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第7話

 ぐったりとしている勇に取りすがるようにして、マルタンはぼろぼろと涙を流す。

「どうしよう、イサミさん……! イサミさん……!!」

 息こそあるが、顔面は蒼白、体温は急速に下がっていっている。魔力酔いに詳しくないマルタンでも、これが重症であることくらいはわかった。

 痛々しいまでのその様子を見つめ、アレスは気まずそうに視線を逸らす。その紅い瞳の視線の先に、波打つ黒髪が靡いた。

「セリスィ……?」

 そして、セリスィは無言のまま何かが入った小瓶を投げるようにしてフレイアに渡す。

「……持っていけ」

「えっと……まって、これは……?」

 困惑するフレイアに、メリアは横からちょっと貸して、と小瓶を受け取る。

「……魔力酔いの酔い覚ましね」

「我々は非常時に備えて必ず持ち歩いている物だ。そいつに飲ませろ」

 この量でも意識くらいは戻ってくる、とセリスィは続けて、そして目を逸らす。

「いいんですか、ありがとう……!」

 マルタンは顔をあげると、涙でべちゃべちゃに濡れてしまった目の周りをくるくると毛づくろいして、セリスィに頭を下げた。

「……」

 セリスィは答えない。傍らのアレスは、自分の横に戻ってきたセリスィに意図を問う。それでも、黙したままだ。

 マルタンが小瓶の中身を勇に飲ませる。意識がないせいで口角からこぼれてしまうので、慎重に口内でなじむのを待つように、ゆっくりと少しずつ流し込んでいくと、瓶の三分の一が減ったところで勇が盛大に咳き込んだ。

「イサミさん!」

 マルタンにかからないように顔を背けて、何度かゲホゲホと咳をすると、ひゅー、と喉を鳴らしてから彼はやっとマルタンを見る。

「あれ、寝ちゃってたのかな、俺どうしてた……? ニフタたちは……?」

 意識が飛んでから、一瞬の感覚だった。

 勇は状況を把握できておらず、小瓶を持ったまま自分に抱き着いてくるマルタンの背中を撫でることしかできない。

「魔力酔いのかなり重たい症状がでたのよ、その子の様子で察して頂戴」

 代わりに説明をしてくれたのはメリアだった。

「魔力を明け渡しても酔いって醒めるどころか悪化するんだね……ところで、そのポーションは?」

「あなたのは特殊だわ。あんな馬鹿みたいな量の魔力を受けて流してって……もともと魔力を有さない人間だもの、体が負荷に耐え切れなかったのよ」

 呆れたように言って、メリアは少し笑った。

「酔い覚ましはセリスィがくれたの」

 改めてありがとうございます、とマルタンはセリスィに頭を下げる。セリスィはわけのわからないものを見ている感覚になった。

 あの男をこの状況になるよう追い込んだのはニフタたちだというのに、そのニフタに頭を下げている。戦っておきながら互いに助け合っているのだから、全くもって意味が分からない。複雑な表情のまま、セリスィは口を開いた。

「……礼を言われるようなことではない。お前たちの事情はわかった。私たちはこのままここを退く。後は好きにしろ」

「セリスィ……?」

 背を向けて去ろうとするセリスィの風を受けて、アレスの肩までの黒髪がふわ、と靡く。

「好きにって……」

 フレイアが何かを問おうとする。アレスは遮るようにして答えた。

「見なかったことにする、という話だ。あとは、わかれ」


 メリアは大きな独り言のように言った。

「それにしても、ドリュアデスが魔力の枯渇なんてね。元来魔力が強すぎるが故に魔力酔いの薬を持ち歩いているようなあなたたちニフタがどうして」

「……」

 ほとんど推測できている口ぶりに、アレスは苦い顔をする。やっとセリスィが振り返った。

「……メリア、お前わかっていて聞いているな?」

「さあ? どうかしら」

 はぁ、と深くため息をつき、セリスィは観念したように話し始めた。

「気づいているんだろう、あの大樹に」

 セリスィが指さす先には、大樹などと呼べないほどに貧相な、枯れかかった細い木があった。それが特別な存在であることなど、ドリュアデス以外にはわからないようなひょろりとした木に、残りのポーションを飲み終えた勇は目を丸くする。

