それから数日が経っての事だった。
――アロガンツィア王城、謁見の間の扉が開いた。
王城の兵士の一人が、高らかに宣言する。
「勇者、ユウタ殿のご帰還!」
管楽器のファンファーレと共に、
王の傍らに控えるグラナードは、アドラの姿を認めたが、知り合いだということを悟られないように表情を変えず、静観する。
「ただいま戻りました」
ユウタは王の前で片膝をつき、頭を垂れた。
「よくぞ戻られた。――街道の魔物の件、ご苦労であった。……面を上げよ」
ユウタはゆっくりと顔を上げて、立ち上がり、堂々と報告する。
「はい、木の属性を持つ魔物が暴れておりましたので、鎮圧して参りました」
「ふむ。貴殿に大事なくて安心したぞ。して、ロベリア嬢は初陣であったな。存分に力を発揮できたかね」
しっかりと巻いたチャコールグレーの髪を揺らして、マーメイドドレスの女は顔を上げ、答える。
「緊張しましたが、お役に立てるよう精一杯努めましてございますわ」
長いまつ毛に縁どられたフューシャピンクの瞳を細め、ロベリアは微笑む。その後ろに控えるアドラは、何か言いたげな目でそれを睨んだ。
(……ッ)
ブーツの中に隠された足環から、電流のような刺激が走り、アドラは一瞬顔をしかめる。
ロベリアだ。この程度の術ならば、詠唱無しでかけることができるようだった。頭を下げていたはずのアドラが身じろぎしたのを感じ取り、戒めたのだろう。
「それは何より。今後もユウタ殿の支えとなってくれたまえ」
「はい、仰せのままに」
ロベリアは優雅に膝を折って王に礼をする。
「して、その後ろに控えている娘は……? 見ぬ顔だが」
王城へ戻るまでの間、ユウタは連絡をしていなかった。アドラを捕縛したことも、――アイザックを見捨ててきたことも。
「彼女は、私たちが木の魔物と交戦している際に通りかかった村娘です。アイザックが倒れてしまって困っていた時に、手を貸してくれたのです」
――でたらめ言ってんじゃねえ。
そう言いたかったが、王への謁見ということもあり、アドラは行動も言葉もロベリアによって厳重に縛られている。口を開くこともできずに、穏やかな笑みを作らされたまま、小首を傾げる他なかった。
(畜生、こんな表情も動きも、普段ならぜってえしねぇぞ)
ロベリアの思う通り、操られる。捕縛されたことはもちろん、それは屈辱的なことだった。
「そうかそうか、して名は?」
「それが、わからないのです、彼女は口を利けない可哀想な娘なのです」
「……ッ」
アドラは力を振り絞って口を開こうとする。瞬間、また足にバチンと痛みが走った。
(クソ……)
歯を食いしばって、俯く。
「おお、そうであったか、気の毒に……だが、なにゆえその娘をつれてきた?」
それに、アイザックはどうしたのだ、と王に問われ、ユウタはぽろ、と涙をこぼして見せた。
「……」
「まさか……」
「はい……彼は……」
あの森で私を庇って、そのまま命を落としました。
そう言ったのだ。
ロベリアも両の手で顔を覆う。ネージュは、身じろぎ一つしないでまっすぐ立っていた。
グラナードは三人の異様な態度に、思考を巡らせる。
――アイザックがどうなったかはマルタンたちからは聞いていないけど……おそらく、死んだというのは嘘だろう。そもそも、ユウタが到着したときにはもう事件は解決していたのだから、戦闘になる相手といえばマルタン一行しかいない。あのマルタンが、人の命を簡単に奪うとは思えないし、もし殺してしまったのであれば――きっと後悔の念と共に私に報告するはずだ。
「……そうであったか……」
ヘイゼルの村へも訃報を出さねばな、と王は項垂れ、そしてユウタの顔をまっすぐ見つめて言った。
「やはり魔族は凶悪、見過ごせぬ。何としてもあれらを止めねば」
「はい。私も、より一層気を引き締めて……アイザックの仇、必ずや――」
クーナ湾で海賊に襲われ命を落とした仲間たちの分も……! と涙を流すユウタ。とんだ茶番だ。クーナ湾の出来事まで魔族に責任を押し付けているのか。グラナードは苛立ちを顔に出さないよう、その顔から表情を落とした。すんとした顔で佇んでいるグラナードを見て、アドラは彼が真実を理解していることを悟る。
(そうか、マルタンたちが報告してくれたんだな……)
それに、こいつは頭が回る方だ。あたしがどういう状況にあるのかも、ある程度わかっているんだろう。今は耐えるべきであることも、すぐには命の危険もないだろうことも、きっと。そう思って、アドラは静かに俯いた。
「ユウタよ、次の討伐地はどこになる? 貴殿の予知の力、また頼らせてもらおう」
ユウタが涙を拭くと、王が切り出した。予知? アドラは視線を足元に向けたまま、話を聞く。
「はい……。先日見た夢によりますと、次なる巨悪は北に――フィニスホルンの近辺に」
そうかそうか、と王は頷く。
「貴殿が晴らしてくれた霧の森の、あの霧がまた発生したことにも、関係があるのやもしれぬな」
その言葉を聞いて、アドラは疑問を抱く。
――王は、エニレヨやそれに続く柱の話の報告を正しく受けていない……?
