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第1話

 ドリュアデスの里に差した朝日と共に、マルタンたちは起床した。

 この北方に位置する森の中で、野ざらしのベッドの上で眠っていたわけだが、ドリュアデスの計らいによってマルタンたちの周囲には温暖な風が吹く魔法がかけられており、一晩快適に過ごすことができたので昨日までの疲れも幾分か癒えたようで、勇は大きく伸びをする。

「気分は?」

 気遣ってくれたフレイアに、このとおりだいぶ良いよ、と答えると、勇はベッドから立ち上がる。

 メリアが眠っていた場所へ視線を移すと、そこにメリアの姿はなかった。

「メリアならまだ空が暗いうちに大樹の方に行ってくるって出掛けちゃった」

「そっか、家族に会いに行ったのかな」

「かな? あ」

 そんな会話をしていると、前方からメリアが帰ってくるのが見えた。

 毛づくろいを一通り済ませていたマルタンは、メリアに大きく手を振る。


「起きてたのね」

「うん、メリアはお母さんに会いに?」

「ええ、大樹のそばに、大樹に続くくらい大きな木があるんだけどそこで暮らしてるの」

 そう聞いて、フレイアは驚いた顔をする。

「長でも妖精さんは王宮とかに住んでるわけじゃないんだね」

「必要ないからね。さて、みんな起きてるなら良いわね」

 メリアは、運ぶのが大変なので薬を取りに来いという。

 大樹のそばに薬の瓶を用意するからそこで、と言い残してさっと飛んで行ってしまった。




 その後は長に面会し、一行は昼過ぎに里を発った。

 昨日までは少し顔色が悪かった勇も、今ではすっかり血色もよくなっている。

「お薬、効いてるみたいだね」

「うん、吐き気とかもないし、本当に酔い止めみたいな感じだね」

 勇はオーレアから受け取った瓶を軽く揺らす。瓶の中には、オーレアが一晩かけて作った薬が詰まっている。陽に透かすと、透明なシロップを固めたような薬がころころと動いた。

「効く薬って苦いと思ってたけどおいしかったからびっくりした」

 メリアが頷く。

「そうね、樹液が甘いのと、ルナカモミラも清涼感があって香りが良いから」

「のど飴みたいですーっとしておいしいのはルナカモミラの味なんだね」

 里を出るときに、オーレアはフィニスホルンまでの道のりを教えてくれた。この里の北から抜けていくと少しだけ近道になるのだそうだ。

 無事に里も元通りになり、これでメリアも安心して帰れると思っていたのだが、この通り、彼女はマルタンたちと同行している。

 里の者たちに感謝されながら発とうとしたところで、オーレアが言ったのだ。「メリアを連れていくと良いでしょう」と。聞けば、昨晩のうちに家族で話し合っていたのだという。勇の能力には不明な点が多い。その中で、明確なことは他者の魔力を吸ったり、地を浄化した際に、その体に魔力をため込むことになるということだ。それを解消するためには、何かしらの魔法の使い手がいた方がいいという結論に行きついたと話すメリアに、マルタンは遠慮がちに頷いた。

 メリアをこの危険な旅に巻き込むのは本意ではないが、勇の命に直接かかわる部分をなんとかリカバリーしてくれる者がいることはありがたかった。物理攻撃がメインとはいえ微力ながら魔法が使えたアドラが今はいない。物理一辺倒のフレイアと、チークポーチバリアしか魔法を展開できないマルタンでは、勇の魔力の渡し先としては適切ではなかった。ここに治癒魔法と光魔法の使い手であるメリアが入ってくれれば、有事の際に助け合うことができる。オーレアはそれを読んで提案したのだろう。

