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第9話

「さ、ユウタさん、一度戻りましょう……ロベリアさんの体調が心配ですわ」

 ネージュの背後に死んだ目をして控えているロベリア。やっと彼女へ目を向けたユウタは、そっと手を差し伸べた。

 それは、ネージュの偽りの慈愛に感化されたためだろうか。

「すまないことをしたね、ロベリア……一度拠点へ戻って君の治療を……」

「……」

 ロベリアはもう語る言葉を持たない。

 先刻までの死の恐怖が脳にこびりついて離れないのだ。

 その死の淵から自分をすくいあげたのは――この男ではない。

 必死に助命を乞うてくれたのは、ネージュだ。ネージュの説得なしには、ユウタはあのまま自分を捨てるつもりだった。その事実が重くのしかかってくる。所詮は欠員補充で加入した男爵家の娘。実績のあるヒーラーとは扱いが違っても仕方ないのだろうか。

「ロベリア?」

「……ええ」

 呪術師として魔法の心得があるロベリアには、ユウタの魅了スキルはあまりささっていないようだった。どちらかと言えば、彼女の中にあるのは野心だ。生家であるアルシオン家の爵位を上げる好機として、この行軍に加わっている。それだけだとアドラも気づいていた。

「ユウタ様? 何をなさって……」

 ロベリアの手を握ったまま、ユウタは目を閉じる。そして、小さく息を吐いて、吸った。

 ゆるりとした動作で立ち上がったロベリアにユウタが投げかけた言葉は、耳を疑うものであった。

「ああ、いつものように君に力を与える。帰る前に、あいつらに一撃浴びせてやろう」

「……は?」

 命のやり取りの直後で憔悴しきった娘にかける言葉とは到底思えないその一言に、ロベリアは間抜けな声で短く聞き返す。

「どんな魔法でもいいよ、君がやりやすいもので……」

「何をおっしゃいますの!? ロベリアさんは今そんなことができる状態じゃ……」

 ユウタが地面に向かって手をかざす。その手は光を帯びて、地のエネルギーを吸い取るための小さな竜巻を生み始めた。

「おい、あいつ……」

 アドラが声をあげる。

「また地の力を奪って転化しようっていうの?」

 メリアは、させないとばかりに果敢にユウタの方へ向かおうとした。その手を、マルタンがそっと掴む。

「待って、メリア。見て……」

 石段の上を滞留してきらめいた地のエネルギーは、いつまでたっても渦を巻いた風に上がっていかない。ユウタの手の方へは行こうとしないのだ。

「地の力があいつの手に収まるのを拒んでる……」

「もしかして」

 ここが、神域に値する場所だから? マルタンはそう考えたが、口には出さずに様子を見ていた。


「なんで……いつまでたっても力が満たない……」

 苛立ちを見せ始めるユウタに、ロベリアは少しほっとしたような複雑な表情を見せる。疲弊しきったその体で魔法を使わなくていい、と思ったのだろう。このままではまずいと判断したのか、ネージュはそっとユウタの手に自分の白い手を重ね、優しく覆った。

「もしかするとここは特殊な魔法がかかっているのかもしれませんわ。無理をしてはユウタさんのお身体にも障るかも……もう、行きましょう?」

 ユウタの火照った手を、ひやりとしたネージュの手が冷ましていく。戦意を削ぐようにユウタに回り込んでそっと瞳をのぞき込んでやれば、催眠術にかかったかのようにユウタはすっと力を収めた。

(おお、見事なもんだな)

 ネージュの色仕掛け……人心掌握に、アドラはまた感心してしまう。

「致し方ないか」

「はい、ユウタさんには何の問題もないと思いますわ。きっとこの地と相性が悪いのでしょう」

 ネージュはワンピースの裾をふわりとなびかせ、石段を下る。ユウタは仕方なしにそれに続くように歩んだ。足元がおぼつかないロベリアは、震えながら支えのない石段を下るのに難儀しているようだったので、フレイアが駆け寄った。

「大丈夫?」

「……情けをかけているつもり……?」

 ゆら、と揺れながら言うロベリアはまだ顔面蒼白だった。フレイアは眉を顰める。

「そうかもね。でもさ、そんなん言ってる場合じゃなくない? あんたそのままだと転げ落ちるよ」

「……」

「あんたがユウタについてくのかどうかは別に私はどうこう言うつもりないよ。アドラさんを操ってたことも別に。それはあんたの意思じゃないだろうから。でも心配だよ。あんたがどう考えてんのか。このまま使い潰されないか」

 力なくロベリアは笑った。

「余計なお世話よ……」

「だろうね。で? 一人で歩ける?」

 少し大きめの声でそう言うと、やっとユウタが振り向く。どこまでも気の回らない男だ。ゆったりと近づいてきて、ユウタはロベリアに恭しく手を差し伸べる。

「ロベリア、手を」

 まるで自ら気づいたと言わんばかりの微笑みと差し出された手に、ロベリアは少し諦めたように手を重ねる。フレイアはそれでも何もないよりはいいと思い、そのまま踵を返した。


