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第9話

「不肖アイザック、知るところをすべてお話ししましょう」

 弓兵アイザックは、アロガンツィアの南にある小さな村ヘイゼルの出身だった。

 幼いころから狩りの腕を褒められて育ったアイザックは、すぐに弓を生業にしようと考えた。アロガンツィア一の射手になることを家族に誓って王都へ上り、王国軍に志願兵として所属してからは更に腕を磨き、遊撃隊のエースとして活躍したという。

 そんな彼に声がかかったのは、王国にユウタ――あの頃はまだ異世界からの勇者の卵――が召喚されたその日であった。

「本当に嬉しかったのであります。伝説の勇者となられるお方の右腕になり、悪しき者を打ち滅ぼす旅のその一助となれる。アロガンツィア一の射手の出身地はヘイゼルであると、故郷に錦を飾ることができる」

 それから、アイザックはユウタに同行し、二年程の時を様々な地で魔物を討伐して歩いた。そのたびにユウタからは賞賛の言葉をかけられ、誇らしい気持ちになったものだという。

「私の弓術はアロガンツィア一、いや、世界一だと笑顔で言ってくださったのです。勇者の後衛を任せられるのは、やはり一番の射手でないと、と……」

 あの美しい青い瞳が私を映してくださる、整った唇から紡がれるお褒めの言葉が、私の心を満たす、あのお方の役に立てることが私の誇りでした、とアイザックはため息をつく。

(心酔しきってたんだ……)

 勇は、アイザックがユウタを盲目的に崇拝しており、そしてユウタも本心ではどう思っていたかは知れないがアイザックに一定以上の評価を与えていたのだということを知り、そのうえでユウタがアイザックを捨てたことに憤りを覚えた。

 しかし、ここまで人を惹きつけるのは勇者補正なのか、ユウタ自身にペテン師の素質があるのか……。今までのやり取りから、後者である可能性は極めて低いな、と思い直す。多分、アイザックが田舎出身の純朴な青年であるのも噛み合ってしまった原因の一つだろう。

「あなた、それ完全に悪いオトコに騙される女のさまじゃないのよ」

 メリアがばっさりと切り捨てる。

「君はすごい人だよ、やっぱり君がいないとダメなんだ。君ほど素晴らしい射手はいない、僕のそばにいてくれ」

 言われたことあるんじゃないの。

 無情に吐き捨てるメリア。

「メリア」

 勇はたまらなくなってメリアを制止する。

 アイザックは言葉を詰まらせ、そして力なく笑った。

「そうなのかもしれない。私は、力のある方に重用されたと思って、舞い上がっていたのでしょうなあ……」

 それでも、ユウタを信じてユウタと共に在ったと思っていた。

「そういえば……俺たちって会うのはじめてですよね? ずっとユウタさんと行動を共にしていたわけではないのでは」

 勇の問いにアイザックは頷く。

「私の実家の父が風邪をこじらせた時に、薬を運んでやろうと暇をいただいたことがあったんです。それから、しばらく私に声がかかりませんで……」

 なるほど、とマルタンは思い返した。

 エニレヨでの出来事の時には、アイザックが欠けた状態でユウタ達は行軍しており、その最中さなかで見つけたソレイユをアイザックの代理の遠距離攻撃要員として強引に加入させたのだな、と。

「久々に声がかかったので、私としては嬉しくて……けれど……」

 ユウタ殿は、使えない、弱い私などいらなかったのですね、と続けて俯く。

「女々しい」

 すっかり消沈しているアイザックの鼻を、メリアがぶにっと押した。

「す、すみません……。と、いうか、あなたは……?」

 ドリュアデスは通常人前に姿を現すことは無い。見たこともないサイズの娘に、アイザックはやっと質問を投げかけた。

「ドリュアス族のメリアよ。あなたたちが討伐しようとしていた木を動かしていたのは私」

 勇は驚いてメリアを見る。

「え、メリア……」

「大丈夫よ、彼、もう丸腰だし。目にはまるで戦意なしだもの」

 情報を開示していただくにはこちらだってそれなりに開いていかないとだわ、と言って、メリアは苔むした岩の上にすとんと座った。

「ドリュアス族、とは……」

 何も知らないアイザックに、メリアは短く「木の精霊」と答える。大別すると魔族に当たることは伏せているが、嘘を言っているわけではない。

「精霊殿なのですね、それが、なぜ木を動かしてこの地の……その、通せんぼをしていたのでありますか」

「それについては申し訳ないと思っているわ。でも、私も意識を奪われていたのよ。……森を汚されたせいでね」

「森を汚されて? 一体何者に……」

「あなたの主人にだと思うわ」

 アイザックは耳を疑った。ユウタは自分を捨てて行ってしまった。けれど、それは自分が役立たずだったから、それだけのこと。勇者たるお方が、森を汚した? 何を言っているのだろう。

「……勇者殿を愚弄なさるのですか」

「愚弄ではないわ。事実よ」

 岩から降りると、メリアは枯れかけた木の枝をそっと撫でる。

「この枯れ方、おかしいのよ。木は普通どこから枯れていくか知っていて?」

 メリアは敢えて問う。アイザックは農村の出身だ。そのくらいは肌感覚でわかっていた。

「先端の方から、でしょうか」

「そうね。寿命となった木は葉から枝、幹、といった具合に枯れていくわ。御覧なさい」

 メリアが指さした先の木は、まだらに色が抜けていた。先端が枯れている部分もあれば、幹が部分的にしわがれているところもある。そうかと思えば、青々と緑が残る部分もあった。妙な枯れ方をしていると素人のアイザックでもわかる。

