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第8話

 ニフタが去った後にルナカモミラを何輪か摘み取ると、マルタンたちは一度ラナコスの村を経由し、メリアと出会った森へ向かうことにした。ニフタとの戦闘で消耗したようで、勇の足取りは少しおぼつかない様子だったが、無理をするなという仲間たちの言葉に頷きながらも、逸る心のまま歩みを進めた。

 夜を越すときは、メリアの里に近くなってからは熊を呼んで暖を取り、移動時には大鹿を呼んでその背に勇を乗せてもらった。

 無理はしないで、けれど、メリアの故郷を早く何とかしないと。その感情の狭間で揺られながら、マルタンは肉球をぺたぺたさせて山道を歩き続けた。


 一度ラナコスに戻った際にマギーがくれたナッツのクッキーもなくなって、野営も少し苦しくなってきた頃、メリアが意識を失って暴走していたあの街道にようやく到着した。

「戻ってきたって感じだね」

 勇が大きく息を吐く。その視線の先に、メリアが取り込まれていた木があった。不自然に絡んだ木の枝の隙間にメリアがいたことが想起される。

 その先を見ただけでは、ドリュアデスの里がどこにあるのかはわからない。

「こちらよ、ご案内するわ」

 メリアは、里の仲間たちが仮死状態にある今、唯一の生き残りとして一行を導いた。


 案内されて辿りついた先で、三人は絶句する。

 生い茂る木々、そこは時が止まったように静まり返っていた。

 風も吹かない。

 鳥も鳴かない。

 里の中央には、ただ、木漏れ日を受けて静かにたたずむ大樹とそれを囲むように細い木々があるだけだった。

 木の幹をよく見てみると、それぞれに人の顔のようなものがある。メリアの言っていた通り、それは仮死状態のドリュアスだった。彫刻のように木と同化して、眠っている。

「木化した私の仲間の、その奥にある樹が生命の大樹。この里の守り神みたいなものだと思ってくれて差支えないわ」

 そう言うと、メリアはかさかさに乾いている大樹の木肌をそっと撫でた。

「触れても良い?」

 勇は深呼吸を一つすると、メリアの目を見て問う。メリアがしっかりと頷くのを確認すると、勇はマルタンの手をそっと握った。ひんやりとやわらかな肉球の感覚が気持ちいい。

「イサミさん、少しでも気持ち悪くなったらすぐに言ってね」

「うん。無理しない約束だからね」

 二人は頷きあうと、大樹に近づく。バリケードのように囲っている木々の間から、勇はそっとその手を差し入れた。根には複雑に他の木々が絡んでいそうで、到達することは出来ない。そっと触れた木肌に、静かに語りかけるように力を送り込む。


(悪いものはすべて俺に、俺の持てる力は、全て大樹に……)


 祈ると、左手のひらを通じて腕、腕から肩、体が熱くなっていくのを感じる。

 マルタンはハッとして、勇から手を離そうとした。

 それに気づいた勇は、やはりマルタンの手を強く握る。

 温かなのを通り越して、少し熱を帯びている勇の手が桃色のマルタンの手をしっかりと握っている。マルタンは振りほどくこともできず、不安げに勇の顔を見上げた。

「イサミさん、もう……」

「……っ、でも、見て、もう少しだ、きっと」

 大樹の、勇が触れているその場所が淡い光を帯びている。

 止まっていた時が動き出したかのように、涼やかな風が勇たちの頬を掠めた。

「ねえ、聞こえるよ……! イサミ、もう大丈夫!」

 フレイアが勇の背を支えるようにして、それから左腕を掴んだ。

「イサミさん、もういいわ、それ以上はあなたが……」

 メリアも、勇の肩を一生懸命後方に引っ張る。

 一度離せ、と説得するフレイアの顔を振り返り、勇は苦し気に眉を寄せながら笑った。

「聞こえる? の? 何が……?」

「鳥が鳴いてるんだ、イサミの力、ちゃんと働いてる。とりあえず樹は大丈夫だから……ねえってば!」

 ついにフレイアの腕が勇の左腕をぐい、と引っ張った。大樹から勇の手がようやく離れる。

 大樹に手をついて立っていたようなものだったのか、勇は反動で後ろへ、フレイアの胸に倒れこむように脱力した。

 馬鹿力のフレイアでも意識のない成人男性の体重がいきなりかけられたことで、尻もちをついてしまう。

「うあっ……いってててて……」

 素っ頓狂な声を上げ、フレイアは苦笑いを浮かべる。

 彼女が笑えたのは、大樹が潤いを取り戻して風を呼んだから。静まり返っていた鳥は歌い、大樹を取り囲む木々が、静かにその固い枝を解いていったから。

「フィオラ……!」

 メリアが、すぐそばにあった木の幹に手を伸ばした。木目になっていた肌が白く柔らかな生気を取り戻し、頬に薄紅が差す。

 その名を呼ばれた娘が、ゆっくりと目を開いた。

「……メリア?」

 ぼんやりとした顔で娘はつぶやき、そして木に埋め込まれている自分の身体を見下ろし、何が起きていたのかを瞬時に悟ったような顔をする。

「ああ、そっか、私……」

 里に緊急事態が起きていたんだね、とフィオラは言った。桜色の唇が、少しずつ艶を取り戻す。思わず目を見張るほどの美貌を持つフィオラに、フレイアは見とれてしまって少しの間ものを言えなかった。

