声に言われた通り、勇とマルタンはランタンと金貨をそれぞれ回収して、開いた岩戸の奥へと進む。そこには岩でできた大階段があり、宙に浮いて見えた三つの影は階段の中ほどにそれぞれ立っていた。
「こちらだよ」
手を伸べてくれたのは、声のとおり優しい顔をした老人だった。
「はじめまして、わたしはマルタンと申します」
手を取る前に、マルタンはぺこりと頭を下げる。
「うん、聞いているよ、よく来たね、そちらがイサミくんで……えーと、フレイアさんに、メリアさんだね」
老人は残る三人の名前をぴたりと言い当てる。
「あっ……申し遅れました……」
フレイアが恐縮するのを見て、老人は笑った。
「ああ、すまんすまん、わしが先に名乗るべきじゃったな、わしゃガランサス。よろしゅうの」
ガランサスの両サイドに控えている真っ白な肌に白い髪の男女は、彼が名乗るのに合わせて頭を下げる。
「この子らは蛇の子、わしの世話係というか側近というか……そんなところよ」
穏やかな雰囲気に、どこか記憶の奥のお祖父ちゃんを思い出させるような優しい口調。しかし、ガランサスが纏う空気は四柱の長たる荘厳としたものであった。決して周囲をひりつかせるような圧ではなく、あくまでも穏やかな年長者たる威厳の重みだ。彼自身もそれをわかっていて、飄々とした態度でいるのだろうか。
「さて、ここまで来るのにも骨が折れたろう、奥で茶でも飲みながらゆっくり話をしようか」
蛇の子らがフレイアと勇の重たい荷物を受け取って階段を上がっていく。
長い石の階段を登りきると、そこには木造の庵がぽつんとあった。
「……待って、あの岩戸の上には何も……」
フレイアが呟くと、ガランサスは笑う。
「人の子には不可解なことよの、ここはわしの力で作り出した異空間だからね、外からは見えないのよ」
私、来てもよかったのかな、と今更おろおろするフレイアにマルタンは笑いかけた。
「駄目だったら、きっと招かれてないよ」
「そっか、確かに。……だよね!」
気を取り直してフレイアも笑う。
マルタンたちはガランサスに導かれるままに、庵の中へ入っていった。
「さて……クラーヴァからも、デロニクスからも……ケラスィヤからも伝書を貰っておるよ。大変な旅をしてきたんだね」
ガランサスのオールバックにまとめていた真白な長髪の、その一筋がはらりと落ち、湯呑から上がる湯気が、彼の深い皺が刻まれた口角をふわりとぼかした。
「どこまでお耳に入っているのかは知れませんが……」
マルタンのために少し高くしてもらった椅子の上でマルタンは白湯を飲みながら口を開いた。
「この岩戸を開く問いかけにも『万物の流転』を用いられたのは、もしかして」
「その通り。聡いの、マルタン」
ガランサスはマルタンが言わんとすることを理解して頷く。
「その流転が乱れているということも、君たちは知っているのだろう」
四柱には、それぞれ得意とする属性がある。
東を守護するケラスィヤは、木。緑を芽吹かせ、風を呼ぶ春の使者である。
南を守護するデロニクスは、炎。火を起こし、土を生む、華やかなる夏の呼び手。
西を守護するクラーヴァは、金。土の中で鉱脈を育む力を持ち、知恵を人々へ授ける秋の導き手。
そして、ここ、北を守護するガランサスは、水。
鉱脈から流れ出でて、地を満たし、潤し、巡らせる力の持ち主。
それは、厳寒の冬をもたらし、静かな雪の中でたくさんの命が次の春を待つための眠りを享受する存在。
その四つの柱、そして黄金の龍の力の均衡が何らかの理由で乱れ、流転に滞りが生じているという事を、もちろんガランサスも知っていた。何より、彼自身の力が世界に上手く伝わらなくなっているというのだ。
「まるでわしの力を拒むように、この世界はわしらのエネルギーを上手く受け取れなくなっている」
何か知っているか、と問うガランサスにマルタンは頷いた。
「人間の勇者をご存じですか」
「……なるほど、そいつか……」
ガランサスは唸る。存在は知っていたが、それが実際にどんな悪影響を及ぼしているかまでは詳しく知らなかったという。
