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第3話

「クラウス、あんたに手紙だよ」

 ある日の朝、オルメアはクラウスの部屋の扉を叩いた。

 すっかり居候として定着しているクラウスとペトラは、オルメアの屋敷で向かい同士の部屋を借りている。研究に熱中するとペトラがなかなか部屋に帰らず、二人で明け方まで文献を広げていることもしばしばあり、目の下に隈をつくって朝食の席で叱られることも少なくない。デスクで寝落ちしていたクラウスは、オルメアの声に気づいて慌てて立ち上がった。

「おっとと……」

「手紙は逃げやしないから慌てなさんな。足がもつれてるじゃないか」

「や~、すみません、二本足なの忘れてました……」

「まったく、あんたみたいな図体デカいのが転んだら大ごとだよ。ほら、今朝伝書トビウオがうちの止まり木に来てたんだ。宛名があんただったよ」

 止まり木、とは、岩礁にある流木を指す。水の民の集落にのみ咲く青サンゴの花が昼夜問わず淡く光っているのが目印となり、伝書生物はそこを目印に旅をするらしい。

「ありがとうございます、おや、これは……」

「マルタンたちかい?」

「そうですね、よければ一緒に読んでくれませんか」

「それじゃ、向こうのテーブルで」


 マルタンの事だから、きっとクラウスを手紙の代表に据えてはいてもみんなに宛てたメッセージもいれていることだろうと見越して、皆をリビングのテーブルに集める。

「よかった、まずは無事なんだね」

 ヴィントが息をつくと、クラウスは手紙を開いた。

「おや」


 ――みなさん、あれからお変わりないですか。マルは、エルディーテで西の柱にお会いすることができました。


 郵便事故などが起こったときのことを考えてか、マルタンは西の柱の名前をあえて手紙の中に明記していなかった。クラウスは改めてマルタンを賢い子だと認識し、感心する。


 ――図書館へ訪れる直前のことだったのですが、エルディーテに警報が鳴り響いて、海の方へ警備隊の皆さんが出ていきました。ちょうどバハルさんとヴィントが帰っていくところと鉢合わせそうな感じだったので、少し心配。

 でも、エルディーテ警備隊の方々はとても強く、緊急時に備えての訓練もたくさんしていると聞いたので、二人は何事もなく今頃はもうお屋敷でゆっくりできているのかな。


「おや、そんなことがあったんですか……」

 クラウスが驚いてヴィントの顔を見ると、ヴィントはごめん、と眉を下げた。

「心配かけると思って言わなかったんだけど、実は警備隊の人たちが帰りは途中まで護衛してくれたんだよ。姿隠しの魔法を船全体にかけて、もめ事を起こしている船に気づかれないようにしてくれていたんだ」

「なるほど、お気遣いありがとうございます。して、ヴィント君。その船の船籍は確認できましたか」

「アロガンツィアだった。……なんか、かわいそうなくらいコテンパンにされてたけど」

 クラウスはぱちくりと瞬きを一つ。そして、けらけらと笑いだした。

「なるほど? さすがはエルディーテの警備隊だ。噂には聞いていましたがお強いわけだ……」

 すれ違った船の船籍くらいは伝えておくべきだったね、とヴィントは反省した様子でクラウスに頭を下げる。バハルはノートを一冊、テーブルに置いた。

「一応航海日誌はつけているから、いつどこを通ったとか何とすれ違ったとかの記録は残ってるぞ」

「ありがとうございます、これは役立ちそうですね」

 マルタンに返事を書いてあげられないのがちょっと残念だね、と言うヴィントに、バハルは優しく微笑んだ。

「あいつなら大丈夫だろう。それに……」


 ――次の行き先はフィニスホルン方面です。なにかもしわかったことがあれば、ツァボライトさんの拠点へ伝書のうえ、グラナードさんからマルへ通信するようお伝えください。ワンクッションを挟むことでお手数をおかけしますが、なにとぞよろしくお願いします。


「ほら、な」

 伝える手段をきちんと考えているだろう、とバハルは手紙の続きを読み上げたクラウスの声に続く。ヴィントは、手筈通りになっているね、と頷いた。


「フィニスホルン……」

 なるほどな、とペトラが地図を開く。

「何かご存じですか、先生」

「ああ、学校と書類のやり取りをする際の住所はフィニスホルンの屋敷だったから、まだそこで過ごされているのであれば会えるかな、と思った次第だ。ただ、あのお方はいつもいろいろな場所を放浪されているからな、文書の返事は大体秘書によるものだったので実際にフィニスホルンにいるかと言われると私にもわからん」

 グロセイアは「はあ?」と思わず声を上げてしまった。

「それ、マルタンたちが発つときに教えてやりゃよかったんじゃねえのか、もしかしたらフィニスホルンかもって」

 ペトラはしれっとした顔で返した。

「すまん失念していた」

 クラウスもさすがにこれには苦笑いだ。学校の職員だから知りえた、当時の魔王の居場所がわかったのは良かったが……。

「まあ、これで情報がある程度重なってきたのでフィニスホルンにいらっしゃる可能性も高まった、ということですね」

「そうだな。それに、私たちの解析もそこそこ当たっていたと解釈できるぞ」


 北におわす柱。眠りの冬の導き手にして、『理』の神とも称される存在。それは、オルメアの書庫にあった本におとぎ話として記されていた。

 雪深い山麓にある小さな庵、そこに優しい賢者が住んでいる、という物語。

「庵に入るには、賢者の質問に正確に答えねばならないという伝承があるようだが、マルタンたちは大丈夫かな」

 ペトラが心配そうにクラウスの顔を見遣る。クラウスは少し悩んで、それから穏やかに笑った。

「マルタンさんはすこし天然なところもありますが、本質は賢い子ですからね、なんとかなるのでは」

「一応謎解きを求められるかもしれないことだけはグラナード氏から伝えてもらおうか」

「そうですね、心の準備のあるなしで違いますし」

 抜き打ちテストをやるとみんな怒るからな、と付け足してペトラはメモを作り始めた。


 手紙の続きを読み進める。


 ――それと、西の柱のおかげでわかったことがひとつ。

 校長先生がご存命でいらっしゃること。どちらにおいでかはわかりませんが、一つの可能性にかけてみたいなと思っています。


 ここでもマルタンはぼかす。

 どこにいると踏んでいるかは明記せずに、校長と魔王の関係を知っている者だけにわかる書き方をしていた。

「なるほど」

 ペトラはほっとしたような面持ちだった。『一つの可能性』の意味を理解し、クラウスと顔を見合わせる。

「では、私たちもグラナード殿向けへの伝書を……ツァボライト、君の拠点へ送らせてほしい」

「わかった。書けたら寄越してくれ。トビウオが速いだろうからそれで構わないか」

 あ、とグロセイアは思い立つ。

「何枚も書くなよ、出来るだけコンパクトにしてくれ」

「わかっている。重たくなるとトビウオが可哀想だからな」

 ペトラの性格上、筆が乗ると長文になるだろうと見越したグロセイアの発言に、その通りになりかねないな、とクラウスは密かに笑った。


「……みんなの無事を祈っています。――マルタン」

 手紙の最後の一文を読み終えると、クラウスはそれを丁寧に畳んで手帳に挟んだ。



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