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第6話

 マルタンの声に、勇は身をかがめる。その頭上を、掠めるように大鷲の足が通った。

「アドラ!」

 空中で翼をはためかせながら、アドラは顔を歪める。何か言いたそうに唇を開こうとしたが、次の瞬間、バランスを失って地に落ちた。

 どさ、と重たい音を立て、冷たい石のタイルにアドラの身体が叩きつけられる。ぐ、と低い呻きの後、咳き込む声が聞こえてマルタンは弾かれるように駆け寄ろうとした。

「来るな」

 咳の合間に、か細くアドラが言う。

「でも……」

 自由の利かない身体で、アドラは首を横に振る。

「……ぅ」

 また、足環から痛みが伝ったようで、アドラは歯を食いしばって耐えているような表情を見せる。その顔を見て泣きそうになるのを堪え、マルタンはユウタの方を見据えた。

「アドラを解放してください」

「言うと思ったがな、それで解放すると思うか?」

 何のためにこの女をこちらのパーティに加入させたと思っている? というユウタの横ではロベリアがにやにやと笑っている。

 その薄笑いに終止符を与えるべくマルタンが紡いだ言葉は、脅しだった。


「……解放しないというのならば、力づくで……そちらの女性を葬ってでも、取り返します」


 術者であるロベリアを指さしながら、言う。普段のマルタンからは想像もできない、葬るという強い言葉。アドラは息を切らしながらゆっくりと体を起こし、信じられないというような顔でマルタンを見ている。

 あの優しいマルタンが、人の命を奪うなんてこと……。

 ユウタもマルタンの今までの平和主義的な言動を知っているからか、その脅しを鼻で笑った。

「ふん、そんな脅しに僕たちが屈するとでも? ……それより、僕はお前の後ろにいるその女が気になるね」

 そう言われて、一歩前へ歩み出たのはフレイアだった。

「久しぶりだね、ユウタ」

「何をぬけぬけと。暇が欲しいというから少し休みをやったら、なんだ? 魔族に寝返るなんて、お前には勇者の仲間としての誇りは無いのか?」

 フレイアは息を深く吐き、そして静かに吸った。

 それから、短く、低く告げる。

「ない」

「……」

「私は、あんたと旅をしているときに気づかなかったことに少しずつ気づいてきたんだ。はっきり言うよ。あんたがやってること、私は間違っていると思う。人を救いたいという気持ちで動いていると信じていたけれど、あんたのそれは、……違う」

 フレイアは大きなハンマーの柄に手を置いて、まっすぐにユウタを見つめ言い放った。

「これ以上自分の欲を満たすために戦うのなら、私はあんたを止めないといけない」

「何を……」

「あんたのやろうとしてることは救世じゃないよ、本当に人を救いたくてやってるんじゃない。あんたはみんなからすごいねって言われたいだけ。褒めそやされるのを望んでいるだけだ」

 本当に世のため人のために動いているのならば、どうして人を救おうとしたマルタンを殺そうとしたのか。どうして自ら動かずに、人にばかり仕事をさせるのか。どうして、危険だと定義づけた柱と呼ばれる『魔物』を討伐できなかったことを正直に報告しないのか。魔族が危険なものであり、それらから王国を、世界を守るというのならば、すべきことは防衛であるはずなのに、なぜマルタンの後を追いかけて柱を害そうとするのか。派手な功績ばかり求めているのがわかる。そのことを指摘すると、ユウタはいつぞやのように言葉を詰まらせて悔し気に顔を歪めた。

「……言ったよね、私は自分で考えて動く。あんたの正義は私の正義じゃない」

「裏切り者が……!」

「いいよ、そう、私は裏切り者だ。なんとでも言って詰るといい」

 剣の柄に手をかけたユウタを見て、フレイアもハンマーの柄を握る。

「誰にどう言われようと、貶されようと、私は私が正しいと思うことをする。まずは、アドラさんを解放してもらうよ!」

 ぐん、と踏み込んで、フレイアは飛び掛ってきたユウタの剣をまずは一度ハンマーで弾いた。重たいハンマーは、今はユウタの特殊能力を受けていないから振り上げるにも骨が折れる。

「フレイアさん!」

 マルタンに呼びかけられて、フレイアは大きな声で返事をした。

「こっちは任せて! マルタンはロベリアと、ネージュの方を!」

 マルタンは勇と顔を見合わせる。

(マルタン、何か考えがあるんだ……)

 勇は瞬時に悟り、マルタンの作戦に乗るために頷いた。

 その顔を見てマルタンは少しほっとしたように頷き返すと、静かにロベリアに歩み寄る。

「来ないで! 近づくのなら、この女の……」

「あなたの」

 言いかけたロベリアの言葉を遮った。

 メリアは、その隙にふわりとアドラの方へ飛んでいき、治癒魔法を施す。

「脚。以前お会いしたとき、わたしが噛みついたことを覚えていますか」

 ハッとして、ロベリアは左のふくらはぎに視線を落とす。

「覚えてるわ。よくもやってくれたわね。まだ傷が完全に消えてないのよ。レディの脚に痕が残ったらどうしてくれるのかしら」

 ロベリアは腕を組むと、そう言ってマルタンを見下した。この女性は痕が残ることを気にしていたようだったが、論点はそこではない。

「……よかった、覚えてらしたんですね。では、アイザックさんの事は覚えていますか?」

「アイザック……ああ、弓兵ね。志半ばで散った……」

「彼の死因をお伝えします」

 そう言うと、マルタンは勢いよくロベリアに肉薄した。ロベリアはアドラへの監視を緩めるわけにもいかないので、そちらへも注意を向けながら、マルタンを躱そうと後ろへステップを踏む、が。


