「ようこそ、エルダリア別邸へ。わたくし、ここの管理を仰せつかっておりますバーソロミュー=エルダリアと申します」
白髪に銀縁眼鏡のその人は、夕餉の席でにこやかに挨拶をしてくれた。彼が、フレイアが幼いころから慕っている『バート』であることはすぐにわかった。というのも、この屋敷にはほかに使用人がいない。いくら小さな屋敷とはいっても、老齢の二人でこの屋敷を維持していくのは容易ではないだろう。バートの方は書類の整理をしていると先ほど言っていたから、掃除や屋敷そのもののメンテナンスはマギーがしているのだろうな、とマルタンはなんとなく思った。
「わたしはマルタンです、こちらは一緒に旅をしているイサミさん」
「ドリュアスのメリアです」
それぞれが名乗ると、バートはよろしく、と微笑んで、そしてやはりメリアに視線を向ける。メリアはというと、普通の椅子ではどうやっても食卓のテーブルに届かないので、椅子に分厚い本を何冊か積んだその上にブランケットをかけてもらって、なんとかテーブルに届くようにしてもらっていた。
「ここからでもマギーがはしゃぐ声が聞こえていたよ、すまないねえ」
「ふふ、良いんですのよ。バーソロミューさんは私を見ても驚かれませんのね」
「驚いておるよ、これでもね。幼いころに絵本で見た妖精さんとそっくりだ。なあ、マギー」
バートは隣に座っているマギーに顔を向けると、愛おしそうに笑う。マギーは幸せそうに深く頷くと、本当ねえ、と答えた。
「ところで、バートはずっと書類の整理をしていたみたいだけど……なにかあったの?」
野菜が入ったオムレツをナイフで切りながら、フレイアは問う。いつもなら書類整理なんて午前中に終わらせて庭いじりしてるじゃない、と続けると、バートはうーん、と唸った。その目の下にはクマができている。それに気づいて、フレイアは聞いたのだ。
「エルダリア領にかかっている税金がここのところ上がり続けていてね……」
「え、何増税? なんで?」
「軍費の拡大だそうだ、魔族から国を守るための防衛費と、魔族の拠点へ攻め込むために必要な経費を賄うためと聞いているが、正直内訳をみてもわかりにくいし納得いかないのだよ」
王国側の報告が杜撰だ、と。それを聞いて、フレイアはカトラリーを静かに置いた。
「……私、なんの疑問も持たないで勇者のパーティに加入して活動してたけどさ、宿はやたらいいところを用意してもらってたし、食事も毎食かなり良いものを各地でごちそうになってた。それ、全部経費だったんだね」
そして、握った拳に力を込める。
「フレイア、あまり強く握ってはだめよ」
痕が残る、とメリアは小さな手でフレイアの手の甲をさする。ありがと、と短く答えると、フレイアはぽつりぽつりと話し始めた。
「軍備の拡大っていうけど、私、今まで旅してきてその必要はないって思ったよ」
バートも食事の手を止めて、聞き返す。
「そうなのかい」
「うん。魔族が勢力を拡大しているっていう話は正直眉唾だし、確かに暴れているモンスターとかもいたにはいたけど、なんか訳ありって感じだったし」
勇たちが思っていた以上に、フレイアは自分の旅をよく振り返り、考察していたようで、クーナ湾での事象についてもバートに説明してくれた。
「勇者殿の、特殊な力ね……」
「どう思う、バート。はじめは私もよくわかんなかったけど、いろいろ考えてみたら確かに不可解なことが多かったんだ。ユウタが力を使った後、草木が枯れたり動物の様子がおかしくなったり、そこに因果関係があるって初めは気づけなかったけど、マルタンたちが教えてくれてから、全部のピースがハマってく感じっていうか……」
本当に、ユウタのせいでいろんなところに悪影響が出てるんじゃないかって。と続けて、フレイアは俯いた。
「それは、確かな情報なのかい」
バートの問いに、メリアが答える。
「本人には聞いていないし、認めるとも思えないのだけど、彼が魔法を使う際に周囲のエネルギーを吸い取っているってのは何件も事例があるから立証できるわ。そして魔法を放った後の残滓で周囲を汚染しているというのは、彼の気配がその残滓に残っていたから間違いないわ」
「ほう」
「もっとも、私の能力を信じてくれるのなら、ですけど」
バートは少し考えた後で、静かに口を開いた。
「フレイアが見てきたこと、そして貴方が感じ取ったこと、私は信じたい気持ちだよ。そうだね、私の方でもユウタ殿が行軍したルートで何か起きていないか、同じアロガンツィア領内の荘園領主や村長になら尋ねることができそうだから、調べてみよう」