「今回も追わないんだね? マルタン」

「はい」

 ユウタ一行の背中が見えなくなり、フレイアにそう問われて、マルタンは頷く。

「あれを物理的に止めないと何かやらかすんじゃないかな」

「……それは否めない、それでも、追って命を奪うとか……ボロボロになるまで追い詰めるとか、そういうのは考えられないから」

 こんなだから意気地なしなんだ……と俯いたマルタンの頭をアドラがぽん、と撫でた。

「それがマルの良いとこでもあるよ」

「だね。それで今の私があるとも言えるし」

 フレイアは笑って、アドラと顔を見合わせる。

「てか、あんたまさかこっちについてるとは思わなかったよ……助けてくれてありがとな」

「ちゃんと考えたってだけだよ、どっちが正しいかくらい私にもわかった。……アドラさんが帰ってこれてよかった」

「はは、そか。ありがと」

 苦笑いするアドラは、「けど、むずがゆいから『さん』付けはやめてくれ」と付け足し、石段の上に目を遣った。

「なんとなくだけど、この上に柱がいらっしゃった……んだろ?」

「そう、北の柱にお会いしてきたよ」

 勇が答えると、アドラは頷く。

「そっか。……なんだ、イサミもちょっと見ないうちに顔つき変わったんじゃね?」

 からかうように言って笑う。そして、マルタンに視線を移して同意を求める様に小首を傾げた。

「うん、マルもそう思うよ。それに……」

 あのときアドラが滑空してくるの、マルが言わなくても気づいてたよね? と問う。勇は少し自信なさげに頷いた。

「出会った頃にアドラが教えてくれたオオワシの威嚇の声、すぐわかったよ」

 正確な方向はマルタンが指をさしてくれたからわかったけど……と続けた勇に、アドラは上出来、と笑う。

「言葉は発せなかったけど鳴き声はギリ行けるって気づいてさ。役に立ったならよかった」

 そして、んん、と咳ばらいをした。喉を痛める、そう言っていた通り、多少負担がかかったらしい。


「さて、フレイアはこれからどうするんだ?」

 アドラに問われて、フレイアは順繰りに皆の顔を見てから少し緊張した面持ちで答えた。

「私は、これから一人で少し旅をしようと思う」

「じゃあ、ここでお別れ……?」

 寂しそうな声色のマルタンに、フレイアはしゃがんで視線を合わせる。

「うん。お世話になりました。マルタンと一緒に旅できたの、楽しかったよ。……私は、私のすべきことをしようと思って」

 すべきこと――。自分の足で歩き、各地で起きていることを確認して、そして報告する。バートの手助けになれるように、情報を集める。

「……いずれは、マルタンたちがしようとしていることの役に立てるように」

「マルが、しようとしていること……」

「そう、私はね、もうユウタには期待していないんだ。この世界をよくしてくれるのは……マルタンたちだと思ってる」

 今までは自分の名前を期待の対象に出されると小さく遠慮がちにぴゃ、と跳ねていたマルタンが、今回は動じなかった。しっかりとフレイアの目を見つめ返して、頷く。

「どういう状態が良い世界かは、断定できないけど……困っている人が少しでも救われるようにって思ってる」

「そうだろうなって思った」

 嬉しそうに笑ったフレイアに、あ、と勇が声を上げる。

「フレイア、王城に出入りしていたなら、グラナードさんと面識あるよね?」

「ん? ああ、彼ね」

 報告の時に何度か会っているし、食事を共にしたこともあるというので、それなら、と提案する。何かあれば、グラナード宛に伝書を飛ばしてくれ、と。

「なんだ、グラナードさんもイサミたちと繋がってたんだ」

 フレイアはふふ、と笑う。

「こいつはいよいよユウタがちょっとかわいそうだな……ネージュはまだ何考えてるかよくわかんないけど……」

 そうこぼしたフレイアに、アドラは不敵に笑った。

「それなら心配しなくていい。今はそうとしか言えないけど」

「……?」

 あいつは大丈夫だよ。

 首を傾げたフレイアに、アドラはそう答えるだけだった。


 階段の上から、少年の姿のガランサスが走ってくる。

 その少し後ろをリンとギンがついてきていた。

 ケラスィヤ以上に幼い姿をした彼は、マルタンたちの無事を確認して心底安心したようで、マルタンのふわふわの毛並みに顔をうずめてすりすりと頬ずりし、喜びを露わにする。自由の身になったアドラにも労いの言葉をかけ、この世界を頼む、と全員に頭を下げた。

 猶予はない。次なる鍵の元へ、焼け落ちた『魔族防衛専門学校』の跡地を目指し、一行は庵を発った。


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