではないが、今は文字通り「泣く子も黙る」その威名を存分に利用する。


「女性や子ども、怪我人は店の奥へ入ってくだサイ! 元気な人は武器を作るのを手伝ってくだサイ!」


 アーシアは材木問屋の中で怪我人の手当に奔走しつつ、武器づくり・・・・・の指示をしている。武器と言っても簡単なもので、材木問屋にあった角材や薪ざっぽうに釘を打ち付けているだけだ。


「よっしゃあ! こいつが具合がいいぜ! バカスカ殴れらぁ!」

「さっきはよくもやってくれたなこの野郎!」

「おおっと、前に出すぎるなよ! オイラたちの仕事は女子供を守ることだ!」


 材木問屋の入口でディープワンに対抗しているのは通りで戦っていた浪人ややくざ者たちだ。十人あまりの者たちが、釘角材を手にディープワンを殴りつけている。先ほど沖田が助けたやくざ者はちゃっかり大将気取りで陣頭指揮を振るっていた。


 沖田の籠城策は見事に功を奏していた。

 戦える男たちが材木問屋の入口を固め、ディープワンを食い止める。店の中では女や子どもたちが急ごしらえの武器を作り、男たちに渡す。釘付きの角材は鱗に引っかかり、粘液で滑ることがなく、剣術不十分な者たちが扱っても十分な威力を発揮していた。


「ひとまず、目に見える範囲は助けてきたよ」


 材木問屋を囲むディープワンを二体、三体と斬り伏せ、沖田は材木問屋へと戻ってきた。両手の指に余る異形を斬り伏せて来たにも関わらず、一滴の返り血もついていない。抜き身の刀を提げていなければ、散歩帰りと言っても通じるだろう。


「お疲れ様デシタ。お水、要りマスカ?」

「ありがとう。あ、でもその前に」


 沖田は懐に手を入れると、一匹の三毛猫を取り出し、避難していた老女の前にそっと下ろしてやる。三毛猫はよたよたと老女に歩み寄ると、抱きかかえられて「みゃあ」と満足げに鳴いた。

 老女は猫を抱いたまま、膝を揃えて床板に手をつく。


「ああ、ミケ、無事でよかった。お武家様、ほんにおおきに。この子は足が悪うって」

「身体が悪くなっても面倒を見てもらえるなんて、お前は愛されてるんだなあ」


 沖田はにこやかに笑って猫の頭を撫でると、ようやくアーシアが差し出した柄杓の水を受け取って一息に飲み干した。

 ぷはあと息をつき、そして避難している人々に声を掛ける。


「家族や知り合いはみんな揃ってますか? 家に残した人は? いる方は申し出てください。俺が助けてきます」


 助けに行きます、ではなく、助けてきます、だ。

 沖田の自信に溢れた言いざまに、避難者たちは勇気づけられる。言葉のためだけではない。この新選組の青年は短い時間に何度もこれを繰り返し、実際に何人も助けてきたのだ。この青年がいるのなら、自分たちは助かるのだと心から信じられた。


 沖田は店内を見回すが、もう声を上げるものはいない。あらかた救助は済んだようだ。


「よし、それならもう一踏ん張りしてくるか」

「ああ、ちょぉ待っとぉくれやす」


 再び外に出ようとする沖田を老女が呼び止める。

 そして沖田の背に近寄ると、かちかちと火打ち石を打って火花を散らした。


「何をされてるんデスカ?」


 アーシアが老女の所作を尋ねる。


「なんや若い人は知らへんのどすか。こら切り火ゆうて、武運を祈るものなんどすえ。お嬢はんもやってみなはれ」

「はい! やってみマス!」


 アーシアが老女から火打ち石を受け取り、沖田の背中にかちかちと火花を散らした。

 沖田の胸に、ぽっと火が灯ったような温かい感触が広がった。


「ありがとう。それじゃ行ってくるよ」

「はい! お気をつけテ!」


 表では男たちが急造の武器でよく持ちこたえている。

 ディープワンを斃せてこそいないものの、手傷は与えており、動きの鈍った個体もちらほら見受けられる。個々の戦いでは終始されていた男たちだが、集団として戦うことで十分以上に対抗できていた。


 沖田は敵が手薄なところを見極め、一刀で二体のディープワンを斬り伏せて囲みを抜ける。先程まではそのまま逃げ遅れた人々の救出に向かっていたが、もう必要がない。材木屋に群がるディープワンたちを次々に斬りつける。


 いかに異形の怪物と言えど、正面と背後から同時に攻められては冷静でいられないようだ。振り向きざまに振った尻尾で味方を打ったり、後ろ沖田に向かおうとしてぶつかり合ったりと混乱が広がる。


「押せ押せ! このまま一気に押しつぶすぞ!」

「おうっ!!」


 沖田はさらなる混乱を狙って大声を張り上げる。男たちも発奮し、力を振り絞って前に出る。一体、また一体と打ち倒し、数十体もいたディープワンもいまや両手の指で数えられるほどまで減っていた。


「おお、おお、こりゃこじゃんとごっついのう!」


 頭上から何者かの声がした。

 ちらと視線を向けると、火の見櫓の屋根にバンジョーを抱えた男が腰掛けていた。傍らには洋装に眼鏡の男、以蔵が立っている。


「逃げ遅れたのか!? 早く降りて材木問屋に入れ!」


 沖田が叫ぶと、男は呵々かかと大笑いする。


「なんも遅れとりゃせんぜよ。おまはんが噂に名高い沖田総司じゃったんか。剣も一流、兵を率いても一流。まっこと大した男ぜよ!」

「いいから早く逃げろ!」


 沖田は苛立ちながら敵を斬り伏せる。

 もう一息で決着がつきそうだとはいえ、相手は未知の怪物だ。最後まで気は抜けない。


「どいて逃げゆう必要があるがか。本番はこれからじゃちゅうに!」


 男はバンジョーをかき鳴らし、高らかに歌い始める。

 奏でる旋律はつい一刻前に聴いた軽快なウェスタン。

 しかし、旋律に乗る歌声は先程とはまるで違っていた。

 地下深くの暗黒の淵から泥水が湧き上がるような、湿り気を帯びた粘つく歌声。

 本当に言語であるのかすら定かでない、意味不明にもかかわらず本能が理解を拒絶する正気を蝕む冒涜的な歌詞。


 沖田にはそれらが人間の喉から発せされているとはとても信じられなかった。


 肌がべたつくほどに濃い潮香しおかが漂う。

 生温い風が吹き、腐乱した魚の悪臭が鼻を突く。

 大路の中央を貫く堀川が逆流し、泡立つ波が押し寄せる。


 歌声がさらに大きくなる。

 否、歌声が増えている。

 堀川の波が破れ、新手のディープワンが飛沫しぶきを上げて次々に飛び出す。

 その数は十や二十ではない。ざっと数えるだけでも百余りの怪物の群れが現出した。


「まさか……あんたがこれを仕掛けたのか!」


 沖田は新手に剣を向けつつ、屋根の上の男に向かって叫ぶ。


「ははは! 今更何を言いちゅう! わしを誰だと思うちょるがか!」

「社長、おそらく自己紹介はまだだったかと」


 以蔵の淡々とした言葉に、男は目を丸くし、そしてまた呵々と笑った。


「すまんすまん、忘れちょったわ。わしは坂本龍馬、この日本を洗濯し、夜明けに導く男ぜよ!」


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