目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第1話

 クラーヴァに会った翌朝、マルタンは図書館を名残惜しく思いながら後にした。たくさんの本を読むのは、この騒動が落ち着いてから。きっと、またここへ来られると信じて、一歩を踏み出す。

「おはようございます。忘れ物はありませんか?」

「え?」

 宿を出て、図書館から港街へ向かう長い階段を下ろうとしたその時、背後から声をかけたのはクラーヴァだった。

「クラーヴァ様!」

「朝には宿を出ると聞きましたから。お見送りをと思って」

「ありがとうございます」

 マルタンはクラーヴァに駆け寄る。階段の下の方からは、ハクチョウの姉妹が飛んでくるところだった。

「ケルヴィムさん、ソフィアさんも!」

 ご無事でよかったです、と勇がいうと、ケルヴィムはひらりとその場に降りて腰に手をあて、わざとらしく「えっへん」と胸を逸らす。

「ね? 言いましたでしょ。わたくし結構強いんです」

 一応ご報告を、とケルヴィムは続けた。

「アロガンツィア籍の船は、金の髪の人間、白い修道服の人、それから……4名、アロガンツィア兵が乗っているのは目視できました。エルディーテの本に興味があるとおっしゃっていたけど、どうにも物騒な武器を構えておいででしたので武器を放棄するよう伝えたところ、金の髪の人が強行突破しようとしたので」

 アドラはそこまで聞いて、眉を顰める。

「おい、そいつって……」

「剣を没収したんですけど、アロガンツィアの紋が彫られていましたね、えーと、名前は何て言ったかしら……」

 ゆ? よ……? と考えながらケルヴィムは首を傾げる。

「ユウタっていってなかったですか?」

 勇が半ば誘導のようになってしまったがそのように問うと、ケルヴィムは、ぽんっと手を打った。

「そう! 多分それです、ユウタさんってよばれてました! ……気がします~」

 定かじゃないけど~、と間延びした声で続けるケルヴィムにソフィアは小さくため息をつく。

「申し訳ありません、姉は興味のない者の名前を覚えなくて……」

「なんか相手にするのもめんどくさいなって思っちゃったんですけど……でも明らかに害意ありで……」

 クラーヴァは白いふわふわの耳を一つぴこりと動かし、ぺたっと寝せる。

「まさか、命を奪ってはいませんよね」

「ご安心ください、やっちゃいそうだったので援軍を呼んで、降参してもらいました」

 ほっと溜息をつくクラーヴァ。勇が恐怖しているのに気づいてソフィアは解説する。

「すみません、姉は力加減がわからなくなってたまに敵を殺めてしまうことがありまして……」

「最近は大丈夫ですよう?」

 エルディーテにおいてもできる限り戦闘は避け、敵とみなされる相手であっても命を奪わない方法で撃退することを掟としていることをクラーヴァが言うと、アドラは初代魔王からの掟に沿って筋を通しているんだな、と納得したように頷いた。

「まあ、それもありますが……わたくし自身血なまぐさいのを好まないですし。それに、争いは新たな争いを生みますからね。穏便に済ませられるならそれが一番です」

 うっかり命を取れば、弔い合戦が始まりますから、とクラーヴァはケルヴィムを見遣る。過去になにかあったんだろうか、と思わせる視線だった。

「なので、今は向こうが降参してくれない時は援軍でちょっとばかし脅かすようにしてます」

「言い方よ」

 アドラはツッコミが追い付かない。

 皆で港までの階段をゆっくりと降りながら話す。勇はふと気になって尋ねた。

「相手が退かないときはどうするんですか?」

「みなごろしですね」

 すぱっとケルヴィムが食い気味で答える。

「姉さま」

「あ」

「……」

 少し気まずい空気が流れる。グロセイアが言っていた最強の軍を持つエルディーテというのはこういうことか……。

「ちゃんと理由があるんですよ、生き残りに情報を漏らされても困りますし、凄惨な戦いの生き残りってすごい執念で復讐しにくるので、それなら完膚なきまでに潰しきったほうがいいってそういうことです」

「ケルヴィム」

 クラーヴァに制止され、ケルヴィムはしゅんとする。

「まあ、でも言ってることはわかるぜ、あたしたちも言わば残党だからな。拠点焼かれて同胞を殺されればそりゃあな」

 勇は、アドラの発言に口を閉ざす。諍いは復讐を生み、復讐により傷つけられたものはまた新たな復讐者になる。どこかでその鎖を断ち切らねばならないが、それは誰かがやめるか、――物理的に、誰かがやめさせるかだ。今、ケルヴィムはその後者の話をしている。

