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第5話

「寒ッ」

 食事を終えた一行は、ディムベリスを出て東へ向かった。

 身震いをしたアドラは、さっき街で買った外套の袷を掴んで恨めし気に空を見上げる。

「どんよりしてっし、この辺の気候どうなってんだよ……」

「北部はこんな感じだとは言うけど、まだそんなに北ってほどじゃないよね……」

 マルタンは地図を開いてしかめっ面だ。

「こんな感じって?」

 勇の問いに答える。

「学校で習ったんだけど、地図の北部に当たる地域って霧がかかったりしやすいのと、それから年中どんより暗い森があるんだって」

 実際には行った事はないけど。とマルタンは地図を勇に見せてやる。北部、現在地よりもさらに北の方には、針葉樹林を模していると思われる描写があった。

「なるほど、きっとこの針葉樹の森が生い茂って暗い地域があるんだね。霧がかかりやすいのは海からくる霧が抜けない地域があるってことかな……」

 考え込んでいる勇に、アドラが言う。

「へー、詳しいじゃん」

 あんたの異世界の知識がこういうところで役に立つんだな、と笑うと、勇は少しはにかんだように笑った。

「学生時代に習ったことうっすら覚えてるだけだから定かではないんだけどね」

「理論的には合ってるとマルも思います。だからこそ、この地域がこんなに寒いのはちょっと変……」

 なんでもユウタさんのせいにするのは悪いけれど、もしかしたらあの力のせいなんじゃないかな、と言うマルタンにアドラは頷く。

「別に悪くねーだろ現にあいつのせいでいろいろ狂ってんだから」


 何度か休憩をとりながら、ディムベリスと交易する農村であるラナコスへ向かう道を行く。その中間、農村寄りの地点に魔物が出るらしいと食堂の主人は言っていたが、地図を見てもどのあたりかは予想がつかなかった。まずはラナコスへ向かうしかないと判断し、進むが……。

「やっぱり、枯れてる」

 人通りが少なくなった街道、マルタンは屈むと、変化を解いてその場にしゃがみ込み、地面に肉球をひたりと当てた。

「……イサミさん、具合は大丈夫?」

「うん?」

 マルタンは一つの提案をする。クラウスが言っていた通りならば、二人の力が作用しあえば、勇の『吸収』の力を発動させることができるのではないか、と。

「なるほど、ここが枯れている理由がユウタの魔力による汚染なら、俺たちで浄化できるかもしれないね」

 アドラは少し不安げに勇の顔を覗き込んだ。

「そうはいうけど、あんたあんま無理すると吸った魔力でまたぶっ倒れんぞ」

 マルタンもそれに頷いた。

「うん、それはマルも心配。だから、絶対に無理しない程度に……できるか、見るだけで」

 わかった、と勇は頷く。あくまでも今回は実験、酔わない程度に、と。

 勇もその場にしゃがみ込んで、マルタンと手をつなぐ。そして、マルタンとつないでいない方の右手を凍てついた地面にそっとついた。

「……!」

 淡く地が光る。その光を受けて、勇の右手も光った。

「来てる!」

 マルタンは勇の手を中心に放射状に芽吹く緑を目視すると、すぐに握っていた勇の手を離した。

「マルタン?」

「続けると何が起こるかわからないから、今回はここまで。……クラウスさんの仮定したことは正しそうだね」

 立ち上がって勇は自分の手のひらを見る。身体が重たい感じはない。この程度ならばどうということは無いようだった。自分から提案したこととはいえ、勇に無理をさせたのではないかと気遣うマルタンをなだめる。

「大丈夫だよ、この通りちゃんと元気」

「うん、ごめんね。途中で具合が悪くなったりしたら絶対我慢しないで」

 勇は頷くと、足元の不自然に生気を取り戻した地面を見下ろした。

 もっと力があれば、マルタンを気遣わせずに済むのに。

 もっと力があれば、この枯れた地や汚された場所を浄化することができるのに。

 悔しくて、力いっぱい拳を握りしめる。その手を、マルタンがそっとつついた。

「イサミさん」

 それ以上は、何も言わない。力が足りずにもどかしい思いをするのは、マルタンも知っていることだから。

 ただ、握りしめた拳をほどくように、優しく撫でるだけ。

「うん」

 頷いて、また歩き出す。


 幾度目かの夕暮れ、西へ傾いた夕日を見送る頃。

「イサミさん、気を付けて、なんかこの森、変」

 マルタンがぴたりと足を止めた。

 ざわり、と風に木々が擦れ合う音が大きく聞こえる。

「イサミさん、足元!」

「え!?」

 マルタンが叫ぶ。勇は注意された通り足元に目を落とした。木の根が、意思を持って動いている。ぼこ、と勢いよく飛び出てきた根に、勇は間一髪飛び退いた。

「な、なにこれ!?」

「ドリュアスだ……!」

 アドラがマルタンを抱えてふわりと飛び上がった。飛び上がった先の木々も、その枝をうねらせて三人を阻むように道をふさぐ。

「ドリュアス?」

「木の妖精のことをドリュアスっていうの。これを使役しているのは多分ひとつの個体じゃないかと思うんだけど……」

 ドリュアスは蝶の羽を持つ森の妖精を指す。彼らは木々を自在に操り、自分たちの住処を守ったり、外敵を退けたりするというが、元来穏やかな性格で、自分から攻撃を仕掛けてくるようなことは無いとマルタンは訝しんだ。

「嫌な予感しかねえな」

 アドラは次々襲い来る木の枝を避けながら『本体』を探す。

「アドラ、良いよ重たいでしょう、下ろして」

「つったってあぶねえだろ……あ」

 マルタンは自分を背後から抱きかかえているアドラを見て、一つ頷く。何を言わんとしているか察したアドラは、パッとマルタンを離した。

「えっ!?」

 勇は足元の木の根を避けながら、頭上を見る。マルタンが降ってくる。このままでは地面に衝突する――! 加速度がついた状態で受け止められるか、勇は両腕を伸ばしてマルタンを抱きとめようと構えた。

 瞬間、マルタンの身体がまばゆく光る。

 その光に目がくらんでしまい、落下地点がわからなくなった。

「マルタン!!」

「大丈夫だよ!」

 マルタンの声は、勇の頭上から。

「ま……、え!?」

 そこには一羽のコマドリがいた。身に着けていたバッグだけが、勇の横に落ちている。

「そうか、変化!」

 マルタンは翼をはためかせながらぴょろろ、と鳴いた。

「考えたな、マル」

 あの体のままだと、縦横無尽に伸びてくる枝から逃れるのは困難だ。小さくて身軽なコマドリに変化すれば木々を避け、隙間をかいくぐって飛ぶことができると判断して、コマドリを選んだのだ。

「すごいや、変化って動物とかにもなれちゃうの?」

 さながら縄跳びのように木の根を避けて進みながら、勇は問う。

「いや、本来は出来ない。身体の構造があまりにも違うものに化けられるのは、上位の魔族でも一握りだ」

 マルの場合は柱に力を賜ったからできるんじゃねえか、と答えながら、アドラは一本の木を指さした。

「あれじゃねえか?」


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