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第4話

 アロガンツィアにて――。

「勇者殿のお帰りだ、迎えを!」

 まだ日が昇り切る前の時刻、西門の衛兵が、丘の向こうに見えたユウタ一行の影に声を上げた。一人は馬で城の方へ駆け出し、報告へ向かう。残った四人のうち二人が、ユウタ達へと駆け寄っていった。

 あの新聞の報せは、半分は偽りだった。

 ユウタが軽傷を負ったことを知らせたのは、船で帰る最中にアロガンツィア兵が送った伝書ハヤブサだった。ユウタは、すぐにアロガンツィアへ報せを送ることができるように、伝書ハヤブサを呼ぶ笛を持っている。小さなことでも大げさにいちいち伝えるものだから、ハヤブサは迷惑被っているかもしれないが、契約の元に使役されるハヤブサはそれを拒むことは出来ない。エニレヨの件でも使われたこのハヤブサは、主君の命に従って手紙を運んだだけなので何も罪はないのだが。

 勇者が負傷して帰還した。というのは、ハヤブサを飛ばした時点では未来に起こることであり、あの新聞は見切り発車で書かれて発行されたものとなる。実際にユウタがアロガンツィアへ到着したのは、ハヤブサの到着の数日後だった。

 王城へと辿りついたユウタは、すぐに医務室へと自分の足で向かった。

「勇者殿! ああ、そのようにお怪我をなさってお労しい」

 医務官が駆け寄り、ユウタの背を支える。

 最も、致命傷になり得るような負傷は一つもなく、自力で歩行できているのだが……。

「ああ、とんでもない奴らだったよ。僕たちが海域に入るなり敵意をむき出しにして……」

 ユウタの言葉に、ネージュは口を噤む。

 彼の嘘に乗るでも、訂正するでもなく、ただ黙っていた。

「ネージュ殿は魔力の消費が激しいとお伺いしました、どうぞゆっくりお休みいただいて、回復につとめてくださいませ」

「ありがとうございます」

 医務官に言われるまま、ネージュはカーテンの向こうに姿を消した。現在となっては軍の中では紅一点となっていることで、しっかりと間仕切りのある向こうでの着替えを用意されているのは好都合だった。

 修道服の下に隠すよう身に着けていたネックレスを手に取り、両手の平の上に乗せると、小さく何か唱えた。淡い光と共に、ぼんやりとした像が浮かぶ。それを見て何かを考えるように眉を寄せると、魔力回復のポーションを飲み、修道服から寝間着へ着替えて、ネックレスを再度寝間着でしっかりと隠してベッドへ身を横たえた。



「やっと着いたねー」

 ディムベリス港。数日間波に揺られて着いたそこは、霧のかかった港町だった。エルディーテからの船に乗っていた魔族たちは、アドラやマルタンと同じように変化の術で人間の姿に化けて、桟橋にかけられた渡り板を歩いていく。それに続いて、マルタンも船を降りた。