「……えと、人間さん? 二人も……もしかして、この里を助けるために何かしてくれたの?」

 メリアは頷く。

「そう、この人たちは私たちの恩人なの」

 私が自我をなくして暴れていた時にも助けてくれた、と続けると、フィオラは樹の幹からやっと這い出て勇の前に降り立った。

「ありがとうございます、姉が、お世話になりました」

 なんとか意識を保っていた勇は、上がってしまった息を整えながら「姉?」と聞き返す。

「フィオラと申します、メリアの妹にして、フォス・ドリュアデスの長の娘です。母は……」

 視線を巡らす。どの木だったのかわからなかったようで、少し不安げな顔をしていたフィオラの背後からロングトレーンのドレスを引きずるようにして現れた影があった。

「ごめんなさいね、あなたより少しだけ早く目が覚めたのだけど、有事に備えて後方に控えていたのよ」

 落ち着いた低い女性の声。それが、メリアとフィオラの母であった。

 彼女が歩いた足跡から、ひとつ、ふたつ、と緑が芽吹く。

「わたくしはこの里を統べるもの。オーレアと申します。皆様を歓迎いたしますわ」


「あの、人間が……入ってはいけないところだったんです、よね」

 すみません、と勇は謝った。勇の背を支えながら、マルタンもぺこ、と頭を下げる。

「まあ……何を仰るの。確かにドリュアスは人と交わらない存在ですが、あなたたちは善意でわたくし共を救ってくださったのですもの、不義理なことは致しませんわ」

 それよりも、とオーレアは心配そうに勇の顔をのぞき込む。

「不浄なるものをすべて一身に受けたのですね、この里を救うために命がけでそのようなことを……。メリア、大樹から樹液を少し貰っていらっしゃい」

「はい、母様」

 メリアは大樹が元に戻ったなら樹液を少し分けてもらえる、と考えていたが、それは正しかった。この里の長である母も、魔力酔いの症状を瞬時に見抜いて回復に役立つものとして樹液を採取するよう提案したのだ。

 木に向かって手を合わせ、お恵みください、と小さく祈ると、メリアは短剣で木に小さな穴をあけた。周りの木から起きだしたドリュアデスの中にはオーレアの侍女もいたようで、長の指示に従い、木製のカップを持ってきてメリアに手渡してくれる。

「一時的な回復には樹液だけでも効くけれど……」

 オーレアは眉を寄せた。

 マルタンが「あ」と小さく声を上げて、フレイアのリュックの中からルナカモミラを取り出してオーレアに見せる。オーレアはほっとしたように微笑むと、答えた。

「あら、ご存じだったのね、調合方法は知っていらしたの?」

 混ぜ合わせると良いという事しか知らなかったマルタンは、詳しい作り方はわからなくて、と答える。それならば、とオーレアは指をぱちんと鳴らし、その手に乳棒と乳鉢を取り出した。

「せめてものお礼にわたくしが」

 一日かかりますからその間は里でお休みくださいな、と言ったオーレアの厚意を受けて、一行は、里の奥にある柔らかい草で編まれたベッドを借りることになった。サイズこそ小さいが、並べれば眠るには十分だ。


 その夜、自分たちが仮死状態になったのにはどういう経緯があったのかを、フィオラが知りたがったのでメリアは簡単に説明してやることにした。

「地のエネルギーを奪って汚染する……生命の大樹が苦しんでいたのはその人のせいだったんですね」

「あの日、私が採取に出ている間に何があったのかフィオラは覚えてる?」

「唐突に濃い瘴気が里を包んだの。大樹が耐えられないって悲鳴をあげて、それで……私たちも耳鳴りがひどくなって、体の自由が利かなくなって……」

 それで、仮死状態に移行したという事。

「里を守るため、今までは大樹が瘴気をせき止めていたのね、きっと。許容量を超えた瘴気があふれてしまったって考えるのが自然だわ」

 メリアは唸る。

 ベッドに横たわる勇は、採取した樹液を気付け薬にしていたため、元気に動けるまでは回復していないが、会話ができるくらいにはなっていた。

「改めてユウタの力って厄介だね」

「イサミさん、もう喋っても大丈夫なの?」

 マルタンが勇の手を握り、顔をのぞき込む。

「うん、だいぶ気分もマシになってる。樹液のおかげだね」

「よかった、けどまだ油断できないから無理はしないで」

 勇が頷くのを確認すると、マルタンはほっと息を吐いて、そしてわずかに微笑む。

 少し眠ったほうがいいんじゃないかな、と言うマルタンに、そうさせてもらうね、と答えると、ようやく勇は瞼を閉じた。

「……そういえば、そろそろ追ってきているはずのユウタさんたちと鉢合わせてもおかしくない気がするけれど……」

 ぽつり、とマルタンが呟く。

 森の木々が、その不安を受け取るかのようにさわさわと揺れた。


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