「薬は酔いを醒ますのにはいいんだけど、蓄積した魔力を瞬時に発散できるわけではないからね。また具合が悪くなったら服用しないといけないから」

 マルタンの背に乗って、メリアは薬の用法を説明してくれる。

 今は瓶に入っている分しか薬がないので、これを使い切ってしまえば魔力酔いに対処する手段はなくなってしまう。慎重に行かなければならないことに変わりはない。

 気を引き締めていこうと、勇は進行方向にそびえる山を見上げた。

 雪に覆われたあの山がフィニスホルン。切り立った山の頂には、雲がかかっている。その麓に柱の庵があるという話だが、本当にあんな環境の中に住めるものなのだろうかと思うほど、山も周囲も雪深いそうだ。

 一行は、オーレアに貰った地図の通りに、まっすぐフィニスホルン方面への道を進んでいった。



 フィニスホルンを遠目に見ていた時には存外近いかも、と思っていたのが間違いだった。遠くにあってなお大きく見える山は、歩いても歩いてもサイズが変わらない。道のりはなかなか長かったのだ。寒さに震えながら歩いている勇とフレイアに、メリアはもう幾度目かわからない光魔法をかけた。メリアの魔法には、治癒魔法以外にも何種類かある。そのうちの一つに、光魔法の応用で対象の周囲の温度を上げて温めてやるという手法があった。そのおかげでなんとか凍えずに済んでいたが、体力にも限界が見え始めようかというその時、ようやっとそれと思しき場所へ辿りついた。

 一行が足を止めたのは、開けた場所に出たからだ。何日経っていることだろう。

 ずっと薄暗い針葉樹林の中を歩き続けてきたが、それを抜けた先には足跡ひとつない雪原が広がっていた。

「やっと森をでられた……」

 勇はへなへなと膝をつきそうになる。

「ちょっと、こんなところで休んでたら凍え死ぬわよ。森と違って風を遮るものがないんだから」

「う……そうだね、ちょっと頑張らないとね……」

 見渡す限り雪野原。何がどこにあるのか全く分からない、というよりも、何もないようにしか見えない。だが、手元には地図がある。これとコンパスで方角だけはなんとかわかるから、それに従ってまた北上していくだけだ。吹きすさぶ風の中をひたすらに行かねばならないところがかなり厳しいが、それでも行くしかない。意を決し、勇は一歩踏み出した。真っ白な雪に、二つのヒトの足跡と、エビルシルキーマウスの足跡が続いた。



 オーレアの言葉を思い出す。

 雪原をまっすぐ、ずっと北へ進み続けたら大きな岩戸がある。それが、北の柱がおわす祠に繋がっている。

 その言葉通り、雪原の真ん中、フィニスホルンを背後に、凍り付いた岩戸があった。

「これかな、オーレア様が言ってた岩戸……」

 雪原の中に、ぽつんと巨大な岩戸。明らかに異質である。


 ――やあ、よく来てくれた。


 その時、マルタンの耳に直接しわがれた老人の声が響いた。

「?」

 きょろきょろとあたりを見回すが、誰もいない。

 マルタンは鼻をすんすんと鳴らした。

 匂いも、しない。

「どうしたの、マルタン」

 勇に問われて、マルタンは首を傾げる。

「今ね、声がしたんだけど……イサミさんは聞こえなかった?」

「声?」


 ――我が名はガランサス。……『万物の流転を示せ』


 優しくも重々しい声が、それだけ告げた。

 声は止んでしまい、マルタンは訝し気に岩戸の方を見る。

「声は何て言っていたの?」

「万物の流転を示せ、って」

 近づいてよく見てみると、岩戸の前には円形に流れ続ける小さな川のようなものがあった。

「なにこれ……」

 フレイアは、円を描きながら流れている水を見て目を疑った。

 どの方向に傾いているわけでもなく、どこから水が流れ出ているのかもわからないその川はずっと右回りに一定の速さで流れ続けている。その水の流れの上には、一定間隔で盃のような形の台座が5つ設置してあった。


『万物の流転を示せ』

 その意味を考える。

 ややあって、マルタンはあっ、と声を上げた。


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