「……大樹……?」

「フォスにもニフタにも、ドリュアデスの里には大樹があるのね。ニフタの事情は私も詳しくは知らないけど、私たちと同じならばあの木と力を分け合って生きているのではないかしら」

 そうだとすれば、あの短時間の戦闘であっという間に魔力が枯渇したことにも説明がつく。

「私たちに比べればニフタの方々は戦闘慣れしていて、こういうケースにも何度も直面してきたように思うけど、ルナカモミラのためにあそこまで必死になるなんて妙だなと思っていたのよ」

「お前の見立て通りだ。私たちはあの木と共生している。あれが枯れ始めてから、私たちは魔力のバランスを取るのが困難になった。あるものは枯渇し、あるものは逆に膨大なエネルギーを唐突に木から受けて酔った」

 なるほどね、とメリアは頷く。

 ルナカモミラを死守するのは、元から魔力酔いしやすい種族故にポーションが必要なのはもちろんの事、魔力の枯渇の際にもこの花を用いることがあるためだ、と。

「そうか、そんな大事な花を分けてって言われたら困るよね……」

 勇は俯く。そこに、焦れたようにセリスィが怒鳴った。

「だから、好きにしろと言っている」

「えっと……」

「仲間を救ってもらった対価だ。別にお前たちの侵入を許したわけではない。用事を済ませたらとっとと去れ」


 とことん人間が嫌いなんだなあ、とフレイアは困り顔でセリスィを見る。そして、あ、と小さく声を上げた。

「……あなたたちが人間を嫌うのって、もしかして、ここから北の方にある丘に関係ある?」

 セリスィはフレイアを黙ったまま見つめた。

「今はその丘はラナコスっていう村の領域になっているけど、過去にはルナカモミラが咲いていたっていうから。丘は遥か昔にはここと地続きの林になっていたって古地図で見た。もしそうなら、あなたたちは……」

「知っていたのか?」

「私は実際に見たわけじゃないけれど、ラナコスの郷土史で読んだんだよ。もしかしてって思ったけど、やっぱり何代も前のラナコスの村長が開発であなたたちの土地を奪ってしまったという事だよね」

 フレイアの言葉にセリスィは少し考えて、そして頷く。

「そう。それをわかっているならば我々が何故人間を好かんか、わかるな?」

「もっともだと思う。自分たちの村の開発のために自然を切り崩してあなた方の土地を奪い、資源を奪い、ルナカモミラを枯らした、身勝手な生き物だ」

 セリスィはフレイアがはっきりとそう告げたのに驚き、言おうとしていた言葉を飲む。フレイアは次期領主然とした顔つきをしていた。

「本当に、申し訳なかった。私たちの祖先があなた方に働いた非礼、蛮行を許してほしいということは出来ない。時間がかかることだとは思うけれど、あなた方への謝罪と補填に値することをしたい。だから……」

「良い。お前には関係のないことだ」

 遮って、セリスィは顔を背ける。

「お前がやったことではないのだろう」

「それでも、あなた方が人間そのものを憎む土台を作ったのは私と関係のある者がやったことだ。その人はもうこの世にはいない。誰もこの関係を改善できないのならば、今生きている私がやるしかないんだよ」

 セリスィはほんの少しだけ振り向くと、目の端にフレイアをとらえて「好きにしろ」と呟いた。


 勇はその言葉を聞いて、ふらふらと立ち上がる。

「イサミさん、まだ無理しちゃだめだよ」

「うん……でも、ちょっと緩和したみたいだし、その、樹……」

 枯れかかった木を指さす。

「少しでも浄化できれば、ニフタたちの症状は楽になるんじゃ、ない?」

 は? とアレスはあっけにとられて固まってしまった。

 浄化? 何を言っているんだ?

