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第2話 芹沢

「このたびは危ないところをありがとございマシタ」

「う、うん……」


 手足を縛っていた糸を切ると、尼はぺこりと頭を下げた。

 沖田が異人に会うのは初めてだ。金色の髪がさらさらと夜風に吹かれるのを思わずじっと見つめてしまう。異人ゆえに顔立ちはくっきりしているが、肌は白くつややかで声も高く、大人という感じがしない。自分よりも五つ下として、十四五歳なのではと当たりをつける。


「ああ、失礼しまシタ。この国では、女が髪をさらすのははしたないことでしタッケ?」

「いや、そんなことはないんだけど……」


 沖田にはどうするべきかわからない。異人が勝手に市中に入ってはいけないことぐらいは知っている。しかし、実際に市中で出会ったらどうすればよいのかまでは聞いたこともない。


 攘夷を唱える過激な浪士ならば斬り捨てるかもしれないが、そうした狼藉がきっかけで薩摩藩と英国が戦争を起こしたのはほんの数ヶ月前のことだ。結果は薩摩の惨敗。甚大な被害をこうむったうえに、多額の賠償金まで支払う羽目になったと聞いている。


 そしてもちろん、沖田にこの少女を斬ろうなどというつもりは毛頭ない。

 沖田はそういう政治には興味がないし、たとえ異人だろうが女子供を斬るのは武士として恥だと思っている。何より、ついさっき自分の手で助けた命なのだ。到底無碍に扱えるものではない。


「わたくしはアーシア。アーシア・ローレンと申しマス。改めてありがとうございまシタ」

「えっ? あ、うん。僕……お、俺は沖田総司だ」


 慌てたことで、「僕」という言葉がうっかり出てしまう。

 童顔のせいでしばしば子供と間違われるため、最近は土方に倣って自分を指すときは俺と言うようにしているのだが、動揺するとついつい素になってしまうのだ。


「ソージ様ですね! ソージ様に願いがありマス! わたくしをヨシノブ様のところまで連れて行ってくだサイ!」

「ええっ!?」


 アーシアと名乗った少女が改めて深々と頭を下げた。

 しかし、突然そんなことを言われても困る。異人の頼みをおいそれと聞けるわけもなく、ヨシノブと言われても誰のことだかわからない。


 沖田は「ううん」と曖昧に唸りながら、人差し指でこめかみを掻く。

 どうせ死体の片付けを頼まなければならないし、ひとまず番所へ連れて行くか……いや、番所の役人程度ではやはり対処に困るだろう。奉行所でも同じだろうし、所司代は沖田の身分で気軽に尋ねられる場所ではない。


 そうなるとやはり、


「ひとまず、着いて来てくれるかな?」


 新鮮組の屯所に帰ろうとなる。近藤や土方、知恵者の山南敬介に相談すれば適切な対応を考えてくれるだろう。要するに、丸投げだ。


(芹沢さんが死んで忙しいところに悪いけど、これはさすがに僕の手に余る)


 沖田は心のなかで近藤と土方に詫びる。

 そして、アーシアの手を引こうとした瞬間だった。


――轟吽ごうん!!――


 轟音とともにすぐ脇のなまこ壁が炸裂した。

 沖田は咄嗟にアーシアを押し倒し、爆風と破片からかばう。


 もうもうと立ち込める土煙の向こうから、男二人の話し声が聞こえてきた。


「がーはっはっ! 見事な威力だ。どうだ、当たったか?」

「ちょっと、芹沢さん。異人は生け捕りにしろって指図ですよ」

「なぜワシがあんな田舎者の命令を聞かねばならん。やつには生き返してもらった恩はあるが、だからと言って主従の契りを結んだわけではないわ」

「それはそうですけどね……」

「だいたい、人斬り新兵衛とか言ったか? ワシの手助けはいらんなどとほざいて、あっさり失敗しおったではないか。あんな者を重宝している時点でワシが仕えるに値せぬ愚物ということよ」


 そして沖田には、その声に聞き覚えがあった。

 目を凝らし、男たちの姿が見えると疑念が確信に変わった。


「芹沢さん!?」


 身の丈六尺七寸約2メートル。服の上からでもわかる筋骨隆々たる体躯。何者も見下すような傲岸な顔つき。右手であおぐ『尽忠報国』と刻まれた鉄扇。それは沖田の記憶にある芹沢鴨と寸分の違いもなかった。


「その声は……おお、総司。総司じゃないか」


 芹沢の凶相がニィと嗤う。よく見れば、その顔は縫い跡も生々しい傷がいくつも走り、まるで継ぎ接ぎしたようだった。何より異様なのはその左腕だ。肘から先が黒光りする金属の筒に変わっている。


 芹沢は、その左腕を沖田に向けた。


 その砲口・・からは白い煙が立ち上っている。それを見て、沖田は芹沢の左腕にあるものが大筒であり、先程の爆発の正体も芹沢が放った砲弾だったのだと理解した。


「この距離なら外すまい。大人しく異人を渡せ、総司。それとも異人と心中するか?」

「だから芹沢さん、殺しちゃマズイんですって。坂本さんからも堅く言われてるじゃないっすか」

新見しんみィ、この芹沢鴨に意見するか!」

「ひいっ、勘弁してください! 何でもないっす!」


 芹沢の隣に立つ小男がぴょこぴょこと後ずさった。

 ひどい猫背で、芹沢と並ぶと半分ほどにしか見えない。新見しんみにしき、芹沢の腰巾着だった男だ。芹沢の威光を笠に着て無法を繰り返す卑怯者で、沖田からすると芹沢以上に嫌悪の対象だった。新見が隊規違反で詰め腹を切らされたのは芹沢粛清の数日前のことだ。


 つまり、沖田の前に現れたのは死人二人だった。

 わけがわからない状況に内心で戸惑いつつも、沖田は刀を抜いて平晴眼に構える。


「芹沢さん、化けて出るには随分気が早いんじゃないですか? お盆はまだまだ先ですよ」

「がーはっはっ! 相変わらず冗談ばかり言いよるわ。だが、ワシは化けて出たわけではない。ほれ、この通り足も2本とも揃っておるぞ」


 芹沢は右手に持った鉄扇で自分の足をぺしぺしと叩く。


「腕は1本変なことになってるみたいですけどね」

「んん? こいつか?」


 芹沢は大筒と化した左腕を持ち上げ、顔の前まで寄せるとちゅっと口づけをした。


「死体を接いだがいいが、左腕は滅茶苦茶でどうにもならなかったそうでのう。代わりに付いたのがこれだ」

「ああ、芹沢さんは随分無様にされましたからね。同衾していた女まで盾にして逃げ回るから手こずりましたよ」

「貴様ァ……!」


 芹沢の顔が赤黒く変色し、額に血管が浮き上がる。

 芹沢が怒ったときの特徴だ。沖田は「蛸入道みたいだな」と思っていた。


「無様もクソも、卑怯にも寝込みを襲ったのは貴様らではないか、総司ィ!」


 芹沢の怒声と共に、大筒が再び火を吹いた。

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