アドラが指さした木は、先端が不自然に枯れていた。
そして、その幹には――。
「人形……?」
胸から上しか見えないが、その顔や肩幅からして全長70㎝程度と思しき小さな人型の何か。勇は木に歩み寄りながら肩に止まったマルタンの方を向く。
「あれがドリュアスの子。間違いないと思う」
木の幹に埋め込まれるように磔になっている娘は、意識が無いようだった。真っ白な肌、眠るように瞳を閉じたまま、動かない。その周囲の枝と根は、まるで蛇のように動き続けているというのに。
『――去れ』
地を這うような声が響く。
「何!?」
勇は耳を疑って、ドリュアスを見た後にアドラへ視線を移した。
「わかんねえ、けど、ドリュアスの声か……あるいは『木』そのものの思念だな」
少女の姿をしたドリュアスがこんな声で? と勇は思ってしまったが、木と一体化しているのならば不可解でもない。
「あたしたちをここから遠ざけようとしてるのだけはわかるけど……」
アドラは腕を組むと唸る。
「ここに居座られると行商人が通れないんだよなあ……」
『去れ、我が里を害することは許さぬ』
声ははっきりとそう言った。
マルタンはコマドリの姿のままドリュアスの枝に飛び移ると、そっと話しかける。
「あの」
『――去れ』
「ここを通してくれませんか、食べ物が届かなくて困っている街があるんです」
瞬間、マルタンが止まっている枝が勢いよくマルタンを振り払った。
「ぴゃ」
弾かれたマルタンを、勇が受け止める。勇の胸に当たった衝撃で、マルタンは元の姿に戻り、地にぽてんと尻もちをついた。
「だめか」
「完全に頭に血のぼってんぞアイツ」
木に頭も血もねえか、と言いながら、アドラは頭をがりがりと掻きむしる。
勇は一歩前に出た。アドラはぎょっとして声を上げる。
「おい、あぶねえぞ」
「うん、……でも、多分俺にしかできないことだと思って」
勇はマルタンを助け起こすと、そっと視線を合わせる。マルタンは静かに頷き、勇の手を握った。二人で手を繋いでドリュアスに近づく。
その様子にアドラは察して、攻撃が来ないかだけを見張ることにした。
『去れと言っている』
「もしかして、苦しいんじゃないですか」
勇は自分をなぎ倒そうと伸びてきた枝にも怯まず、そっとドリュアスに問う。苛立っていたオーラがわずかに和らいだ。ぴたりと勇の左腕の前で止まった枝に、そっと触れた。
「できるかはわからないけれど」
マルタンとつないだ右手がほんのりとあたたかくなり、枝に触れた左手は熱を帯びていった。殺気が薄れていくドリュアスを見て、アドラはもう心配ないと判断し、胸をなでおろす。
「イサミさん、大丈夫?」
自分に流れ込んでくる魔力がどれほどのものなのか、勇にはよくわからない。けれど、ドリュアスをなんとかしてやりたい一心で勇は頷いた。
「大丈夫。……というか、どのくらいの魔力を吸収しているのか自分でもよくわかっていないんだ」
「え!?」
マルタンが勇とつないだ手を離そうとする。
「マルタン」
勇はマルタンの手をぎゅっと強く握り直した。マルタンは驚いて勇の顔を見上げる。
「イサミさん、無理したら、また……」
「それでも、今はこの子を助けたい。最悪俺がダメになったら」
「だめ! そういうこといわない!」
マルタンは自分を置いて行くように言いかけた勇を叱責するようにぴしゃりと言って、ふすん、と鼻を鳴らした。
そんなやり取りをしていると、ドリュアスがうっすらと目を開ける。
「あ……! 気づいた!?」
マルタンは少女の顔を見て、呼びかけた。
ドリュアスははっとしたような顔をして身を捩り、木の幹からもぞもぞと這い出てくる。その様子を見て、マルタンは勇の手から自分の手をするりと抜いた。勇は少し疲れたような表情で息を深く吐く。
「よかった……」
ドリュアスの少女はやっと木の幹を蹴って飛び立つと、新緑の色をした長い髪を靡かせて、マルタンの前へやってきた。
「あなたたちが助けてくれたの?」
透き通るモルフォ蝶のような翅をひらひらさせ、娘はじっとマルタンの目を見つめる。
「助けるっていうか……木が暴れていたから、苦しいのかなって思って」
そう答えると、娘はこくんと頷いた。
「眠っていた間の記憶は曖昧だけど、すごく疲れてるから多分……」
ものすごいエネルギーを使っていたのかもしれないわね私、と言って娘はその場に隆起した木の根に足をつけた。
「まずは、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして、わたしはマルタンといいます。お名前を聞かせてもらっても?」
「私はメリア。ご想像のとおり、ドリュアデスの里の者よ」
ドリュアデスは、ドリュアスの複数形を指す。彼女の話では、一体化していた木の奥へさらに進んでいくと里があるのだという。
「それで、なんだってあんたは暴れてたんだ?」
アドラが問うと、メリアは申し訳なさそうに、けれど不服そうに答えた。
