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新選組討魔録
瘴気領域
歴史・時代江戸・幕末
2024年09月01日
公開日
33,628文字
連載中
【新選組xクトゥルフ神話】
 幕末。京の都は倒幕を謳う不逞浪士のみならず、魑魅魍魎の跋扈する魔境と化す。
 ある晩、沖田総司は蜘蛛のような怪人に襲われていた尼僧を救う。しかし、その尼僧は金髪の異人だった。
 少女はヴァチカンから来た聖女を名乗る。教会の禁書庫から魔書<ネクロノミコン>を奪った坂本龍馬なる男を追って日本に来たという。禁書には恐るべき力が秘められており、悪用されれば日本はおろか世界が滅びかねないと言うのだ。
 鎖国の禁を破って少女を招いた一橋慶喜(後の徳川慶喜)の命により、沖田は<ネクロノミコン>を奪還するため、異人の少女とともに坂本龍馬と彼が率いる魔物の軍団<廻厭隊(かいえんたい)>との壮絶な戦いに身を投じるのだった。

第1話 邂逅

 文久3年、霜月11月も末の風が冷たい夜だった。

 沖田総司は白い息を吐きながら小路を歩いていた。浅葱地を白く山形に染め抜いたダンダラ羽織は新選組の隊服だ。片手に提灯、もう片手は袖に引っ込めて寒さを凌ぐ。京の冬はこれが初めてだ。冷える冷えると聞いてはいたが、江戸の身を切るようなカラリとした寒さに比べ、こちらは深々と身にしみるような冷たさがある。こんこんと二三回空咳をして、ぶるりと身を震わせた。


「はあ、せっかくぜんざいで温まったのにもうこれだ。もっとおかわりしておけばよかったな」


 清水寺の参道にある評判の甘味屋でぜんざいを味わった帰りだ。会津藩から給金が出たばかりで、非番の隊士たちはそれぞれに遊びに出かけているが、沖田の甘味趣味には誰も付き合ってくれず一人だった。


「若先生もトシさんも忙しいからなあ」


 若先生とは新選組局長近藤勇のことだ。将棋の駒のような四角い顔で性格も定規で引いたように生真面目。細面でどこかふざけたところのある沖田とは真逆の性格だが、食べ物の趣味はなぜか一致する。トシさんは副長の土方歳三のことで、近頃は慣れない書類仕事に忙殺されている。いずれも江戸の試衛館出身で、最年少の沖田は弟のように可愛がられていた。


 近藤と土方がことさらに忙しいのにはわけがある。

 つい二月ばかり前に前局長である芹沢鴨を粛清したからだ。近藤は新選組の名実ともにトップに、土方はその右腕となったために仕事の量が格段に増えている。


 木枯らしがびゅうと吹いた。沖田は首をすくめ、両手に息を吹きかけて温める。単純に寒さしのぎの意味もあるが、いざというとき十全に刀を扱うための備えでもある。見た目は人懐っこい若者である沖田だが、剣士としての心構えは身体の芯まで染み付いていた。


「剣の音?」


 その沖田の耳に、木枯らしに乘って金属のぶつかり合う甲高い音が届いた。刀の鯉口を切り、即座に駆け出す。いくつか角を曲がって大路に出ると、そこには数名の男たちが刀を抜いて対峙していた。


 一方は黒尽くめの武士の集団。駕籠を囲んで守るように立っている。数は三人。抜き身の刀を油断なく構えている。いずれの藩の者か、服装や構えからは判断がつかない。駕籠かきの人足は逃げ出したのか姿が見えなかった。


 一方は虚無僧。ゆったりした袈裟に深編笠を被って顔は見えない。その足元には黒尽くめの武士が二人、鮮血にまみれて息絶えていた。しかし、虚無僧の手に得物はない。どうやって仕留めたのだろうと沖田は訝しんだ。


「大人しく駕籠の御仁を渡せ。お主らも命は惜しかろう」


 虚無僧が声を発した。枯れ草を揺らすような、ガサガサと乾いた声だった。


「ふざけるな。この御方を無事にお届けするのが我らが主命。命に代えても必ず果たす」

「くくく、よかろう。貴様らなどどうせ日本の夜明けにふさわしくない俗物よ。一足先に拙者が洗濯してやろう」

「ぬかせ!」


 三人の武士が虚無僧に斬りかかるのを、沖田は黙って見物していた。京に集まる浪士たちはそれぞれが微妙に主義主張が食い違い、刃傷沙汰も珍しくない。京の治安を預かる新選組にとって、浪士同士のいざこざなど歓迎こそすれ止める義理などないのである。


