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第8話

「どうして、と言いたげな顔だな。おまえにはこれから僕たちの駒になってもらう」

「何を……!」

 マルタンはたまらず一歩前へ足を踏み出した。

「おっと、それ以上近寄らないでくれるか?」

 ユウタは喉の奥でくつくつと笑った。

「僕の想定以上にお前たちにとってこの女は大切な存在らしいな」

「……当然でしょ、アドラは大事な友達だもん!」

 激昂のあまり、マルタンは話し方が崩れる。冷静な物言いができる状態ではない。勇はその気持ちが痛いほどわかって、下唇を噛んだ。だが、視線はユウタ一行からは逸らさない。

 そうしていてよかった。この言い合いの隙を狙い、弓兵が腰に下げていた剣を抜くのに勇が気づいた。エルディーテで購入したメイスを握り、弓兵へ突っ込んでいく。

「な、なんだ!?」

「させない!」

 マルタンを切りつけようとした男の手を、思いっきりメイスで殴りつける。骨が砕けたのではないかというような音とともに、男は剣を取り落としてその場に蹲った。

「ぐっ……な、なんだこの馬鹿力!」

(本当に魔力を転化できた……!)

 勇はメイスを握り直し、おそらくこの打撃力はそう続かないと直感した。メリアを浄化したときに吸った魔力は、ほとんど今の一撃に乗せてしまった気がする。

「マルタン!」

 追撃するよう、マルタンへ呼びかける。

 マルタンは、蹲った男の腕に一度、そして、足にもう一度噛みついた。マルタンの二連撃に男は悲鳴を上げる。

「マルタン!? 今の……」

「大丈夫、殺意は込めてない」

 その声に怒りは滲んでいたが、マルタンは冷静さを取り戻してそう答える。


「たかがネズミに噛まれたくらいでお前……」

 ユウタが弓兵に歩み寄る。男は、がくがくと膝を震わせていた。

「どうした、立て」

 手を差し伸べてやるが、男は生まれたての小鹿のように何度も足を立てようとしては滑らせている。

「す、みっ、ぁ……」

 唇も同様に震えていた。

 ユウタは男の異変にやっと気づいて、そろりとマルタンを振り返る。

「症状を見て、わかりませんか」

「っ、ユウ、タ、ど」

 小刻みに震えながら涙目で弓兵はすがるようにユウタの手を掴む。

「くそっ、どうしたんだ……!」

 勇に殴られたことか、マルタンに噛みつかれたことのいずれかで症状が出たのだということはさすがのユウタにも推測できるだろう。

「そのままでは、彼、死んでしまうかもしれませんね」

 適切な治療が必要なのでは。

 そう続けたマルタンに、ユウタはちっと舌を打つ。

「アドラを解放してください。そうすれば治療方法を教えます」

 治療方法といっても、なんのことはない。麻痺を治すポーションを与えれば、すぐにでも彼は元通りになるだろう。けれど、状態異常への知識が甘いと見えるユウタの浅薄さに気づいているマルタンは、そこに付け込んでひとつ駆け引きしてみたのだ。

「断る」

 ユウタはふん、と吐き捨てるように答えた。

「ぇ、え……」

 弓兵は麻痺で自由の利かない状態で、ぎぎぎ、と首をユウタの方へ回し、口をはくはくさせていた。

 どうして。今まで共にこのアロガンツィアのために戦ってきた仲ではありませんか、あなたに忠誠を誓ったこの私を何故見捨てるのです。

 麻痺によって舌が回らない。喉から空気が漏れるだけだった。

 それを、役に立たないものなんていらないとばかりに冷めた視線で見ているユウタ。

 マルタンは瞬時に悟る。ユウタの中では、配下として連れていた男の命よりも、捕虜であるアドラの方が優先度が高い。

(この人、仲間であっても自分の作戦のためならば簡単に見捨てる人なんだ……)

 仲間の命と引き換えにアドラを返せと迫った自分のことを最低だと反省する前に、マルタンはユウタの選択を、性質を憎む羽目になった。

「……」

 交渉は決裂。

「帰るぞ」

 ユウタは弓兵の手をぱっと放す。男の身体は、地面にどしゃりと崩れ落ちた。震える手で、涙声でユウタの名を呼ぼうと男はもがく。

「アイザック殿はどうするのです?」

 ネージュは弓兵の男に視線をやり、彼のものと思われる名を出して問う。

「捨て置け」

 ユウタの返答に絶句して、それからネージュはちらとアイザックからマルタンに視線を移し、眉を下げた。

 ユウタとネージュ、呪術師、そしてアドラはマルタンたちに背を向けると、来た道を戻るように街道を東へ歩き出す。

「アドラ!」

 マルタンの声に、操られるままその場を後にするアドラは振り向けない。

 下手に手を出せばアドラに危害を加えられるかもしれない。また、アドラをけしかけてくる可能性もある。それで、マルタンはその場に踏みとどまった。



 考えないと。

 どうしたらアドラを助けられる。

 何をしたら、アドラに危険が及ばない?

