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第3話

 セルジュがその人に出会ったのは、母親の死から一年と少しが過ぎたころだった。その日は獲物が通りかからなかったので、旧カルテリア市街地まで出向いて通りすがりから何かくすねてやろうとしていたところ、たまたま見回りに来ていたアロガンツィア兵に目をつけられて袋叩きに遭ってしまった。

 それを、大の大人が寄ってたかって子供に暴行を加えるなんて情けないことです、と注意をしたのが『その人』だった。白い修道服に身を包んだ、優しげな女性だった。図体の大きなアロガンツィア兵三人に向かって毅然と言い放った彼女は、まさか女が意見してくると思っていなかったのかあっけに取られていた兵士をすり抜けるとセルジュの手をとり、走って一緒に逃げ出したのだ。

「どうして」

 そのとき、セルジュはその人に問うた。

 自分は盗みで生計を立てている小汚い孤児だ。

 あいつらが捕まえて殺してしまっても仕方ないようなどうしようもない子供だ、と言った。

 その人――シスターイレーネは、市街の孤児院に勤める女性だった。母親が生きていれば、ちょうど彼女くらいの年齢だっただろう。息を切らして孤児院の扉を勢いよく閉めたあと、彼女は笑った。

 善悪の判断もまだつきかねる子供にこんなことをさせてしまう大人に問題がある、と。

 そんな環境にあなたを追いやった方に責任があると言って、イレーネはセルジュを孤児院へ迎え入れたのだった。


「二年くらい前かな、孤児院への支援金が急に減額されてさ。なんか稼ぐ手段ないかなって新聞見てたらヒーラーの募集があったから、最後の盗みでこの修道服くすねてきたわけ」

 孤児院のクローゼットから何着か拝借してきたという白いワンピースとベール。今ではすっかり『ネージュ様』のトレードマークになっているが、元は粗末な孤児院のシスターたちが着用するものだと、誰が知る由があろうか。

「黙って飛び出てきたのか」

「志願するなんつったら止めるに決まってる。あなたはそんなことしなくていい、ってあの人なら言うから」

「行き先も言わずに出てくる方が心配かけるだろ」

「心配かけたくなかったんじゃないさ、止められたらオレ自身決意が鈍っちまうって思った」

 それで、こんな月の夜にこっそり抜け出してアロガンツィアまで南下していったという。

 孤児院への送金は匿名で寄付という形をとっているが……。

「あの人はとっくにオレが金を送ってることに気づいてるとは思う。だから、オレが今『セルジュ』ではないことは色々と都合がいいんだ」

 女装をやめないでいるのはそういう理由もある、と言ったセルジュに、アドラは納得する。

「……で、ここまで話したってことはあんた」

「うん。そろそろ潮時かなと思ってる」

 セルジュの微笑みに、アドラは底知れぬ恐怖を覚えた。その微笑みは、あの慈愛に満ちたネージュとそっくりそのまま同じだったのだ。

「って言っても、今すぐにじゃないさ。ちゃんと段階踏んで、きっちりやるからな」

「段階?」

「そう。準備とかいろいろあるし。だから、お前も今夜のことは忘れたふりして、オレのこと……高潔なネージュ様として明日からも扱ってくれよ」

「努力する」

 ありがとな、と答えると、ネージュはお礼に、と首に下げたネックレスを取り出した。

 そのペンダントトップはコンパスになっている。

 コンパスに向かって何かをそっと唱えると、淡い光と共に、コンパスの針が北北西を指した。

「はい、マルタンの居場所」

「……は?」

 コンパスを見せながらさらりと告げたセルジュに、聞き返す。

「カルテリア王家に伝わってきた『捜索のコンパス』だ。裏にスライド式の蓋があるんだけど……」

 セルジュはコンパスの裏にある蓋を親指で慎重に滑らせる。万が一にも風で飛んでいかないよう、手で覆った状態でそれをそっとアドラへ向けた。

「なんだこれ……?」

 そこには、柔らかそうな細い白い糸のようなものが一本。

「毛」

「毛ェ?」

 聞き返した直後アドラはハッとする。

「え、マルタンの?」

 ネージュは蓋を閉めると頷いた。

「そ。覚えてるか? エニレヨでのこと」


 ――はい。これで大丈夫です。……あらぁ、本当にふわふわなんですのね。

 そう言って、あのとき『ネージュ』は負傷したマルタンの治療を終えた後にその毛並みを優しく撫でていた。くすぐったい、と身をすくめて笑ったマルタンに優しく微笑んだネージュの手には……。