「悪しき魔族を討伐するという目的を掲げて、各地を回っている勇者の『ユウタ』という人物がいるのですが、彼が力を行使する際にその場所のエネルギーを吸い上げ、魔法を使った後に出る残滓をその地へ流し、汚染してしまっている、と私たちは見ています」
メリアの説明にふむ、と頷くと、ガランサスはしばらくの間俯いて考えていた。
「……なるほどの、その地のエネルギーの受け皿が汚染されたことにより我らの力を受け取れなくなっていると考えると、自然だ」
しかし、彼は自分の力が世界に何かしらの悪影響を与えると理解しているのだろうか。ガランサスはそう言って、湯呑で手を温めながらマルタンを見た。
「詳しく説明することは出来ませんでしたし、説明したところで理解してくれなさそう、というか、魔族に対して強烈なまでの敵愾心があります」
勇がそう言うと、フレイアも頷く。
「私は途中までそのユウタに同行していた者なのですが、彼の行動の動機はいたってシンプルです。自分が英雄になりたい、救国の勇者として活躍したい、というのが透けて見えているというか……」
フレイアの言葉に、ガランサスは悲し気に瞳を伏せた。
「……嫌な予感がする。彼は自分の意思で魔族を厭うて戦っておるのか? 実際に魔族に何かをされたことで恨みでも抱えていると……?」
勇は首を横に振る。
「いいえ、そういった事実はなさそうです。彼が口にするのは、『王の命令』により魔族を根絶やしにするということだけ」
「……見えてきたのう」
ガランサスの横に控えている白蛇の娘がその湯呑に茶を注ぎ足した。
「時にイサミよ、君はそのユウタについて何か思うところがある、そうじゃないか?」
その賢者には、お見通しだった。
勇が元はこの世界の住人ではないこと、感じ取っていたのであろう。
「はい、お察しのとおり、俺はこの世界の生まれではありません。そして、勇者……『ユウタ』もおそらくは俺の生まれた世界と同じところからの転生者と考えています」
――うるさい! 僕はこの世界の『光』だ。すべての人の希望を背負って、この世界を守る勇者だ! 均衡を守る柱など存在しない、存在したとしてももういらない! その役目は僕のものだ!
クーナ湾、デロニクスの神殿にてユウタが吐いた言葉。
それは勇がここに来る前にプレイしていた『救世の光』の中の民の言葉に似ていた。
――あなたはこの世界の『光』です。すべての人の希望を背負い、この世界を守る勇者となる――。
そのフレーズを何度も読んでいたから、あの時激昂したユウタはあんな風に叫んだのだ。
「危うい、脆いな……」
ガランサスはそう呟くと、温かな湯気が立つ茶を静かに啜った。
「そのユウタとやらは、……いわば傀儡やもしれん。その承認欲求に付け込んで、そやつを良いように動かしている――アロガンツィア王の姿が目に浮かぶ」
フレイアは、喉の奥にひゅっと風が通るのを感じた。
「アロガンツィア王が自分の都合の良いように物事を進めようとしているんじゃないかってなんとなく疑ってはいたけど……」
そう、彼女の生家があるエルダリア領地への増税、魔族や他種族への攻撃……様々なことを知った。それを主導しているのは他ならぬアロガンツィア王、世界平和の名のもとに行われる、世界掌握のための謀。
一国の王が表立って動けば、それは覇権を握るための計画であるとすぐさま下々の者に暴かれるであろう。しかし――。
「世界を混乱に陥れる魔族を討伐し、世界を平和に導く『光』である勇者による正義の行使であると位置づけるなら……」
ユウタを操り、己の手を汚さずに『悪』である他種族を排して、その功績を『アロガンツィアが召し抱える勇者』によるものと喧伝したならば……。
「そのユウタとやらもまた、被害者とみることも出来よう」
ガランサスはそう言って、そして静かにその瞼を開いた。しわが刻まれた目尻が少し上がる。白いまつ毛の奥の澄んだ水色の瞳が、静かに揺れた。
「だが、ことの本質に目を向けず、己が戦う理由すら問わずに闇雲に魔力を操り刃を振り回す者には同情できぬな」