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第8話

 マルタンの名を呼びながら一歩踏み出そうとしたアドラの背後から、ユウタの剣が振り下ろされる。たまらず駆け寄ったマルタンは、アドラのそばで頬袋をぷうっと膨らませた。

「っな……!?」

 ギィン、と高い音を立て、チークポーチバリアがユウタの剣を弾いた。以前同じことがあったときより、更に強くなったバリアは、剣の攻撃を弾くだけにとどまらず、ユウタをノックバックする。たたらを踏んでよろめいて、俯き悔し気に唸るユウタの元へ走り寄ったのは、榛色のポニーテールだった。

「……」

「ふ、れいあ……?」

 ゆっくりと顔を上げたユウタは、自らに駆け寄ってくる懐かしい顔に複雑な表情を浮かべる。静かに距離を詰めて、フレイアはユウタをじっと見つめる。

「あいつらに寝返ったのは、嘘だったんだな? もう一度僕の元に……」

「はぁ?」

 ユウタの発言を遮り、少し苛立ったような声色でフレイアは答えた。

 彼女の氷のように冷え切ったアイスブルーの瞳は、びくりと肩を震わせて固まってしまったユウタをしっかりと捉えている。

「……寝言は寝て言えっての」

「フレイア……?」

 ユウタ隊の中にいた時の快活な彼女は、もはやどこにもいなかった。見たことのない表情、聞いたことのないような声。この『フレイア』は、もはやユウタが知っている女性ではない。

「みっともない」

 吐き捨てた言葉に、ユウタは絶句する。

 いつも笑っていたフレイアは、もうここにはいない。

「みっとも……ッ!? 誰に向かって言ってるんだ!」

「ユウタに向かって言ってるよ」

 フレイアはハンマーから手を離し、殺意がないことを明らかにしたうえで告げた。

「私は、対人間として言ってる。勇者様じゃない、あんたに、『ユウタ』に言ってる」

 だから、あんたも勇者勇者ってその称号に縋ってないで一人の人間として向き合ったらどうなの? と続ける。


 その様子を、マルタンはアドラを背に庇いながら見ていた。

(いっちょまえにあたしのこと守ろうとするんだもんな……)

 一生懸命に耳をぴんと立てて、背筋を伸ばして立っているマルタンがいじらしくも頼もしくて、アドラは少しくすぐったい気持ちになりながらマルタンの頭をふわっと撫でた。

「アドラ? 怪我はしてない?」

「ああ、この通り。メリアが治してくれたし、あたしは大丈夫だよ」

 それよりも、マルタンの方が痛かったろ、とアドラはロベリアに殴りつけられたあたりを何度も撫でた。

「耳も引っ張られただろ?」

「うん、でも大丈夫だよ。アドラが呼んでくれたから、怯んでる場合じゃないって思った」

「マル……ごめんな」

「アドラは何も悪いことしてないよ。謝んないで」

「……そだな、ありがとな」

 ぽふ、とアドラの大きな手がマルタンの頭の毛に埋まる。しばらくぶりのふわふわの毛並みに、アドラは自然と笑顔になった。



「勇者であるこの僕にそんな口を……」

「だからさあ、そういうのくだらないって言ってんの。あんたが勇者だろうが、旅人だろうが、私はそんなとこ見てない。あんたは『ユウタ』で、それ以上でもそれ以下でもない」

 称号に、立場にしがみついてそれを誇示してくるユウタの態度を一刀両断するようなフレイアの言葉に、ユウタはわけがわからないといった顔をする。

「あんたの価値は、ジョブで決められてしまうものなの?」

「……は?」

「あんたは『勇者』として生きることに固執しすぎだよ。ユウタって人格はどうでもいいわけ?」

 そのやり取りを聞いて、正直ユウタとして生きるにしたって今のままではだいぶくだらない人間になってしまうなあ、と思いながらメリアは視線を逸らす。

「僕の人格? 僕は勇者として世界を救う。それが僕『ユウタ』の使命だ」

「なんか話わかってないみたいだけど……あんたはさ、自分のやりたいこと、自分がやらないとならないことを理解してないって思うよ」

 フレイアは対話を諦めずにいる。しかし、ユウタにはほとんど伝わっていないようだった。理解力が無さすぎる。

「あんたが今やりたいこと、やらないといけないことは何? 自分で考えてる?」

「……っ……僕の使命は、アロガンツィア王の命に従い……」

「ほら、出た。それだっつってんの。まるで自分で考えてない。王様がやれっつったこと、ぜーんぶ鵜呑みにしてやるだけなんだ?」

「な……」

「そういうとこがガキだっつってんの! 王様の命令がきっかけかもしんないけど、自分で見極めて自分で考えて自分で行動しなって言ってんだよ!」

「口が過ぎるぞフレイア……!」

 ついに剣に手をかけようとしたユウタだが、それよりもフレイアが早かった。

 ハンマーを放り捨てたその右手をぐっと握りこみ、ユウタが剣を抜くよりも早く彼に肉薄する。そして、その鳩尾目掛けて思いっきり拳を叩きつけた。

「かはっ……」

「こっちも斬られてやる気はないんでね」

 げほげほとせき込みながらその場にしゃがみ込む涙目のユウタを見下し、フレイアは拳を解いてひらひらと振る。胸当てがある位置からはズレていたものの、人間の腹部に思いっきり当てた拳は薄手のグローブを付けているだけだったのでそこそこ痛んだ。