 マルタンは桃色の手が先端から急速に冷たくなっていく感覚と眩暈に震えた。

「マルタン」

 勇がそっとマルタンの手を握る。

「俺も正直すごく動揺してる。怖い。アドラがどうなっちゃうのかって……けど、あいつはアドラを駒として使うって言ってたよね?」

 マルタンはちいさく頷いた。

「うん。……それなら、命は奪わないはず」

 最も、彼の中の優先順位の上位にアドラを駒として使うことがあり続ければの話だけれど、と付け加え、マルタンは呼吸を整えるために大きく息を吸って、それから吐いた。

「……今、一番怖い思いをしてるのはアドラだ。マルが動揺してる場合じゃないよね。考えよう」

 勇の目をまっすぐに見て、マルタンは言った。その声は、まだ震えている。

「そうだね、アドラを助けられるのは俺たちしかいない」

 勇がそう答えた直後。

「そうかしら?」

「!?」

 不意に勇の背後、少し上の方から声が降ってきた。


「戻ってきたわ。あなたたちがあれらを追い払ってくれたから」

「メリア!」

 ひら、と勇の横に舞い降りると、メリアはその後方に転がっている弓兵を指さした。

「アドラさんが連れ去られたこと……この男、何か知らないかしらね?」

 まだぴくぴくと痙攣している男は、その目から涙を流している。

 その麻痺の症状が命に関わるものなのか否か、麻痺にかかったことがない者ならば判断しがたいものだし、先ほどのマルタンの「死ぬかもしれない」というハッタリが効いている。このまま放っておくと、彼は思い込みで死んでしまう可能性さえある。

「あ、いけない。知ってても知らなくてもこのままじゃまずいぞ」

 勇は弓兵に歩み寄ると、そっと抱き起した。

 弓兵は怯えたような顔で勇を見ている。

「大丈夫です、命を奪うつもりはありません。ちょっと待ってくださいね」

 宥めるように言いながら、勇はバッグの中から小瓶を取り出した。

「解毒薬です。しびれていると思うので、ゆっくり喉に流し込んでくださいね」

 いつの間に? と問うたマルタンに、勇は小瓶の中身を男に飲ませながら答える。

「クラウスさんが別れ際にレシピをくれたんだ。出発前夜にずっと部屋の明かりがついてたから何してたのかなって思ったんだけど、一晩でノートにポーションの基礎的なものをまとめてくれてて」

 この先の行軍は、メディック兼ソーサラーのクラウスが不在となる。自分でも何か役に立てることが増えるならと、勇は時間を見つけてはノートを見て薬を調合していたという。

「ぅう、う……」

 げほげほ、と男が咳き込んだ。

「変なとこ入っちゃいました!? 大丈夫ですか!?」

 勇は男の背中をさする。

「いや、大丈夫……」

 そう答えて、男ははっとした。

「震えが……止まってる」

「良かった、薬の調合は成功してましたね」

 男は立ち上がると、勇に深く頭を下げた。

「ありがとう、助かりました」

「いえ、というかもともと麻痺状態にしたのは俺たちだし」

 体に異常はもうないですか、と問われ、男は頷く。

「すっかりこの通り。……しかし、敵に情けをかけるとは、あなた方は一体どういうつもりなのです」

 訝し気に問うた男の頭を、メリアがぺちんとはたいた。

「どういうつもりもこういうつもりもないわ。話してもらいたいのよ洗いざらい!」

「め、メリア……」

 マルタンは苦笑する。

「それもなくはないんだけど……わたしたち魔族は殺生を好みません。むやみに命を奪ったりはしないです」

 男は驚いてマルタンを見る。先ほどまでは狂暴なネズミにでも見えていたのだろうが、改めて見てみればふわふわの毛並みの無害そうな見た目にほっと息を吐いた。

「あなたの言うことが本当ならば、私は間違ったことをしてきたのでありますな」

「間違いかどうかはわたしにはわかりません、それがあなたの正義だったのかもしれない。でも、魔族が人間を滅ぼそうとしているというのは誤りだと断言できます」

 マルタンの言葉にメリアは思わず声を上げる。

「はあ? なんで魔族が人間を滅ぼすなんて話になってるのよ」

 男はその場に座りなおすと、静かに語り始めた。


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