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第10話

「魔力の、残滓……? な、にを?」

 アイザックは信じていた主についての衝撃的な秘密を告げられて鳶色の目を見開いた。

「魔力ゼロで魔法耐性のないあなたはわからないと思うけど、魔法っていうのは使った後にエネルギーの残滓が出るのよ。それは普通なら本人に戻るか、自然と消えてしまうかなの」

 魔法を使った後に魔法使いが多かれ少なかれ消耗するのはそういう原理だ、とメリアは言った。強力な魔法を使えばそれだけ反動も大きい。魔力が強く、修行を重ねている魔法使いであればそれをも凌駕することができるが、そうではない者に関しては力量を超えた魔法を使えば倒れてしまうという。それでは、魔法を使った後に一切の疲れを見せていなかったユウタは……。

「自分が放った魔法のエネルギーの残滓を、周囲の自然へと押し付けていたということ」

 そんなことが可能なのかと問われて、メリアは唸る。

「聞いたことないわ、今まで。けど、明らかにあの男の気配があるのよ。あの残滓に」

 マルタンは丸い瞳をさらにまん丸にして、それからきゅっと眦を吊り上げた。

「命を吸い上げて枯らすだけじゃなく、使ったエネルギーの残滓で汚すことまでしているって確定したね」

「何をどうやってるのかこそわからないけれど、でも……事実それで疲弊している土地があるんだものね」

 勇が頷くと、アイザックはそのやり取りに声を震わせる。

「知らないとはいえ、自分はそれに加担していたという事でありますな……?」

「そういうことになるわね」

 メリアは淡々と答える。それは変えようのない事実だ。アイザックが望んでいようといまいと、起きたことは変わらない。

 ぐらりと目の前が歪んだアイザックは、何も言えずにいる。

「アイザックさん?」

 マルタンに優しく声をかけられて、ようやく言葉を口にした。

「私は、私はいったいどうすれば……」

「知らないわよそんなこと。自分で決めなさい」

 メリアは半ば食い気味に答えた。

「うじうじ言ってたって起きてしまったことはどうにもならないわ。これからどうするかしかないのよ」

 その『これから』は、誰かに従って何かをするのではない。自分で選んで自分で決めるしかない。メリアはそう言うと、木の上から降りてアイザックの目の前に立った。

「あなたはどうしたいの」

「……考えたこともありませんでした、王国が正しいと思い込んでおりました。それに従えば、平和な世界が訪れると……」

 マルタンは優しく問いかける。

「ねえ、アイザックさんは何が得意? 何が好き?」

「へ……」

「弓の腕が一流って言われたんだよね? 村でも、王都でも!」

「あ。……はい」

 アイザックは力なく笑う。

「戦ってるときの弓の扱い方を見ても、それはほんとだなってわたし思いました」

 それ、活かせることあるんじゃないかな、とマルタンは続ける。

 アイザックは傍らに落ちていた弓を拾い上げて、弓柄ゆづかをそっとなぞる。

「はい、私にはこれしかない……」

 ふるふる、とマルタンは首を横に振る。

「今はそれしかないかもしれない。でも、それってそれしかしてこなかったからでしょう?」

 アイザックはハッとした。幼いころから、弓の鍛錬ばかりしてきた。それ以外は――。

「そう、ですな」

「故郷のみんなに笑ってほしい気持ち、マルもわかります。でも、それって王都で名を揚げることだけなのかな」

 そこにこだわることは、果たしてあったのだろうか。自分のしたいことはなんだったか、本当に望むことは何だったか。アイザックは考える。

「……いえ、本質はきっと」

「そこまでわかってるなら大丈夫ね」

 メリアがやっと笑った。勇も頷く。


「あなた方についてゆき、お役に立つことはできませんでしょうか」

 少し考えて、アイザックはそう申し出た。けれど、マルタンは首を横に振る。

「すごく嬉しい申し出だけど、それはアイザックさんにとって危険なことだと思う」

「え……」

 勇はマルタンの代わりに、断られると思っていなかったであろうアイザックに答えた。

「あなたの弓の腕はきっと俺たちにとってはすごくありがたいものになると思うよ。でも、俺たちと行動すれば、必ずユウタ達とまた戦うことになる」

「そんな……」

 わからないの? とメリアは苛立ちを露わに問うた。何がだろう、ときょとんとするアイザックに、勇は続ける。

「ユウタは、あなたの命をなんとも思っていなかった。麻痺と知らない段階で……死の危険があるかもしれないのに放り出した。俺たちが助けるなんて、きっと思ってもないでしょ? そんなあなたが一命を取り留めていて、もし敵である俺たちと行動を共にしていたら裏切り者として粛清されると思う」

