目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第7話 舞妓

「よう越さはりマシタ。おいでヤス」

「えっ、どなたですか?」


 菱屋に戻った沖田を出迎えたのは、見るもあでやかな舞妓まいこだった。

 割れしのぶに結った黒髪は桔梗ききょうの花かんざしで彩られ、萌黄もえぎ地に大輪の牡丹を散らした振り袖を、金糸の刺繍があしらわれた帯で結んでいる。白魚のような指を帯の前で揃え、楚々とした様子でにっこりと微笑んでいた。


「わたくしがわかりませんカ? いけず・・・どすナア」

「す、すみません。本当におぼえてなくて……」


 沖田の頬を冷や汗が伝う。付き合いの多い近藤や、それなりに遊ぶ土方とは違い、沖田は島原や祇園に足を伸ばしたことはほとんどない。数少ない機会も隊士の慰労などで、それもほどほどに付き合ったら帰ってしまうのだ。そのわずかな記憶を必死で探るが、まったく心当たりが見つからない。


 沖田が焦っていると、菱屋の女中たちが口元を押さえて肩を震わせている。どういうことかと改めて舞妓の顔を見て、ようやく青い瞳に気がついた。


「もしかして、アーシアさん?」

「わあ! やっとわかってくれマシタカ! でも、変装は完璧ってことデスネ!」

「いやいやいや、それじゃ駄目でしょ!?」

「えっ、なぜデスカ?」


 目を丸くするアーシアに、沖田は眉間を揉む。いくら異人とわからなくなっても、舞妓の姿ではさすがに目立ちすぎるのだ。しかし、異人のアーシアに日本の常識などわかるまいし、舞妓の格好も当然アーシアの望みではあるまい。


 沖田は目を三角にして女中たちに言った。


「一体誰の悪戯ですか?」

「お人形さんみたいであんまり可愛らしいから、ついつい」

「出来心どすなあ」

「出来心って……」


 と、ため息をつきかける沖田に、


「ご心配なさらずとも、ちゃんと普通の町娘に見える着物べべもかつらもご用意してますさかい」

「沖田はんが悪いんどすえ。こんな可愛らしい子ほっぽってどこぞ出かけてしまいよるから、時間が余ってこんな遊びをしてたんどす」


 女中たちから口々に言われて沖田はバツが悪くなる。

 あの妙な男と過ごして時間を忘れてしまったのは確かだった。


「目の色だけはごまかしようがあらしまへんから、お気ぃ付けておくれやす」

「ええ、わかりました」

「それで、綺麗どすなぁ? 女がめかしこんだら褒めてやるのが男の甲斐性どすえ」

「えっ!?」


 思いがけない方向に話を振られ、沖田の頬が熱くなる。


「これは綺麗じゃないデスカ? わたくしはとっても綺麗だと思いマス!」


 そんな沖田の動揺を知ってか知らずか、アーシアが袖を振ってくるりと回る。

 香を焚き込んでいたのか、甘い香りがふわりと漂い、沖田の小鼻がぴくりと膨らんだ。


「アレ? おかしな香りがしますネ」

「えっ!? いや、別に変な匂いなんかは……」


 アーシアがずいと近づき、沖田の胸元でクンクンと鼻を鳴らす。

 甘い香りが濃くなり、沖田は心臓が跳ね上がって口から吐き出しそうだった。

 しかし、沖田を見上げるアーシアの瞳は真剣だった。


「魔の残り香がシマス」

「魔の残り香?」

「魔術の……ネクロノミコンの残滓ざんしデス!」


 なぜそんなものが自分に。

 唐突な言葉に、沖田が聞き返そうとしたときだった。


――カンカンカンカンカン!――


 半鐘はんしょうを乱れ打つ激しい音が響き渡った。

 すわ何事かと沖田は菱屋から飛び出す。


「たっ、助けてくれぇ!」

「化け物っ! 化け物が出たぞ!」

「うえーん! おかあちゃーん!」


 悲鳴。悲鳴。悲鳴。

 堀川通は阿鼻叫喚のちまたと化していた。

 幾十もの異形の群れが堀川通を行く人々に襲いかかっていたのだ。


 魚と蛙を混ぜ合わせたような頭。ぬらぬらと粘液にまみれた皮膚は青黒く、細かな鱗に覆われている。鯰に似た太い尾を振り回し、両腕の鋭い鉤爪で幾人もの人々を切り裂いている。


「なんだ、この化け物は!?」

「これは深き者共……ディープワン!」


 沖田にわずかに遅れたアーシアが怪物の正体を看過する。


「海の邪神墮渾ダゴンの眷属デス! 屍人と違って不死身ではありませんが、硬い鱗と粘液で刃物が通じマセン! 聖騎士団の剣でも斬れなかった怪物デス!」


 見れば、人々は皆が皆逃げ惑うばかりではなかった。一部の浪人ややくざ者が刀を抜いてディープワンに立ち向かっている。しかし、斬りつけても斬りつけても傷を与えられず、逆に長い腕の反撃を受けて傷を負っていた。


「っきしょう! まるで斬れねえじゃねえか!」


 やくざ者のひとりが材木問屋の前で長ドスを振り回し、ディープワンと対峙していた。太刀筋はめちゃくちゃだが度胸だけはあるのか、踏み込みはしっかりしている。振るった長ドスも何度もディープワンに命中しているが、表面で滑って傷を与えられていない。


 一方、やくざ者の方はすでに傷だらけだ。深手はないようだがあちこちに傷を作り、綿入れが血で濡れている。


「おじちゃん、怖いよう!」

「安心しろい! こんな鮟鱇あんこうのバケモンはオイラがぶった切ってやるからよ!」


 よく見るとやくざ者の後ろには幼児がひとり庇われていた。しゃがんで泣きべそをかきながら、やくざ者の背中をすがるように見つめている。


「アーシアさん、俺から離れないで」

「えっ? は、はい!」


 沖田は駆けながら抜刀し、やくざ者とディープワンの間に割って入った。


「格好つけてるところ悪いけど、助太刀させてもらうよ」

「間に合ってるよ。って言いてえとこだが助かるぜ。だがお侍さん、こいつに刀は効かねえ――」


 やくざ者が言い終わる前に、沖田は鋭い掛け声とともに刀を振り下ろしていた。

 剣閃はディープワンを袈裟懸けに両断。ディープワンの上半身がずるりと斜めに滑り、どさりと落ちて地面を青黒い血で汚した。


 沖田はびゅんと血振りをし、愛刀加州清光の刃を改める。


「うん、確かにちょっと斬りにくいかな」

「ちょ、ちょっとってあんた……」

「聖騎士団でも斬れなかったのデスガ……」


 あまりの剣術の冴えに、やくざ者とアーシアの口が揃ってぽかんと開く。


「呆けてる暇はないよ。ここなら籠城にちょうど良さそうだ。手伝ってくれ」


 沖田が作戦を手短に話すと、二人は真剣な面持ちで頷いた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?