石段を下りきって、寒空の下拠点となり得る村を目指して歩くユウタ達一行。ユウタは明らかに苛立っていた。顔をしかめたまま歩くユウタに、ネージュは優しく語り掛ける。
「ユウタさん、あまり気を落とさないで……」
「そうはいっても、今回僕たちは完全な負け戦だ。ハルピュイアは取られてしまったし……柱だって探せなかった。あいつらは……」
確実に強くなっている、そう言いかけて、悔しいのかユウタは口を噤む。
「……そうですわね、けれどわたくしたちにはまだ勝機がありますわ」
あの魔族と人間がどれほど強くなっていようと、彼らは決してこちらの命までは奪おうとしない。
「彼らとの小競り合いはもうおしまい、……わたくしどもも強くなっておりますもの、もう、魔王へ挑んでも良いころでは」
「ネージュ……?」
ちらちらと雪が降る中、ユウタはネージュの発言に足を止める。
「……驚いたな、慎重だと思っていた君がそんな提案をするなんて……」
「気づいていらっしゃいますか? こうして行軍している間にも、魔物が出てくる回数が減っていること……」
言われて、ユウタはハッとする。そうだ、ここへ来るまで……アルシオン男爵家を発ってから、一度も魔物と遭遇していない。ここ何週間かは、とんと魔物を見ていないのだ。
「僕たちの戦いが実を結んでいる……?」
そう呟いたユウタに、ネージュは深く頷いて微笑んだ。
「そう思いますわ。きっと、ユウタさんの地道な討伐活動が実を結び、そして魔族が力を落として……きっと魔王の力も落ちてしまっているからこそ、新たな魔物がはびこることもなくなったのでしょう」
ね、ロベリアさん。と、ネージュはロベリアにも同意を求める。
「……そうだと、いいのだけれど」
「聡明なネージュが言うんだ、そうさきっと!」
セルジュは心の中でほくそ笑む。
聡明? お前が単純なだけだろ。
その思いは、おくびにも出さない。
完璧な『ネージュ』の微笑みで恥じらって見せる。
「聡明だなんて……そんなことはございませんわ」
「いや、ネージュのその慧眼には頭が下がるよ。……そうとなれば攻め時だな」
その判断になるだろうと踏んで煽ったのが効いた。すっかりユウタは乗り気だ。
「ええ、ロベリアさんのお疲れが癒えましたら、王都からどなたか派遣頂いて魔王城へ乗り込みましょう」
ロベリアは少し不安げにだが、頷く。それが、上位の爵位を叙爵して家名を高めるためならば……。
――魔王の力が弱っているという事実はない。でたらめを吐いたネージュは知る由もなかったが、魔族との遭遇率が下がっているのは、そのようにするために動いている者がいるからだった。
暴れている魔物が減っているのは、一つは自我を失って狂いきって滅んでいったか、そうなる前に有志達により討伐されたかだ。もう一つは、そもそも『暴れるような状況に追い込まれる魔物』が減ったということだ。魔物が暴れる理由なんて、もとより人間への敵愾心が強い過激派の者以外は、――地のエネルギーがおかしくなった場合に影響を受けるケースがほとんどだ。
皮肉なことに、ユウタ達が魔物と遭遇しないのは、各地を浄化して歩いたマルタンと勇のおかげだった。
ネージュがユウタを唆して魔王城へ向かわせる理由ははっきりしていた。自分の目的を果たすためだ。正常な判断ができる者ならば、今魔王に勝負を挑むのは得策ではないことくらいわかる。その判断を誤るほどに、ユウタは自分の力を過信している。
この世界が彼にとって『救世の光』のゲームにおけるクリア条件を再現するための舞台であるならば、四つの方角にいる強力な魔物である四柱を倒し、結界を弱めて魔王の力を削がねばならなかった。しかし、彼の計画はネージュのたった一言で簡単に覆ってしまったのだ。柱の力を弱めなくても、勝てる。どういうわけか、魔王の力が弱っているのだから。その誤情報で、本来の攻略とは違う短縮ルートでの魔王城攻めを開始することとなるのだった。
ガランサスと別れてから数刻。マルタンは小さなかまくらを作って、皆でその中で風を凌ぐことにした。目的地に印をつけた地図を見て、アドラが感心したようにため息をつく。
「はぁ~、なるほど、黄金の龍……セベネス様ってあたしらの学校の上にいたのか……」
「お名前もガランサス様から初めて聞いたくらいだし、よほどのことが無い限りは皆知ることがない情報だったんだろうね」
「……まあ、今が『よほどの事態』だもんな……」
ランタンの中の火が、ゆらりと揺れていた。アドラはそれを見つめながら口を開く。
「あたしがあいつらの隊にいる間の事、少し聞いてくれるか」
そうだ、とマルタンは耳を立てる。
「怪我とかしてない? 嫌なことされなかった?」