「まずね、今回の事。人質をとって戦うってやり方、私は好きじゃない。しかもわざと対象が苦しんでいるところを見せるようなやり方。汚いから嫌い。これが私の意見」

「手段なんて選んでいられないんだ、これは魔族との戦争なんだぞ……!」

 盛大な咳の後で、ユウタは絞り出すように叫ぶ。フレイアはそれにかぶせるように答えた。

「それでも」

「……ッ」

「正々堂々とやらないやつが勇者なんて笑わせるよ。だから私はあんたとは正式に手を切る」

 しゃがみ込んでいるユウタと同じ目線にするためにフレイアも膝をついて、射るような瞳でユウタを見た。

「ねえ、ユウタと旅をしている間、楽しいなって思うこともそれなりあったよ。ありがとうね」

「え……」

「私はね、領主の娘だから自由に出て歩けなかった。だから、ユウタの仲間として活動するって名目で自由のきっかけを得たってのは、正直あるんだよ。ごめんね」

「……」

 ここにきて、フレイアはまっすぐに告白する。

 自分の腹部を殴りつけてきた女が別件を謝罪してきていることに驚いてしまっているのか、ユウタは言葉を失っていた。

「ユウタと一緒にいる間は、私も悪さをしている魔族を倒すことが正しいことって思ってた。でも、マルタンたちと対峙して、魔族は本当に悪いことをしているのかどうかわかんなくなってきたんだ。だからあんたから離れた」

「そのネズミに何を吹き込まれた!?」

「違うって!」

 ユウタの言葉にフレイアは声を荒げる。

「そもそも『吹き込まれる』ってなに!? 私の事馬鹿にしてるよね? 私はマルタンの話だけを聞いて判断したんじゃない! 自分の足で歩いて、自分の耳で聞いて、自分で調べて考えたんだよ!」

 クーナ湾を出るときに言ったよね? とフレイアはなんとか声を静めて言う。ユウタはフレイアの気迫に押され、黙り込んだ。

「そうやって誰かに吹き込まれるとか、何を言われたんだとか……そういう発想に至ること自体、あんたが『そう』だってことじゃん!」

 フレイアの正論を受け入れないユウタは首を振って反論する。

「僕は誰に何を吹き込まれたわけでもないさ、アロガンツィア王の正しき道を、僕が共に歩むだけ……! 魔族はヒトに害為す滅ぼすべき種族だと、わかり切っていることじゃないか!」

 まだ言う!? とフレイアは嘆息する。

「じゃあさ、考えてもみてよ。私たちの旅費、どこから捻出されていたか」

「アロガンツィアの軍費だろうな」

「軍費は? どうやって集めてるかわかってる? 税金だよ?」

「それがどうしたっていうんだ? 世界を救う僕たちのために使われるんだ、民衆も喜ぶだろう!」

 はぁ、とフレイアは頭を抱える。

「必要最低限ならね。私たち、行く先々で歓待されたね? いい宿を用意してもらったね? ご飯に困ったこともなかった」

「ああ」

「一切私たちの財布から出すことは無かったよね、『勇者』って称号を出せば」

 きっとどの村も困窮していたろうに。それなのに、こちらが勇者一行であるということがわかるとどこに行ってもあたたかな寝床が用意されたし、十分な食事を与えられた。

「私はあれはムダ金だと思ってる。ほんとに王様が世界のこと真面目に考えてんならこんなとこにお金かける?」

 フレイアの言葉のどれもが全く響いていない。ユウタとしては、王国側が勇者に金をかけるのは当たり前のことだと思っているし、それが国民のためになることだと思い込んでいるのだ。どこまで行っても平行線になる。ユウタは、自分が勇者でいることに固執しているし。――アロガンツィア王の事を正しいと思い込んでいるというよりも、王に従わねば勇者という称号が消えてなくなる、そうすれば自分の権威が地に落ちると考えているのだろう。

 先にフレイアが言っていた「みんなに褒めそやされたいだけ」ということに、本人は気づいているのか、いないのか。

「かけるさ、それだけ僕は期待されているんだ!」

 何度目かわからないため息をつく。

 ロベリアに治癒魔法をかけていたネージュが、ユウタにそっと歩み寄り囁いた。

「その通りですわ、現に……今、ご自身で判断してロベリアさんを救ってくださった、そんなあなた様に、期待しているのですわ、王様も――わたくしも」

 背後からそう囁いたネージュを振り返り、ユウタは何かすがるような表情で頷く。ネージュの後ろには、すっかり回復して立って歩けるまでになっていたロベリアがいた。その瞳は沈んでおり、青ざめた顔でユウタを見つめている。無理もない。この男は一度自分を見殺しにしようとしたのだ。

「ネージュ、あんたは本当に『ユウタ』がやっていることが正しいと思ってんの?」

「……」

 ネージュはただ、柔らかく微笑んでいるだけだった。

「ロベリアの事、一度は見捨てようとしたんだよ!?」

「そうですわね、けれど……思い直してくださいましたわ。ユウタ様はちゃんと優しいお心をお持ちなのです」

 手を祈りの形に組んで、うっとりとユウタを見つめるエメラルド色の瞳に、ユウタは吸い込まれるように頷く。


(だーめだこいつ……)

 アドラは表情に出さないようにするので必死だった。ネージュの正体については秘密にすることになっているし、その秘密の範囲はもちろん『全員』だととらえている。だからこそ、アドラは虚無の表情でそれを見ていた。


「ね? ユウタさん」


 とろけるような甘い声色でネージュはユウタに囁く。

 絡めとられるように、ユウタはもう一度頷いた。

 彼が頷いたのを見て、ネージュはその笑みを深める。甘く、どろりとした底なし沼のような微笑みに、ユウタは見事にどっぷりとはまっていった。


 ――あいつオレの事好きだもん。


 アドラの脳内にあの日のセルジュの発言が蘇る。


(……好きに『させた』んだろ、ったく……)

 こんなものに簡単に引っかかってしまう『勇者様』というのも、まあ御笑い種だけれど。


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