「そうかもしれないけど……その前に、イサミさんは大丈夫なの?」

 マルタンは大樹へと近づこうとする勇の手を支え、見上げる。

「うん。メリアの時みたいに、浄化なら加減できるから」

 敵の魔法を吸収する場合と違って、自分の意思でエネルギー量を調整できると気づいた勇は、そう答えた。

「絶対に無理しないって約束する?」

「する」

「次倒れたら、さすがのマルも怒るよ」

「うん」

 マルタンと勇は顔を見合わせると、少し笑った。

 この場に似つかわしくない柔らかな雰囲気に、アレスは逆に圧倒される。

 ――なんだ、この二人は。

「浄化だと?」

 セリスィは慌てて勇の進行方向を遮るように立つ。

「はい、俺は魔力の残滓で汚染されているところを浄化する力があるらしいんです」

「……そんなことが……」

「事実よ。それで私は仮死状態兼暴走状態にあったのを助けてもらったから」

 否定しようとしたセリスィを遮ってメリアは説明してやる。信じられない、という顔をしているセリスィに勇は提案する。

「今は万全な状態とはいいがたいので完全な浄化はできないかもしれないんですけど、少しでも樹が回復してくれたら状況が良くなるかもしれない。少しだけ、試してはいけませんか」

 迷っているような素振りを見せるセリスィにメリアは焦れたように言った。

「まさかこの人が樹を傷つけるようなことをすると思って? 自分を犠牲にしてあなた方のために魔力を分けるようなことをした人間よ?」

 あんな短時間に魔力酔いから枯渇へ移行したら倒れるに決まってるのにね、と続け、勇へ視線を向ける。

「本当にやるの? 体内にはもう魔力は残留していないし、酔いも醒めたとは思うけど後遺症が無いとは言い切れないわよ」

「やるよ、それがこの世界とニフタのためになるなら」

 もう、その時には勇はマルタンの手を握って樹に触れていた。

 固唾をのんで見守るフレイアとニフタ・ドリュアデス。

 木の根に手をあてていると、淡い光が舞い始めた。

 からからに乾いていた枝が光に包まれて、生き生きとした緑を芽吹き始める。

「樹が……」

 信じられないものを見るような目で、セリスィはそう呟き、ふらふらと樹に歩み寄って触れた。

「……生気を取り戻してる」

 初めて嬉しそうな顔を見せたセリスィに、アレスも自然と口元が緩む。

 だんだんと息が上がってきて、勇は樹から手を離した。マルタンに支えられるようにしてなんとか立っている勇に、アレスがおずおずと近づく。

「……使え」

 手には、セリスィがくれたものと同じ瓶が握られていた。

「足りるんですか、あなたたちの分……」

 大きく息を吐きながら勇はそう言った。アレスは驚きを通り越して呆れる。

「この期に及んで人の心配か。お前の方が消耗している、優先度が高いのはお前だ」

「……ありがとう」

 アレスから小瓶を受け取ると、勇は笑った。

 よくわからないものを見ているような顔で、アレスは頷くと、踵を返す。

 セリスィと顔を見合わせると、ニフタ・ドリュアデスたちについてくるよう声をかけた。

 その背中に何か声をかけようとした勇を遮り、セリスィは声を上げる。

「大樹の回復に寄与してくれたことは感謝する。だが、我々は簡単に人間を許すことは出来ない。好きにもなれない」

「過去にあなた方にしてしまったことが大きいから、当然と思います。許しを請うつもりはありません、ただ……大樹が枯れるのは我慢ならなかったから」

 勇がそう答えると、セリスィは背中越しに答えた。

「……好きにしろ。だがお前たちの行動を見ている者が存在することを忘れるな」

「はい、恥ずかしくない振舞いを心がけます」

 毅然とした態度で、勇ははっきりとセリスィの背に誓った。

 ニフタたちはその言葉を聞いて、去っていく。

 後には、月光に照らされて優しく光るルナカモミラが揺れていた。



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