「本当に? それと、増税に関しても調べてもらえる?」
すべての地域で税の値上がりが起きているのか、気にならない? とフレイアは言った。どの地域にどれほどの税金がかけられているのか、この世界では公に知る手段はないのだという。別に秘匿しなければいけないというルールもないので、やり取りのある領主たちからならば情報を得ることが可能だろう。
どうしてそんなことを知りたがっているのだろうという顔をしたメリアの横で、勇がなるほど、と呟いた。
「特定の地域のみ増税しているなら、その地域の勢力を削ぐ意図がある場合が多いものね」
生前の勇が過去に習った歴史では、経済的にその地域を圧迫することで、野心を持つ者による政権交代を起こせないよう圧をかけるようなことが多くあった。もちろん、それが行き過ぎた結果は――。
「やりすぎると、逆に暴動、反乱、革命の誘発剤になることが多いけれど」
フレイアは「そゆこと」と答え、やっとメインディッシュに手をつけた。
「エルダリアは魔族に対して強い敵愾心はないし、基本的に中立の立場なんだ。王様は魔族を根絶やしにしろって確かに言ってた。私たちみたいに中立派や、穏健派の領主はひょっとすると王様から攻められるまでしなくても、邪魔だと思われてるって可能性はあるよね、と思って」
そう考えると早めにパーティ抜けといてよかったかもなぁ、というフレイアに、バートも同意する。
「あまり考えたくないが、何かあったときにフレイアを交渉の材料に使うようなことが起きてもおかしくはないね」
「ま、おとなしく交渉材料になるフレイア様じゃないですけどね」
からからと笑い、フレイアはマルタンへと視線を投げる。
「マルタンも見たでしょ、私結構戦えるほうだって」
「はい、おっきいハンマーぶんぶんしてかっこよかったです」
きらきらした目でフレイアを見上げるマルタンに、フレイアは自分から絡んだくせに少し赤面してしまう。
「……そんなまっすぐ褒められると照れる」
「ほんとです」
屈託のない笑顔で言うマルタンに、マギーもどこか誇らしげに頷いていた。
「それで、明日から出かけるんだったね。まずはどこへ行くんだい」
まだ何も聞かされていないマギーとバート。
「まずは西の方のドリュアデスの里を助けにいく」
フレイアはそう言って、あ、と勇の方を見た。
「そーいや聞いてなかったや、どうやってドリュアスの里なんとかすんの?」
「ルナカモミラっていう花は知ってる? まあ、いろいろあってそれが必要なんだけど、この村の南に群生してるってことしかわからないんだよね」
腕を組むと、フレイアはうーんと唸った。
「初めて聞いた名前だな、マギーは? 知ってた?」
「ええ、ルナカモミラなら私が小さいころにラナコス村内の南の丘に生えてましたよ。でも群生というほどではなかったわね……」
ルナカモミラは、銀色の花芯を持つ白い花だという。
人間たちからすると特に薬効があるわけでも華やかな花でもないので雑草という括りで認識されてきた花だそうだ。かつてはそこかしこに自生していたのだが、開拓の際に土地をひっくり返して根ごと処分してしまった地域がかなり存在するとバートは言った。
「それじゃあ……」
「何代か前の村長の時に、ラナコス村は南側へ拡大したのだけれど、その際に群生地を潰してしまった可能性があるね、マギーが丘で見たのはその残りだったのかもしれん」
そんな、と勇は肩を落とす。
「でも待って、グラナードさんからもらった情報ではラナコス『の』南ってことだったよ、丘よりもさらに南、村から出た先なんじゃないかな」
マルタンが冷静に分析すると、バートもそれに頷く。
「そうだね、ルナカモミラは村でも南の方にしか生えていなかったから、ルーツはここより南の方なんだろう。探してみる価値はあると思うよ」
マギーがあっ、と声を上げる。
何かを思い出したようだ。
「私ね、親の言いつけを破って夜に丘へ遊びに行ったことが一度だけあるの。ルナカモミラは夜になると蛍みたいに光って綺麗だって旅の人が言っていて、どうしても見たくて……、それは見事だったわ、月の光を浴びると、あの花は白く淡く光るんですよ」
勇とマルタンはそれだ、と顔を見合わせる。ルナカモミラが光る時間帯に合わせて丘を越えれば、もし群生地がそこより南にあるならば見えるだろう。
「……マギー、そんな危ないことをしてたのかい君という人は」
「お転婆マギーをお忘れですか貴方」
二人の笑い声を聞きながら、緊張がほどけていく。
先刻までの空気が一変すると、穏やかな何でもない雑談の声とともに夜は更けていくのだった。