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第4話

 そう言ったガランサスの瞳は静かに凪いでいたが、声色に呆れと怒りの色が滲んでいた。

「魔法は便利といえば便利だが、代償が付き物だ。何の対価もなく楽をして得られるものなどないという事、君たちなら知っているであろう」

 マルタンは頷く。

「はい、校長先生もよく仰っていました。魔族は他の種族よりも魔法の素地がある。学習すれば、その伸びもダントツだから……だからこそ、使い方を誤ってはいけない、むやみに力を振りかざしてはならないと」

「そうじゃな、ヒルデガルト殿は善き教育者だ」

 生徒たちがそのことをしっかりと理解したうえで魔法を学んでいるのであれば魔族の未来は明るいものだ、とガランサスは微笑む。

「……校長先生……」

 ぽつりとマルタンが寂し気につぶやいたので、ガランサスはゆっくりとマルタンの瞳をのぞき込む。

「マルタンや、流転の話の時に『土』の力に長けた者の話をしたね」

「はい」

「そのお方は黄金の龍と呼ばれておる。名は、セベネス」

 黄龍と言う存在も最近知ったばかりだったが、ここにきてやっとその御名を聞いた。ガランサスはそのセベネスの居場所を知っているという。そして……。

「セベネス殿はヒルデガルト殿とは遠縁にあたり、薄くとも血縁のある者の居場所を正確にたどることができる能力をお持ちだ。つまり……」

「校長先生の居場所がわかるんですね!」

 マルタンの表情がぱあっと晴れた。それを見て、ガランサスも嬉しそうに頷いてくれる。

「よかったね、マルタン!」

 自分のことのように喜ぶ勇やフレイア、メリアを見て、ガランサスは心底安心したように息を吐いた。

「マルタンや、君は本当によい仲間を得たね」

「はい、みんな大事な友達です! ここにはいない仲間も……」

 マルタンの脳裏に、学校が崩れ落ちてから今までひと時でも共にあった者の顔が浮かぶ。皆無事であることを祈りながら、再会を望みながら、マルタンは俯きかけた顔を上げた。

「だからね、またみんなで集まってたくさんお話できるように、がんばります」

「うん、よく言ったね。さて……セベネス殿の居場所だが……」

 地図を持っているかい、と問われて、勇はバッグから魔族用の地図を取り出した。

「うん、今までの柱に出会った場所は覚えているかい?」

 ガランサスは白蛇の男の方に墨を持ってこさせる。マルタンはそこにちょい、と指先を浸すと、まずはこのフィニスホルンの麓に当たる場所に小さく点を打った。

 アロガンツィア北東、エニレヨの近くにあるケラスィヤの祠。

 クーナ湾の中ほど、デロニクスの神殿。

 そして、クラーヴァに出会った学術都市エルディーテ。

 すべてに印をつけると、ガランサスはマルタンを見遣った。

「さて、気づくことは無いかい」

 東西南北を守護する四柱の拠点、じっと見つめて、マルタンは東西と南北をそっと線で結んだ。

「交わっているところ……で、合ってますか?」

 その二つの線の交点、それは。

「……霧の森じゃないか……!」

 勇が思わず声を上げる。

 マルタンと出会った、あの森、正確には――。

「魔族防衛専門学校……」

 学び舎があった、その場所が浮かび上がった。

「まさか、学校に?」

 マルタンがそう問うと、ガランサスは頷く。

「厳密に言うと、学校の……上じゃな」

 上? と首を傾げたフレイアに、マルタンはハッとする。

「伝承で聞いたことがあります、この世界は地上のみで成り立っているのではない、天上にも住まうものがいる、と……」

「まあ、言うてしまえばここも天上みたいなもんなんじゃがの」

 ふぇふぇ、とガランサスは笑うが、今までの常識をひっくり返すようなことを言われてフレイアは驚いている。

「そんな天上に住まわれるセベネス殿にどうやって会うかという話だがな、そのために君たちにここに来てもらったようなものよ」

 ガランサスがテーブルの上でふわりと見えない球を撫でるような動きをした。すると、そこには透明な杯が現われる。

「ガラス? ……違う、氷……?」

 メリアがそう呟くと、ガランサスは頷く。そして、杯を勇に手渡した。

「あの、待って、俺に……?」

「そう、これは『龍律の杯』という。セベネス殿をお呼び立てするための音を出すものだ」

 それはひやりと冷たく、しかし体温がある勇が持っても溶ける様子はない。小さなワイングラスのような形をした杯のステムの部分を持つよう、ガランサスは指示した。

「レジスタンスのその手は、これを奏でるには適さない。だからこそ、君がいてくれるのがありがたいんだ」

 でも、その杯が鳴るようにするための聖水はレジスタンスの祈りが無ければならない。君たちが協力する必要があるんだよ、と言うと、マルタンは肉球を見つめ、そして嬉しそうに勇を見上げる。勇は『聖水』と聞いて、その杯の鳴らし方を悟った。