「大丈夫か?」

 まだ慣れないだろ、とアドラはマルタンの手を取る。背の高いアドラの手を握るマルタンは、さながら母親と手をつなぐ子供のようだった。

「うん。少しずつ慣れてかないとね、この姿にも……」

 背後で、げっそりとした勇がよろよろしながら歩いているのをアドラは振り向き、小さくこぼした。

「……イサミのほうがなんかヤバそうだな」

 あんたも手、必要か? そう尋ねると、勇は小さく首を横に振り、蚊の鳴くような声で「だいじょうぶ」と答えるのだった。


「おなかすいたね、まずは食堂か何かで腹ごしらえして、情報収集してみる?」

 マルタンはレンガの道を革のブーツで踏みしめて少し楽しそうにそう言った。

「だな、この街の食堂ってどこだ?」

 周囲を見回す。クラーヴァの話ではディムベリスは商港と言う話だったから、港には大体安くてうまい飯屋があるはずだけど。と続け、アドラはすれ違った女に声をかけた。

「すみません、このあたりで食事をするならどこがおすすめですか?」

 女は、少しやつれていた。俯いて歩いていたが、アドラに声をかけられてゆるりと顔を上げ、淡く微笑む。

「外からのお客様かしら、それなら、そこの端にある赤レンガの建物がおすすめなのだけど……今はあまり品ぞろえが良くないかもしれないわ」

「というと?」

「海の幸に関しては漁港だからどうとでもなるんだけど、陸路で来るお野菜とお肉が不足しているの。輸入しているものはまあ出せるけれど、ちょっとお値が張るわね……」

 それに、観光客相手に出すよりもここの港の人間で消費するほうを優先したいし……といった女に、マルタンはそっと尋ねる。

「あの、何かあったんですか?」

「数週間前からかしらね、ここから東の方の街道に魔物が出たとかで、物流がおかしくなっちゃったのよ。だから、どこも今品薄なの」

 ディムベリスは霧が濃く、気温が低めなので農業に適さないそうで、地物の野菜はかなり少ないのだそうだ。作れても芋くらいだという。潮風もきついので、塩害も出やすく、土壌も農業向きとは言えない。だから、魚介類と乳製品以外の品はほとんど近郊の農村や南の方の地域から船で輸入するのが常であった。その陸路が絶たれた今、ディムベリスは窮地に立たされることになったのである。

「魔物……」

 マルタンが表情を曇らせる。

 船酔いの余韻を抱えたまま、勇は回らない頭で懸命に考えた。

「ねえ、マルタン、これって……」

「ちょっと、怪しいなって思いました」

 三人は顔を見合わせ、頷くと、女に礼を告げて、教えてもらった赤レンガの食堂へ向かった。


「今日もこれだけだよ、悪いねおやっさん」

 タオルを頭に巻いた男が、エプロンを付けた親父と何か話している。マルタンは木箱を持った男に声をかけた。

「あの、入ってきても大丈夫でしたか」

「ん? おお、ごめんな、お客さんか。大丈夫だよ」

 勇が問う。

「俺たち、エルディーテの方から来たんですけど、さっき外で女性に聞いたんですが、今、ディムベリスは物流が滞っているとか……?」

 うん、と男は頷いた。

「そうなんだ。見てくれ、これが今日の仕入れ」

 そして、持っている木箱の中を見せてくれる。海産物が少しと、葉物野菜がほんのひとかたまり。それから、小麦粉が何袋か。到底店をやっているところへ渡すような量には見えない。

「もう数日は肉を見てない気がするね、俺の仕入れがへたくそなのもあるのかもしれないが……いや、今はどこもこんなもんだよ」

 エプロンの男が言う。

「あんたら来たのが午前中でよかったな。うちはもう午後の営業はやってないんだ。……出来ないって言った方が正しいけど」

 料理人と思しきその人は、ため息をつく。が、気を取り直すように顔を上げると笑った。

「でも、今あるものかき集めて最高に美味いもん作ってやるからな」

 三人は、料理人の少し辛そうな笑顔に胸を痛めるが、プライドにかけて料理をしてくれることに感謝してテーブルの上のメニューを開いた。

「……」

 そして絶句する。半分以上、いや、ほとんどのメニューの上に『品切れ中』の紙が貼ってあった。今頼めるのは、魚の一夜干しと、魚卵のパスタ、ミルクとチーズのリゾット……。注文できる品を数えるほうがはやい。

(本当に物が少ないんだ……)

 察するに、魚や乳製品もこの街の中であるものをなんとか分配して食いつないでいる状態なのだろう。だから、今出せる品もかなりぎりぎりの在庫なのだろうと予想できた。

「……行くよね?」

 勇はマルタンの顔をのぞき込む。

 マルタンは、しっかりと頷いた。

「すみません、一夜干しと、パスタ二人前、あとリゾットひとつ……それから」

 お話を伺っても良いですか。

 マルタンは、注文を取ってくれた男にそう尋ねた。


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