 きっと、俺たちに余計なことを話したと推測して、これ以上の情報の口封じのための処刑だって有り得るよ、というと、アイザックは口を噤んでしまった。

「ユウタとかいう男がそこまで非情と、まだ受け入れられないのかしらね」

 アイザックは項垂れた顔を上げると、すみません、と小さく呟くように謝罪した。そして、ありがとう、と言った。

「……私のその後の処遇まで、気にかけてくださるのですな」

「困ってる人には親切にするものですから」

 マルタンはそう言って笑う。魔王様の、両親の、里の教えを守れるように。


 勇が、ヒントを与えるように提案する。

「西へ行けば今、食糧難で困っている街があるし、狩りの腕はきっと役に立てるよね」

「!」

 元来、人の役に立ちたいという気持ちが強いであろうアイザックには良い条件だろう、と思っての言葉だ。

「うん、ディムベリスから船に乗ってエルディーテに行くのもいいかもしれないよ、ユウタさんの追っ手が来れないもの」

「確かに。安全面ならエルディーテがいいかもね」

 アイザックは勇とマルタンを交互に見て、困ったように眉を寄せる。

「どうしたのよ」

 メリアに問われて、へにゃ、と情けなく笑った。

「いや、あの、どうしたらいいかと……」

「いっぱい、いろんな可能性があるよ」

 マルタンの弾むような声に、アイザックは立ち上がった。

「そう……そうでありますな」

「あなたの道はあなたが決めなくちゃ。もう、誰のものでもないんだよ、あなたの進路はあなたのものだよ」

 きっと何を選んでも後悔することはあるだろうし、楽ではない道もたくさんあるだろう。それでも、自分で選んだ道ならばそれはすべてを正解にできる。誰のせいにもしないで済む。何かを誤っても、責める先は自分だけだ。それほどすがすがしいことは無い。マルタンはそれを込めて、そう言った。

「ありがとうございます、マルタン殿。イサミ殿も、メリア殿も」

 アイザックの瞳には、もう涙は浮かばない。鳶色の目は、先ほどよりもずっとしっかりしていて、陽の落ちかけた薄暗い森の中でも、しっかりと輝きを持っていた。

「私は、もう行きますね。お三方の御恩、きっと忘れますまい」

「また、どこかで会えたらいいね、今度は安全な時に。旅のご無事を」

 会釈を交わすと、アイザックは三人に背を向け、西の方へ歩き出す。

 その行方は三人には知れない。何を選ぶか、――何を為すか。



「行ったわね」

 メリアはアイザックの背が見えなくなると、勇たちへ向き直る。

「それで……アドラさんだっけ、彼女をどうやって助けるか、何か考えはあって?」

 もちろん協力する、というメリアの口ぶりに、マルタンはバッグの中から手鏡を取り出して、開いた。

「ずいぶん珍しいもの持ってるのね、通信用のコンパクトなんて……」

 日が落ちた森の中は冷える。周囲に人が来る心配もないことから、マルタンはすぐにグラナードへの報告を試みたのだ。

「とある人に貰ったもので……その人と繋げるので、少し待ってね」

 マルタンは小さな声でグラナードさん、と呼びかけた。王城で繋がった場合にごまかしが効く程度の声で。

 すぐにグラナードの姿が浮かび上がる。

「マルちゃんかい? 久しぶりだね。……どこにいるの? 薄暗いけれど」

 勇がランプに火を入れる。

 メリアは手のひらを上に向けて、そこに、ふぅと息を吹きかけた。すると、きらきらと舞った鱗粉のようなものが徐々に膨らみ、淡い蛍の光になって周囲を照らす。

「あ、見やすくなった。綺麗だね、これは一体?」

「ドリュアスをご存じですか? ドリュアス族のメリアさんという方が、光魔法で周囲を照らしてくれました」

「ドリュアス……? 幼いころに大叔父から聞いたことがあるよ。心の清い者だけが森の中で会うことができる精霊だって」

 メリアは鏡に近づくと、胸に手をあてて一礼する。

「はじめまして、メリアと申します。グラナードさんと仰るのね。残念だけど、私たちはそんな神聖な精霊じゃないわよ。別に心が清くなくたって見えるわ。ただ、好んで人前に出ないだけで」

「そうなんだ。私はグラナード。アロガンツィアの近衛部隊の隊長だよ」

 アロガンツィア。

 近衛部隊隊長。

 そのワードにメリアはぎょっとする。

「え、ええ? ど……?」

 どういうこと? とグラナードとマルタンを見比べるメリアに、グラナードは「あはは」と笑った。

「大丈夫、アロガンツィア所属だけど、味方だって思って」

 そして、グラナードは視線を巡らせる。

「……少し場所を変えるね、ここはまだアロガンツィア城下なんだ。いつものところから通信しなおすから、少し待っていて」

 そう言ったグラナードに頷くと、マルタンはコンパクトを一度閉じた。


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