見栄っ張りなユウタのことだ。柱のことは『少し強いモンスター』としてしか報告しておらず、それを一応討伐したということにして虚偽報告している可能性がある。実際は柱のうち誰一人として討ち取っていないのだから、再度襲撃してきてもおかしくはないはずなのだが、向かう先はいつもマルタンがいる側の地域で、それで出くわす。
(毎回マルタンの方狙ってくるのも謎だし、正確にマルタンをストーキングしてんのも謎だし、どういう……)
アドラがぐるぐる考えていると、ユウタが口を開く。
「あの霧も、きっと北にいるモンスターのせいなのでしょう」
(またでたらめこきやがって)
言いたくても言えないもどかしさに、アドラは眉を顰めた。
霧が発生しているのは、力を取り戻したケラスィヤのおかげだ。あの位置に霧をかけることができるのは、四つの柱の力の均衡のおかげなのだから……。
「霧のせいで瘴気が増し、作物の育ちが悪くなるという話もしておったな、やはりモンスターを討伐し、霧を晴らさねばなるまい」
霧が瘴気? そんなことをしたら、魔族防衛学校の近隣の獣人や亜人の村にまで支障がでる。人間や大地に影響を及ぼすような瘴気は、魔族にとっても有害なものとなる。あの霧が瘴気であるわけがない。討伐者による侵入を阻むための障壁にすぎないのに、何を言っているんだこいつ。
魔族にとって瘴気は良質なエネルギーとなるのでしょう、なんて続けるユウタ。どこまでも自分の都合の良いように話を通しているということがわかり、アドラはイライラを抑えきれない。もし体の自由が利いていたら、ユウタにつかみかかっていたかもしれない。捕縛されている状況は決して好ましいことではないのだが、今回ばかりは少しありがたかった。
(ここでこいつらの話を聞いておくことで何か役に立つかも……)
そのためにも、命を奪われるわけにはいかない。
――あたしの前でぺらぺら情報をしゃべっているのは、マルタンや勇にあたしをけしかけて殺した後、あたしを処分する気でいるからどうでもいいと思っているんだろう。それくらいわかる。
アドラは横目でユウタを見て、そうはさせないと己に誓った。
「勇敢なるアロガンツィアの勇者よ、次の地でもどうかその力で平和への道筋を……」
王は玉座から立ち上がると、ユウタに歩み寄り、笑顔を向ける。
「ともに、リベルテネスを安穏の世界へ導こう」
「はい、王様……!」
報告の開始時と同じようにファンファーレの中、謁見の間を出るとユウタは王城のホールでアドラの顔を覗き込んだ。
「ひやひやしたよ、ロベリアが注意してくれたおかげで何もなかったが……いいか、自分の立場をしっかりとわきまえておいた方が良いぞ」
ユウタの秀麗さに目がくらんでいる町娘なら、この距離でモノを言われればきっときゃあきゃあ騒ぐか卒倒するかのどちらかなんだろう。最も、アドラは初めからユウタの顔なんて好きでも何でもない上にこいつの本性を知っているわけだから、その距離には嫌悪感しかないのだが。
「……」
「やあ、お疲れ様」
足音も立てず、ユウタの背後にグラナードが立っていた。驚いてユウタは振り向く。
「あ、ああ、近衛隊長殿……。何か?」
「うん、フィニスホルンとは、寒さの厳しい土地に向かわれるのだなあ、と思って……」
そして、グラナードは懐から何かを取り出す。
その『何か』は、きゅいと鳴いた。
「ももんが……?」
「この子はユキモモンガといってね、寒い地域では体温を上げてふんわりと熱を発し、暑いところに行けばほんのり冷気を吐いて涼しくしてくれるんだ。ユウタ殿の一助となればと思って、お貸ししようと連れてきたのさ」
グラナードの手のひらにすっぽりとおさまっているユキモモンガは、大きなくりくりとした目をユウタへ向けた。
「ユウタ様、可愛らしい生き物ですわね」
ずっと口を閉ざしていたネージュが柔らかく微笑んで、ユウタの顔をのぞき込み、それからユキモモンガの頭を撫でる。
(あの生き物、どこかで……)
アドラは考えて、そして思い当たった。――魔法生物学の授業で習った!
「受け取ってくれるかい?」
「いいのですか?」
ユウタの問いにグラナードは深く頷く。
「うん。この子と共に無事に帰ってきてね」
「もちろんです。ありがとうございます!」
ユウタは何も疑いもせずユキモモンガを受け取る。
にっこりと微笑んだグラナードの顔を見て、アドラはぞくりと身を震わせる。
――こいつが味方側で本当に良かった。
マルタンたちとの通信の最後、グラナードはユウタに『贈り物』をすると言った。
ユキモモンガは、可愛くてあたたかいだけの生き物ではない。
体長15㎝、自由に飛び回ることのできる飛膜。
大きくて愛らしい瞳は、諜報員の瞳。見た光景を、同胎の個体に転送、共有することができる。
小さくてふわふわした耳は、盗聴器。聞いたことそのものを、同じく同胎の個体に転送、そっくりそのまま再生することができる。
人間たちは知りえない特徴だった。
「私の読みでは、あれはきっとマルちゃんと同じ地を目指すはず。フィニスホルンは冷えるからね。――この子で暖をとって、とでも言えば喜んで受け取るだろう?」
そうして、グラナードはアドラの安否を確認する手段をまずは得たのだった。