苦笑いするアドラ。ユウタ隊にいる間は、人の目があるときは強制的にヒトへの変化をさせられて、あくまでも人間の娘として扱われていた。王への謁見で説明されたように、ドリュアデスの木が暴れている森で命を落としたアイザックに代わって、ユウタに力を貸してくれた言葉を発することのできない娘という設定で連れ歩かれたのだという。
「この通り無傷だよ、何回か足環から電流みたいなのは食らったけど。数週間あいつらと居て、わかったことがあるんだけどさ……」
「うん」
「あいつら、魔物の討伐なんてろくにやってなかったぜ、なんかうろうろしてただけで……」
「……だよね」
魔物の襲撃だの、それから村を守っただの、困っている村人を助けただの……そのすべてが嘘だったということが証明された。旅の始まりこそ討伐をしていたという事実はあったのかもしれないが、現在となってはその討伐対象がほとんど存在しないのだから、勇者としての活動なんてしていないに等しい。
「……ユウタ達の主な活動はプロパガンダなんだね」
勇が呟いた言葉。マルタンが小さく首を傾げる。
「本当は魔物が暴れてなくても、あっちで魔物が暴れてたから討伐しておきましたよ、って言って回ったら村の人たちは安心するし、エニレヨのときみたいにはぐれている魔物とかがいたらそれを殺して……あえて狂暴化させることで自演もできるんじゃないかって思っちゃって」
アドラは頷く。
「かもな。あたしがいるときは本当に魔物に遭遇しなかったから殺してどうこうする、みたいなのは無かったけど、村人に『勇者が悪い魔物を退治しましたよ』って言って歩くのはやってた。イサミの読みは結構当たってると思う」
それに、謁見の時の王の発言もユウタを煽って魔族を討伐させるような内容だった、と続け、アドラは顔を上げる。
「アロガンツィア王、あのジジイ、結構厄介かもしんねーぞ」
フレイアと言い合っているユウタの様子からも、『魔族は滅ぼすべきもの』という凝り固まった考えが常に彼の頭の中を占めているということがわかった。その発端となっているのは、もちろん転生前にプレイしていたゲームの導入のせいもあるだろうが、勇者として王城に召喚されて王に直々に命を賜ってきたことだろう。
「なんだかわかんなくなってきちゃった……ユウタさんも被害者なのかな」
ガランサス様の言うように、洗脳された可哀想な転生者なのかもしれない。マルタンはひげをしょんもりさせて俯いた。
「そうかもしれないけれど……私はガランサス様と同意見だわ」
メリアは苦々しい顔をして続けた。
「……いくらなんでも、さすがにおかしいって気づくはずでしょ。フレイアは気づけたのよ」
魔族たちに攻撃性が無いことにも、王国側の不正にも。
王国は、あれだけ杜撰なやり方をしているのにそれに全く気が付かない、否、目を背けているのは、ユウタ自身だ。
「だから、このまま俺たちは毅然と立ち向かうだけだよ。仮に彼が被害者ならば、これ以上の罪を重ねさせないためにも」
マルタンは勇の目を見て、こくりと頷いた。
「そうだね。……これ以上、傷ついちゃだめだ、みんなも、彼も」
「無事だったか、よかった」
「このようなところまで足をお運びいただき、痛み入ります」
黒い翼の持ち主は、身じろぎをした。角度によってさまざまな色に光る黒い鱗は、ところどころが剥げてしまっている。
「なぜここから動かぬのかと思っていたが、翼が折れていたのだな、どれ、すぐに治そう」
一羽のカラスは、秀麗な青年の姿に一瞬で変わる。背に長く揺蕩う濡羽色の髪が、風に揺れた。真白な指先が、黒いドラゴンの翼にそっと触れる。ドラゴンは紅い瞳を伏せて、翼に温かな光がしみ込んでいくのをゆっくりと受け入れていく。男はドラゴンの翼を仕上げにするりと撫でると、よし、と微笑む。
「どうだ、動かせそうかライルハルトよ」
低く少しかすれた声でそう問うと、ドラゴンは一度翼を広げて見せる。
「はい、すっかり。これならばすぐにでも飛び立てます」
「そうか、何よりだ」
「生徒を探しに行こうと思います」
鱗の取れかかっている足を踏ん張って立ち上がったライルハルトを男は待て待て、と止める。
「翼は治したが、貴殿の身体はまだ万全ではない、それはやめておけ」
「しかし……」
「生徒を一番に思い行動しようとする……貴殿は姉君とそっくりだな」
しかし、今は教え子を信じてやるのも教育者として必要なことだぞ、と男は笑った。
「過保護が過ぎるのもいけませんね」
姉君――その言葉にライルハルトはハッとする。
「姉上に会われたのですか、姉上は……」
「ああ、無事だよ。安心しなさい。今は我の庵で休んでいる。貴殿も向かわれると良かろう」
ヒルデガルトも弟の安否を気にしていたんだよ、と言って男は深紅の瞳を細める。
「ありがとうございます」
ライルハルトは、礼の言葉の後に「魔王様」と付け足し、頭を深く垂れた。