「きゃあっ」

「え!? ネージュ!?」

 ロベリアのすぐ後ろにはネージュがいたのだ。

 ネージュにぶつかり、二人もろとも転んでしまう。

「ちょっと、何してんのよ!」

「す、すみません、すぐに回復できるようにと控えていたつもりで……お邪魔になってしまって」

 ネージュの上でロベリアは悪態をつく。そもそもその高いヒールも転ぶ要因の一つだろうに。

「ああっ、もう! 邪魔よ、早く退いて!」

「すみませんっ……」

 上に乗っているのはロベリアの方なのに、なんとも理不尽なことだ。

 二人が立ち上がろうともたもたしている間に、マルタンはロベリアの左脚――、また、前回の傷のそばに噛みついた。

「痛ッ……こんの、ネズミが……!」

 ロベリアは怒りに任せてマルタンの耳を引っ掴んで引きはがす。そして、思いっきり拳骨でマルタンの頭を殴りつけた。

「ぎゅっ……」

 マルタンが痛みに鳴き声を漏らす。

「マル……!」

 メリアの治癒を受けていたアドラが、マルタンの声を聞いて叫んだ。

 久しぶりに聞いたアドラの声に、マルタンは奮い立つ。

 ここで痛がっていたらいけない。

 フレイアだって、今ユウタと刃を交えている。

 勇は、万一に備えてメイスを構えてマルタンを背に庇うようにユウタに注意を払ってくれている。


「彼の、アイザックさんの死因は、わたしに『二回噛まれたこと』です」


 ロベリアの背に、ぞわりと悪寒が走る。


 二回?


 二回噛まれた……?


 瞬間、びり、と噛まれた部分が痺れ出した。立ち上がろうとして、ずるり、と地に崩れ落ちて倒れ伏す。


「な、にを……!」

「わたしには特殊な力があります。殺意を持って対象を二度噛むこと。それで、確実に相手を殺めることができる」

 ロベリアのきれいな白い肌に、脂汗が浮いた。

 呼吸が荒くなっていく。

 気道が狭まるのを感じた。

「そん、……っ、な」

「見たでしょう、あなたのその症状はあの時のアイザックさんと同じものです」

 冷たく言い放ったマルタンに、ロベリアは思い当たることしかなかった。

 がくがくと震え、ろれつが回らなくなり、死への恐怖から涙が止まらなくなる。

 あの時のアイザックと同じだ。

「ロベリアさん!? ロベリアさん、しっかり……」

 ネージュはロベリアを抱き起し、必死に体力回復の魔法をかけ続ける。しかし、それは根本解決になるものではなかった。

 怖い。

 怖い。

 ――怖い。

「……けて」

 震える声で、ただそれだけ。

「たす、けて……」

 振り絞り、叫ぶ。

「たすけて、ユウタ様ぁ!」

 フレイアに斬りかかろうとしたユウタがその声にやっと気づき、振り向く。

「ねえ、あんたの助けを求める声がしてるけど?」

 フレイアはユウタの攻撃をいなし続けてはいるが、本気で殴りつけることはしていない。彼を倒すことが目的ではなく、あくまでもアドラを奪還することが目的だからだ。あわよくば何かしらの情報を引き出せればという思惑もあるので、ユウタに倒れられると逆に困る、と言うのもあるし、何より……。

(ユウタは単純だからある程度煽ればなんか喋るんだよな……)

 かつて行動を共にしていたからこそわかる彼の性質。

 もう少し。戦いを引き延ばせば、或いは。


「何を泣いている!」

 ユウタが厳しくロベリアを叱責する。ネージュは柳眉を吊り上げ、ロベリアの代わりに叫んだ。

「そんな言い方は無いですわ!! ロベリアさんは、死の恐怖におびえていらっしゃるのです……! マルタンさん、なんて酷い……助かる術はないのですか!!」

 悲劇的な声。

 それに、アドラは吹き出しそうになってしまったが必死に耐える。身体の自由こそ利かないが、ロベリアが弱ったことで少しだけ表情や言葉が出せるようになったのが、逆に仇になりそうだ。

 アドラは、ネージュ――『セルジュ』の本性を知っている。

 この悲痛な叫びだって、ロベリアを心配するそぶりだって、全てが演技だ。

 『セルジュ』は治癒魔法に長けている。

 治癒の方法を熟知している彼は、当然状態異常についての知識も豊富だ。

 よって、ロベリアのこの症状が本当に死に直結するとは思っていない。

 それでも、あえて悲鳴に近いような命乞いの声を上げ、これがロベリアの緊急事態とユウタに思い込ませることに『乗って』いるのだ。

 マルタンはネージュとロベリアの様子に少し胸を痛めながら、それでもアドラを取り返すために毅然とした態度を崩さぬようはっきりと答えた。

「彼女が息絶えるまでには少しの猶予があります。一刻も早く、専用の解毒薬を飲ませる、それだけです」

 専用の解毒薬? とネージュは反復する。

 勇はマルタンがしようとしていることを理解し、カバンから小瓶を取り出した。

「これのことだね」

「はい」

 マルタンは勇の手にある小瓶を見て、頷く。

 ロベリアは震える手を必死に伸ばして、口をぱくぱくと動かす。ネージュはその背中を撫でながら、懇願する。

「お願いします、薬を……薬をロベリアさんに……」


「わたしも、人の命を奪うことは本望ではありません。取引をしましょう」


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