「グラスハープの要領かな……?」

 ぐらす? と首を傾げたマルタンに、勇は答える。

「水を入れたガラスの容器の淵を擦ると音が出るんだ、氷でも同じことができるのかはしらなかったけど……」

 ここは魔法がある世界だ。音が鳴る理屈だってきっと勇のいた世界とは違う。そう思いなおして勇は軽く首を横に振った。

「ここでやってみても大丈夫ですか?」

 勇はグラスハープを知っていても奏でたことはない。幼いころ水が入ったコップの淵を擦って遊んだことはあったが、きゅっきゅ、と間抜けな音がして終わった記憶しかなかった。

「構わないよ、練習してご覧」

「はい」

 水をグラスの中に呼ぶのに、マルタンが小さな手を合わせた。

 杯の中が淡く光り、見る間に澄んだ水で満たされる。

 その杯の淵に、勇は恐る恐る指先を当てて、そっとリムの部分を撫でた。

「すご……グラスからこんな音がするんだ」

 フレイアは高く澄んだ音色に耳を澄ませ、感嘆のため息を漏らす。

「笛とも違うけど……不思議な音ね、空に突き抜けてくような音、本当にこれなら天上にいる龍にも届きそうだわ」

 光と音の粒が舞い上がるのを見ながら、メリアは呟いた。

 空気の振動が、マルタンのひげを揺らす。

「うんうん、成功だ。はじめてにしちゃ良い演奏だった」

 その杯を、学校があったところで鳴らしてみなさい、きっとセベネス殿は来てくれる。

 そう言うと、ガランサスは突然、眠たそうに目をとろんとさせた。


「ガランサス……様?」

 船をこぐように、かくん、と頭が揺れる。

「ああ、すまないね、もう限界が来ていたんだ。……君たちが来るのが間に合ってよかったよ」

 どういう、と言いかけたところで、マルタンは部屋の奥に光る黒曜石のようなものに気づいた。

「……まさか……」

 黒曜石に見えたそれは卵の形をしており、脈打つように光っている。

 ガランサスの横に控えている蛇の娘が、その背を支える様にしてガランサスの顔を覗き込んだ。

「リン、あとは任せたよ。手筈通り、卵から生まれる『私』を育てておくれ」

 呼吸がゆっくりになっていくガランサスを見て、フレイアは慌てて駆け寄る。

「ガランサス様!? しっかり……!」

「驚かせてすまないね、君は柱の『理』を知らなかったのだろう。安心おし、『私』は死を迎えるが、すぐに『私』が生まれる」

「どういうこと……?」

 ガランサスはずるりと椅子から滑り落ちる。それを抱きとめるようにして、フレイアは支えた。白蛇の男の方が、初めて声を発した。

「万物は巡ります。それは、柱も同じこと、使いである私共も柱と時期をずらし、巡ります」

「ギン、それでは人の子には伝わらんよ」

「せっかくお会いできたのに……」

 たった数時間のこと、それでもどこか暖かく懐かしい香りのするガランサスの死に、フレイアは悲しみを露わにした。

(昔からの知り合いでもないのに、どうしてこんなに寂しいんだろ……)

 その気持ちを読んだかのようにメリアはフレイアの背を撫でる。

「それは……彼が、ガランサス様が『冬』だから。この世界に生きるものはその深い意識の下に柱とのつながりを持っているはずなのよ」

 四季の一つが、死ぬ。そして、生まれ変わる。

「信じなさい、フレイア。お別れではないわ」

 抱きとめていた腕が軽くなる。

 慌てて見れば、フレイアの腕の中でガランサスの身体は粉雪のように軽くなり、風に舞って銀の粒子となっていった。

「そんな……」

 フレイアのその手には何も残っていない。

 次の瞬間、部屋の奥の台座の上で光る黒い卵が、先刻よりもいっそう強く脈打った。


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