「あんたあの時マルタンの毛ェ毟ってたのかよ!」

「毟ったって人聞き悪いぜ、ふわふわの毛並みが気持ちよさそうだったから撫でただけで、毛は副産物だ。怪我で抜けたのが手についたんだろ、多分」

 もし故意に毟ったなんて言ったら噛みついてきそうな勢いのアドラをなだめるように言って、セルジュはもう一度コンパスの表面を見せた。

「これは、ケースの中に対象の毛とか爪とか……なんでもいいんだけど、探したい相手の一部を突っ込むとそいつのいる場所を大まかに教えてくれるって代物だ」

「魔道具の一種だよな、なんでそんなもんあんたが……」

「カルテリア王家は魔族に近しい血筋だからな。この通り、オレも魔法は得意な方だ。それでアロガンツィアに目をつけられたんだろうけど。……てなわけで、マルタンの居場所はこれで追える」

 なるほどね、とアドラはコンパスの針が指している方角を確認する。

「それであんたらはあたしたちが行く先々に来ることができたってわけか」

「そーだよ。ユウタは『勇者にはなんでもわかる』みたいなこと言ってたけど、借りたラッパで神託騙りやがってよ」

「借りたラ……?」

「あ、人の手柄を自分がやったみたいにしれっと横取りすることをそういうんだよ」

 イレーネ先生の慣用句でしゃべる癖がうつってたんだな、なんて言いながらセルジュは少し寂しそうにコンパスを見つめた。

「そういうわけだから、お前は必ずまたマルタンに会える」

 オレの正体を黙っていてくれるなら、こっちとしても上手く無傷でお前をあいつらの元に返してやりたいと思ってるからさ、と続けたセルジュの目を見て、アドラはしっかりと頷いた。




 ――一方、フォス・ドリュアデスの里にて。

「へーっぷ!」

 間抜けなくしゃみと共に夜中に目覚めてしまったのはマルタンだった。

「ん、んん?」

「あっ、イサミさん……ごめん起こしちゃって」

「ううん、俺はみんなより先に寝てたし、眠りも浅かったから別にマルタンのせいじゃないよ。寒い?」

 マルタンは木の葉でふかふかにしてあるベッドの上でぷるぷると首を横に振った。

「ううん、この通りお布団がしっかりしてるから大丈夫だよ」

 なんで急にくしゃみで起きちゃったんだろ、というマルタンに勇は笑った。

「誰かが噂してるのかも」

「うわさ?」

「俺がいた世界では、何でもない時にくしゃみがでると『誰か噂してる』っていう迷信があったんだよ」

「……あながち違うとも言い切れないかも」

 噂をするような人――。

 マルタンの事を心配している者たちは、たくさんいる。

 家族に、先生に、水の民の里に残った皆、グラナードも、柱たちもきっと。

 そして、あのアドラの事だから囚われの身となっていても自分の事よりマルタンの事を気にかけているに違いない、とマルタン自身もそう思っていた。

 逆に、マルタンを敵視している人も。

 ユウタだけではなく、アロガンツィア王と、彼らに『悪い大ネズミ』と吹聴されていたならば、アロガンツィア国民たちも。

 いろんな意味で、マルタンはもうただのエビルシルキーマウスの一体ではない。

 複雑に絡み合う因果の中に放り込まれてしまったことは否めないのだ。

「アドラ、大丈夫かな」

 不安げにマルタンはつぶやいた。

「何かあればグラナードさんが連絡をくれるはず。焦らないで行こう」

「うん」

「案外、今頃アドラもくしゃみしてるかも」




「ぶぇっくしょい!!」

「お前、豪快すぎね?」



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