「暴れたくて暴れてたんじゃないわよ。木に取り込まれてからずっと意識がなかったの」
まあ、とはいってもまずいことをしていたのには変わりないけど、とバツが悪そうに頭を抱える。
「何が起きていたのか、聞いてもいいですか?」
マルタンの問いにメリアは下唇を軽く噛んで、それから口を開いた。
「ええ、あなたがたの事情も聞かせてくれるなら」
「俺たちのことなら簡単だよ。西の方にあるディムベリスって港町から来たんだけど、魔物がでたせいでラナコスへの道が閉ざされて、交易が滞っているって知って、それで様子を見に来たんだ」
そうしたら木が攻撃してきて、大元が何かを辿ったら君が眠っていたんだよと勇が説明してやると、メリアはセルリアンブルーの瞳を両手で覆ってため息をついた。
「……なんてこと……」
声が震えている。マルタンはそっと近づく。
「あなたの意思じゃなかったんでしょ?」
メリアは顔を上げた。
「もちろんよ。好き好んで誰かを傷つけるなんてしないわ」
ドリュアスも大別すれば魔族の一種だ。彼らもまた、マルタンたちと同じように防衛以外の目的で戦うことはしない。
「迷惑をかけて本当にごめんなさい。言い訳に聞こえるかもしれないけれど、お話しするわ」
数週前の事だった。メリアは里の者たちのために食料を調達するため、森の中へ採取へ出かけたという。ドリュアスの主食は木の実や果実、キノコ、樹液など森の恵みによるもの。里の中だけでは食料が足りなくなる場合に備え、当番制で周辺の森へ採取へ出かける習慣があるのだという。その日の当番はたまたまメリアで、里から少し離れた場所にいた。
「木の実を拾っていて、途中で明らかにおかしなエネルギーの変動を感じたの。木の声が急に苦しそうになったというか」
ドリュアスは、木と対話ができる。メリアは、その時確かに「助けて」という声を聞いた。
「木が、助けを?」
「ええ」
この数か月、木々の元気がないとは感じていたが、その日は決定的だった。
里の大樹の声が、離れた場所にいるメリアにまで聞こえたのだった。
「急いで里に戻ってみたら、里のみんながいなくなっていたの」
いなくなっていた、といって、メリアは小さく首を横に振った。
「いえ、違うわね、正確にはみんな木になっていたの」
「木になる?」
里の大樹は、森を守る命の樹といえる存在だという。メリアが出かけた後、異変が起きたのだろうと推測された。里に戻ったメリアが目にしたのは、枯れかけた大樹と、それを守るようにして周囲に生い茂る木々。その木々の本数は、里に住む者たちの人数と一致しており、それぞれの樹には先刻のメリアと同じように木の幹と一体化してしまったドリュアスが眠っていたそうだ。
「みんな、肌が木肌になってしまっていた。私もあのまま木と一体化していたら、いずれはああなっていたわね」
それは、ドリュアスが緊急時に陥る仮死状態であった。
彼らは、木々とエネルギーを互いに与え合うことで生きる種族である。木々のエネルギーが足りなくなればドリュアデスから木々へ与え、ドリュアデス側が枯渇した場合は木々から得る。そうして助け合って生きていた。しかし、ここしばらくは里の大樹のエネルギーが弱っていたのだった。メリアが出掛けたあの日までは、ドリュアデスとの助け合いでなんとか生命を保つことができていたが、おそらくはメリアの外出後に強大な魔力が地脈に流れ込み、その影響を強く受けた大樹が枯れていったのだろう。
「みんな、里の大樹を守るため、そして自分たちの命を守るために、木と一体化して凌いだんだわ」
仮死状態になってしまえば、それ以上のエネルギーのやり取りは起こらない。双方間でエネルギーを循環させるにとどまるので、それ以上のエネルギーも魔力も、得ることも、失うこともない。大地の汚染から切り離された状態を保つことができる。これが緊急時の最後の手段であった。
「それで、ショックを受けて……それから私の記憶は曖昧なの。ただ、里とみんなを守らないとって思って、それから……」
メリアは深い仮死状態にまでは進まなかったが、里へ悪意をもって侵入する者がいたならそれを排除するように、そうでなくとも里に近づこうとするものがいるならばそれを阻むために、あのような姿になって街道を塞いでしまったのだろう。
「二つの地域の人たちには申し訳ないことをしたわ……まさか、木を操って無差別に攻撃してたなんて……」
「里のドリュアデスは、また起きることはできるの?」
勇が問うと、メリアは渋い顔をした。
「……できる、けど、今のままじゃ難しいわ」
何がこの地を、木を汚染しているのか、そしてその汚染をどのようにすれば取り除くことができるのか。強大な悪意の魔力、エネルギーを流し込まれたことで木々は枯れそうになっている。その原因を探り、対処しないことには仮死状態を解くことはできない。
「それなら、心当たりが……」
そう言いかけ、アドラは勢いよく後ろを振り返った。
「伏せろ!」