「フレイア、見て」
マルタンはまばゆく光る卵を見つめてフレイアの肩を揺する。拍動する光の元に、白蛇の二人が静かに傅いた。
ピシ、とかすかな音が聞こえる。
「ヒビが入ってる……」
「卵が孵るのよ」
メリアはどこかほっとしたような面持ちでそういった。
ぱき、ぱき、と薄氷を踏むような音が響く。無数のひび割れができて、そして、その日々の隙間から強い光と共に冷たい風が吹き出した。
目も開けていられないほどの突風に、白蛇以外は強く目を閉じる。
風がやむと、そこには黒水晶の破片のようなものが砕けて散っていた。
そして、その中央には――。
「……うん、新しい身体は軽いな」
そう、独り言ちる少年の姿があった。
「まさか……」
フレイアは目を見開いたまま固まっている。
まず、あんなに小さな卵から子どもの姿をしたヒトが出てくることに驚いたし、卵が『孵る』とは説明されたが、生まれてすぐに二本の足でしっかりと立ち、そして話していることにも驚いているようだ。
「フレイア、四柱様たちは人智を超える力を持っているから、俺たちの常識とかは通らないよ」
勇だって驚かないわけではないが、生前に様々なゲームをプレイしてきたうえで、ここがゲームの中の世界だと知ったうえで旅をしているから、不思議な事象については「ゲームの中だしそういうこともあるか」くらいに受け止められるくらい順応していたのである。
「む、君たちは……少し待っておくれよ」
生まれたばかりで記憶の整理をせねばならんでな。
卵から出でたばかりの白髪の少年は、腕を組むとうーん、と考え込んで、自分の記憶の引き出しを一つ一つ開けているようだった。
「あっ。わかった。そこのふわふわがマルタン、青年がイサミ、お嬢さんはフレイアで、……ドリュアスの子はメリアだな」
「はい、そうです! マルタンです! ガランサス様……ですよね?」
姿は違えど、纏う神気が同じと感じてマルタンは念のために確認する。少年は笑顔で頷いた。
「そう、私はガランサス。君たちが先に出会ったガランサスの記憶と能力を引き継いだ『あたらしいガランサス』だ。まあ、厳密には違う個体になるが、名もガランサス、役割も同じ。だから、君たちはそのまま『ガランサス』と呼べばいい」
――厳密には違う個体。
そう聞いて、フレイアは少し悲しそうに視線を逸らした。
「……ガランサス様、生まれたのは『あなた』であって、『あなた』じゃないじゃない……」
ガランサスは小さく首を傾げる。
そして、消える直前に自分が言った事を遡って理解したのか、そっとフレイアの手に触れた。
「すまんな、フレイアよ。そう、君の言う通りだ。命には『同じもの』は存在しない。君たちが出会った老人は一人しか存在しない。私はまた別のガランサスだ。君が悲しむのをぬぐおうと、私は嘘をついた」
一度失われた命は同じ形では戻らないと、誰しもが知っていることなのに。ガランサスは消える前と同じ口調で、しかし、若くみずみずしい声でそう言う。
「命が巡るという考え方は、人間たちにはあまり浸透していないのね」
「どういうこと?」
メリアが言うには、ドリュアスにおける死の概念は、自然に還り巡るということだった。
人は肉体が滅ぶことを別れという。その霊魂がどこかに残っていたとしても、二度と会うことがないのだから、それは永遠の別れだと。
しかし、ドリュアスにおいては、肉体が朽ちて消えてもその魂は残されたものの祈りで浄化され、巡り、生者を見守ってくれていると考えられている。そして、長い年月をかけて魂は世界に馴染み、その者が望むならば生まれ変わって再び地上に生れ落ちることがある、と。
「だから、私たちは誰かが亡くなったときに寂しいとは感じるけれど、悲しいとは思わないのよ。ずっと共に在る、そして、いつの日か巡り合う事もある、そう信じて生きるから」
こくん、とマルタンが頷いた。
「その考え方は魔族に共通してるかもしれない。だからこそ、弔われずに悲惨な死に方をした者たちは――生者を襲う亡者になり果てるんだと思う」
幼い少年の顔をしたガランサスは俯いたまま、悲し気に答える。
「うん、そういった魔族、魔物がここ数年増えて、人々と争っているということは私の……いや、『前ガランサス』の耳にも届いていたよ」
その時だった。ガランサスの両脇に控えて片膝をついていた白蛇が、二人同時に立ち上がったのだ。
「ガランサス様」
「……ああ、わかっている」
急に顔つきが険しくなった二人を見上げて、マルタンは「どうしたんですか」と問う。
「招かれざる客だ」
「え!?」
ここは異空間ともいえる場所なのに、そんなに簡単に他者が入れるのか。勇の問いにガランサスは申し訳なさそうに頷く。
「柱以外のものをここへ招いているときは、結界を解いている。そうしないと、理の内の者と外の者が同じ空間にいられないからな。『外』と切り離すと、今度は君たちが外へ帰れなくなってしまうんだよ」
それならば致し方ないのだから、そんな顔をしないで、と勇は謝罪しようとするガランサスを遮る。異空間だからこそ、マルタンたちを招くために結界を解除していた、その隙にまさか攻め込まれようとは。ガランサスは眉間にしわを寄せている。
「生まれたばかりのガランサス様に危害をくわえられたらたまったもんじゃないよ……! 行こう!」
フレイアが立ち上がった。
「君たち……」
「ここで戦うより、俺たちが出迎えた方がいくらかマシなんじゃないかと思うんです。ガランサス様はここを離れることは出来ないんですよね?」
――柱は守護する場所を離れること能わぬ。
ケラスィヤの事を思い出して、勇は問うた。
クラーヴァやデロニクスは領域内と思われるところは自由に出歩いていたが、あの時点で四柱のなかでは一番若かったケラスィヤは、近隣の村であるエニレヨにすら降りることができなかった。それならばきっと、生まれたばかりのガランサスは……。
「その通りだ。私はこの庵から出ることができない」
「逃げられないのなら、この場所を守るのが今のマルたちの役目だね!」
頷きあうと、マルタンは庵から飛び出していく。
「ギン、リン、頼んだわよ」
最後に振り返ってそう言うと、メリアは庵の扉を閉めた。
閉まりゆく扉から射す外の光が細くなるのを見つめ、ガランサスはその手を祈りの形に組み、己の非力さに奥歯を噛む。
「どうか、武運を」
さらり、と肩までの白髪が頬にかかり、影を落とした。
石段を駆け上がる三つの足音。
駆け下る三つの足音。
近づいていったそれらは、ちょうどその岩の大階段の踊り場のように開けた場所でかち合った。
「大岩が不自然に開いていたが、道案内ご苦労」
笑う金の髪の男。
もう見慣れたその薄笑いに、マルタンは顔をしかめる。
「ご案内したつもりはありません」
「そうか? 開けっ放しにしていただけか」
「……」
ユウタが無駄口をたたいている間に、マルタンは静かに様子を探る。
後ろに控えているのは、ネージュと……アドラに足環をかけた女、ロベリアだ。
足音は三つだった。
アドラは。
視線を上へ向ける。
その時だ。
ロベリアの人差し指が、くい、と曲がった。
「イサミさん、伏せて!!」