「ぐうっ」


 勝負は一瞬でついた。殺到する白刃を虚無僧がぬるりと掻い潜ったと思えば、次の瞬間、武士たちは血しぶきを上げていた。


「お、お逃げください!」


 武士の一人が口から血泡をこぼしながら、虚無僧の裾にしがみついた。


「ほう、一丁前に意地だけはあるようだ」


 虚無僧がさっと手を振ると、どういう仕掛けか武士の腕が肘から切り落とされて地面に転がる。

 と、同時に駕籠から人影が飛び出した。あまだろうか。白い頭巾をかぶり、白くゆったりした衣服をまとっている。


「逃がさんぞ。贄の聖女よ」

「きゃっ!?」


 虚無僧が手を伸ばすと、尼僧にそうは不自然に足をもつれさせて転んだ。短い女の悲鳴が上がり、白い着物が土に汚れる。


「これで日本の夜明けもまた一歩近づこう。同志もきっとお喜びになる」

「あー、ちょっと待ってね。そこまでそこまで」

「何だ、貴様は?」


 そこに至って、沖田は大路に歩み出た。


「俺は新選組の沖田総司だ。さすがに女の人を攫うところは見過ごせないよ」

「新選組? ああ、壬生の狼……いや、幕府の犬か。邪魔立てするなら貴様も洗濯してくれよう」

「洗濯って、俺は手拭いでも褌でもないんだけど」

「ぬかせっ!」


 虚無僧が手を振るう。沖田はさっと抜き打ち、虚空を斬った。白銀の糸のようなものが、月光を反射しながらきらきらと宙を漂う。


「鋭く研いだ鉄線かな? 面白い仕掛けだけど、ネタが割れれば案外単純な手妻だね」

「なっ、どうやって見破った!?」

「どうやっても何も、何度も披露されたら誰でもわかるでしょ」


 虚無僧の糸は髪の毛よりもなお細い。いかに今宵が月夜とは言え、夜暗ではいくら目を凝らしたところで見えるものではない。


「なるほど、沖田総司。そういえば聞いた覚えがあるぞ。新選組でも随一の使い手だと噂だったな」

「一番だなんて照れちゃうな。まあ、そうなるつもりで稽古はしてるけど。で、かなわないと思ったんなら降参してくれないかな? 一応、斬るよりは捕まえるのがうちの方針なんだけど」


 沖田は切っ先をやや寝かせた晴眼に構え、降伏を促す。沖田がもっとも得意とする天然理心流の平晴眼の構えだ。


「たわけたことを! 技の正体がわかったとて、四方八方から襲い来る我が妖糸は躱せまい!」

「あー、やっぱり素直に降参はしてくれないよね」

「ごぼっ!?」


 虚無僧が両腕を広げた刹那、沖田の身体はすでに飛び出していた。その手から放たれた突きは、虚無僧の喉、胸、目をほとんど同時に貫いていた。


「お……見事……」

「それはどうも。天然理心流は強かったとあの世でも広めてくれるとうれしいな」


 沖田が刀を引き抜くと、力を失った虚無僧の身体が地面にくずおれる。深編笠が外れ、あらわになった面相に沖田が「うげえ」と声を漏らした。


「なんだよこいつ。バケモノみたいな顔だな」


 虚無僧の目玉は黒い正円でまぶたがなく、口は縦に裂けて乱ぐい歯が覗いていた。例えるならば蜘蛛男か。沖田も見世物小屋で鱗を持つ蛇女やら単眼の小人やらを見たことがあるが、それとはまた異なる、名状しがたい悍ましい気配を漂わせていた。


「お助け……お助けクダサイ……」

「あっ、ごめんごめん。今行くよ」


 か細い女の声に、沖田はようやく尼僧のことを思い出した。もぞもぞと地面を這っているのは、先ほどの糸で手足を絡め取られたためだろう。下手人は殺してしまったが、こちらの女から事情を聞けばよいと沖田は開き直る。

 しかし、沖田の開き直りはほんのわずかも続かなかった。


「き、金色の髪? もしかして、異人……?」


 尼の頭巾がはだけ、絹糸のような金髪がこぼれ出たからである。

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