「わたくしどもとしてはなるべく未然に防ぎたいところですがね、……野心に飲まれたものによる襲撃には毅然として立ち向かう必要がありますから」

 ソフィアは険しい顔でそう言うと、沈んだ雰囲気を払うようにパッと顔を上げた。

「さて、定期船が出るまで時間があります。少し町の観光でもして、港の食堂で待ち合せませんか。昼食をご一緒できればと思ったのですけれど」

「船は何時に出るんですか?」

「北方へ回る船は午後3時ごろですね」

 海を臨むテラス席がある建物をクラーヴァが指さす。

「見えますか、あちらで待ち合せましょう」

「はい! ……なんだかゆっくり街を見て回るなんて、してこなかったから新鮮だね」

 マルタンは好奇心に目を輝かせる。

「だな、ずっと先を急いでたもんな」

「船が出ないことには次には行けないんだし、ゆっくり見て回ろうか」


 街並みを散歩するだけでもきっと楽しいですよ、と促され、三人は階段の途中で横道に逸れて大きな公園へと入った。

「手入れが行き届いててきれいな花壇だね」

 勇は色とりどりの花が植えられている様に声を弾ませる。

「うん、噴水も綺麗!」

 マルタンは四足歩行で駆けだす。それを見て、アドラはくすくすと笑った。

「久々の散歩に浮かれてんな、マル」

「ずっと山道とか船とか……こんな開けたとこ久しぶりだもんね」

 真っ白な大理石で出来たドラゴンをてっぺんに据えた大きな噴水からは、透き通る水があふれだし、朝日を受けて虹を作っていた。その近くにあるベンチに腰かけて、マルタンは噴水のドラゴンを見上げる。

「あのドラゴン、ちょっと校長先生に似てるね」

 隣に座ったアドラに言えば、アドラはそうかあ? と言った後目を凝らした。

「まあ、雰囲気はそっか? でも胸元のふわふわが無いだけで結構イメージ変わるな」

「あ、確かに。なんか足りないなって思ったら胸のふわふわだ」

 勇も噴水を眺めて、問う。

「校長先生ってあんなに小さかったの?」

 ぶ、とアドラが吹き出した。

「噴水のはモチーフだからちっさいけど、先生はもっとデカいよ。……あ、でも変化で自在に化けれるか……?」

「マルたちの前ではいつも同じ姿だったからね、身長的にはアドラとおんなじくらいだったよね?」

 勇は少し驚く。ドラゴンはもっと大きなイメージがあったからだ。

「もっとも、あたしらにサイズ合わせてくれてるってのはあったかもだけどな」

 大型モンスター種の奴らもそれなりにいたけど平均サイズにしてたんじゃね? というアドラに勇はなるほど、と返して、それから三人はぼーっと噴水を眺め続けた。

「……なんか久しぶりにぼーっとしてる気がする」

「それは……うん……」

 どこにいても落ち着くことなんてできなかった。追手が来る可能性に神経を尖らせ、遭遇するかもしれない脅威に身構える。エルディーテにおいては、それが一切なかった。どこまでも、穏やかな時間が流れている。公園を行くのは、朝のジョギングをしていると見える猫の亜人、マルタンたちのようにベンチに座ってボーっとしている老人、芝生で寝転がっている――ベヒーモス。

「べ!?」

 マルタンはベンチからガタッと立ち上がった。そして寝転がるベヒーモスに駆け寄る。

「ベビモ先輩!?」

「んぐご……? おん?」

 いびきをかいて寝ていたベヒーモスが起き上がり、目をこすりながらマルタンを見た。

「……マルタンか!?」

「はい! ベビモ先輩なんでここに!?」

「なんか走ってたらここについた」

 アドラと勇は同時に頭を抱える。

 ……なんで? 何をどう走ったらあそこから北西といってここにたどり着く?

「そうだったんですね……全然ここは北西じゃなかったけど……無事でよかったです」

「おう、ここはいいな、俺みたいな姿のも、人間も獣人も関係なく暮らしてる」

 陸路から都市へ入るには険しい山道を抜ける必要があったはずだが、まあよく辿りついたものだ。港とは逆方向の山側には門があるが、それも知らなかったので塀を乗り越えようとしたところを翼のある男性に止められたのだという。

「不法侵入しかけてんじゃん」

 アドラがぼそ、と呟いた。

「でもさ、快く受け入れてくれたんだその兄さん。事情を説明したら、とりあえず入れって」

 嬉しそうに言って、ベビモはからからと笑う。

 なるほど、やはり都市に入ろうとする者の善悪を見分ける力は確からしい。

「で? あんたはここに居つくのか?」

「んー、そうだなあ、居心地良いしな……」

「学術都市にこんなんがいるのもちょっと違和感あるな」

 アドラは失礼な感想を隠そうともしない。

「安全ですし、良いとは思うんだけど……ご家族にお手紙出してみては」

 きっと心配してますよ、とマルタンが言う。

「手紙?」

「はい、マルも書いたんです。無事ですよって」

「うん、だな。母ちゃんも心配してるかな」

 勇は高速で頷く。

 絶対心配だ。この息子。

「手紙なんて書いたことねえや、どうしたらいいんだろ」

「無事です、だけでも……」

 レターセットも当然持っていないベビモに急遽付き合うことになり、マルタンたちは公園から出て雑貨屋を目指した。

「こんな早くから開いてるかなー……」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?