「これは……」

「木の根が良くない魔力を吸い上げたのよ。地がなんらかに汚染された場合、木はそれを浄化してくれるのだけれど……濁りのある魔力を吸い取った場合、こうなるのね」

 私もこんなケースは初めて見たけれど、とメリアは木を見上げて眉を寄せた。

「なぜ、ユウタ殿と因果関係があると……?」

「気配とにおい」

 メリアは断言する。ユウタが近づいたときに、汚染された木からしたにおいと同じにおいがした、という。

「気配については感覚的なものよ。私たちみたいな精霊は、術者を辿ることができる。誰がその魔法を使ったのか、誰がこの地のエネルギーを奪ったのか、全部お見通しなの」

 そんなこと信じろと言われてもよくわからないでしょうけどね、と付け足し、メリアはアイザックの顔を覗き込んだ。アイザックはというと、真剣な面持ちで聞いている。

「いえ、信じます。あなたは何か、この世の者ならざる神聖な力をお持ちのような気がして」

「それは買いかぶりすぎだわ。ただのドリュアスの一体よ」

 木は神聖でも、その精霊が神聖ってことは無いわね、と笑うメリアを見て、アイザックは何か腹に落ちたようで深く頷いた。

「ご自身の事をそのように謙虚に捉えておられる……」

「あら、あなたそんな風に見る目あったの? じゃあなんであのユウタとかいう男の本質は見抜けなかったのかしらね」

 残念な子。

 と言ったメリアを、慌ててマルタンが止める。

「メリア、そのくらいにしといてあげて」

「ああ、ごめんなさいね。確かにこれはアイザックさんだけの問題じゃないわ。あの男、おそらく『魅了』のスキルがあるわね。効かない相手もいるけど」

 魔法耐性が弱い相手には刺さっちゃうんじゃない? というと、アイザックはハッとした顔で答える。

「お恥ずかしながら私は、魔法攻撃にはめっぽう弱いであります」

 そっか、と勇は合点がいった。

 民衆たちを惹きつけるユウタの威光。それは、圧倒的なカリスマ性を放っていた。

 だが、自分たちにはもちろん、ネージュやソレイユには全く効いていないようだったし、フレイアにはある程度の効力があったのかもしれないが、心酔させて堕とすには至っていなかった。ここまではまり込ませるまでの効果を発揮していたのは、アイザックが純朴であること、そして何より彼に魔力耐性が一切なかったことに起因していたのだ。

「それで、聞かせてほしいことがあるの。あなた、この地で魔物が暴れているという話を聞く前に、何か活動はしていて?」

「もちろんであります。世界に平和を取り戻すべく、ユウタ殿と共にアロガンツィア北西部に赴いてそこにいた魔物を討伐しておりました」

 北西部、そう聞いて、メリアは「なるほどね」と短く返した。

「な、なにがなるほどなので……?」

「近くに川はあったかしら」

「……確か、エルヴァリエ流域の近くだったと記憶しています」

「大当たりね。エルヴァリエの流れはここら一帯の地脈に繋がるわ。大元が汚染されればどうなるかくらいはわかるわね」

 ユウタの有罪は確定だわ。とメリアは言う。まだユウタを憎み切れていないアイザックは戸惑うように視線を泳がせた。

「し、しかし、ユウタ殿は一体どのように汚染をしたので?」

 それについてはマルタンが答えた。

「本人がはっきり言ったわけじゃないけど……ユウタさんはその地やそこにある物、生き物の生命力を奪って魔力に変換して、任意の対象の力を増幅できるっていう特殊能力の持ち主だよ」

 誰かの力を引き上げた時に、周囲の草木が枯れたり、何かが崩れたり、動物の様子がおかしくなったことは無い? とマルタンは問う。

「……わ、私の弓の命中率を上げる魔法や、攻撃力を引き上げる魔法を使っておいででした」

 確かにその時、鳥たちがけたたましく鳴いた後に静まり返り、森がしんとしてしまった、とアイザックは語った。

「そのあとは?」

「すみません、戦闘に勝利したことへの高揚感であまり覚えておらず……」

 その時に討伐したのは大食い猪と言われる魔物『グラントンボア』だったと思う、と、討伐対象についてもはっきりとは思い出せないらしい。

「それじゃ、そのほかにもきっとたくさん狩ったのでしょうね」

 暴れているから討伐するわけでも、食料にするために狩るわけでもない、罪もない魔物たちを。

 そう言ってメリアは高い位置にある枝に腰かけるとアイザックを見下ろした。メリアを見上げながら、答える。

「……きっとそうであります。私は、アロガンツィア王に……ユウタ殿に命じられるがまま、悪しき魔物を討伐することこそが正しいこととして行軍して参りました」

 メリアは鼻で笑う。

「どちらが悪しき者だか。その後に何が起きていたかを教えるわ。マルタンの話では、ユウタとやらは周囲から生命力を吸い取ったのよね? それは私の知るところではないけれど、後の事ならはっきりわかる。――発動した魔力の残滓で、地を汚したのよ」


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