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第6話

「小さいころから、力を使う時は慎重にって教えられてきたけど理由がはっきりしたな」

 アドラが神妙な面持ちで本のページを見つめる。勇は、ヒトと魔族とは全く別の存在であると思っていたところをひっくり返されてまだ頭が混乱していた。しかし……。

「マルタンも初めに会ったときに無駄な戦いは避けたいって言ってたけど、それは初代魔王様の考え方と似ているんだね……」

「そうだね……だって、誰も傷つかないならそれに越したことはないじゃない?」

 クラーヴァはそう言ったマルタンを見つめ、そして椅子から立ち上がった。クラーヴァの椅子の横から伸びあがるようにして本を見ていたマルタンは、クラーヴァの顔を見上げる。

「マルタン、エビルシルキーマウスのレジスタンス。あなたはどの属性の加護も受けていませんね?」

 マルタンの桃色の手を取ったクラーヴァは確認するように問うと、静かに首肯したマルタンのその手をそっと自分の両の手で包んで続けた。

「やはり……レジスタンスには属性加護が付与されない。それは変わらないのですね」

「え?」

「いえ、遥か過去に現れたというレジスタンスもそうだったように、あなたが属性加護を持たないのはレジスタンスである証でもあるのですよ」

 魔族であるにも関わらず、自分には加護がない。過去にそう言ったマルタンの「レジスタンスだからなのではないか」という読みは当たっていた。やっぱり、と言って、マルタンはどこかほっとしたような面持ちでクラーヴァに答える。

「気づいていたのですか、マルタン」

「なんとなく……レジスタンスは他とは何もかも違うって校長先生が言っていたので」

「なるほど、ヒルデガルト殿が……」

 ヒルデガルト、それは『魔族防衛専門学校』の校長。新雪のような真白の身体に、オーロラのように揺らめき光る翼、ファーマフラーのようなふんわりとした首元の毛が優雅なドラゴンであった。学校が焼け落ちた日に生徒と職員が逃げるのを見届けた後、行方は知れないが……。

「はい。あの、……校長先生は、無事なのでしょうか」

 クラーヴァは俯く。

「それはわたくしにもわかりません」

 ヒルデガルトとは古くから付き合いがあり、伝書生物でのやりとりもしていたのだが、あの事件以降連絡が来たことはないという。もとより多忙なヒルデガルトだったので、そう頻繁に連絡を取り合っていたわけではないが、何かの節目だったり、欲しい書物があるときには伝書があったものだから、心配だとクラーヴァは言った。その言葉に同じように沈んだ表情になってしまったマルタンに気づいて、クラーヴァはハッとする。

「弱気になってはいけませんね、どこで何をしているか、怪我はないかはわからないのですが、彼女についてひとつわかることはあります」

「なんでしょうか、何でも構いません、わかることがあれば……」

 クラーヴァは頷く。

「存命だという事だけは」

 成熟した柱には、かかわった者の命の灯を辿る力が備わるという。

 それは、対象の位置を特定することや対象の残りの命を知ることは出来ず、この世に存在しているのか否かがわかるにとどまるが、クラーヴァは毎朝、毎晩その力を使って親友たるヒルデガルトの命の灯を辿っていた。

 マルタンは泣きそうな顔でよかった、と小さく小さく震えた声を出した。

「あたし、逃げた後に学校の方を振り返ったんだ。白い影が北の山の方に飛んでいくのは見た。あれが校長先生かどうか断言はできないけど……そうなら、向かった先は北だよな?」

 アドラの話に、北? と勇が聞き返すと、クラーヴァは地図を広げて見せてくれた。

「あなた方の学校から北の方向と言うと、こちらですね」

 指をさした先は雪深い山になっていた。

「フィニスホルン……」

 そこは、年中雪に閉ざされた極寒の地。人も魔族も近づかない、辺境の地だった。待って、と勇は人間の地図を取り出す。

「フィニスホルンとしか書いていないけど、これ……」

 ゲーム内での最終目的地はそこだったはずだ。

 自分で攻略したわけではないので本当のところはわからないが、プレイヤーの間で十分にレベルを高めたら向かうべき場所、ラスボス戦があると言われていた場所が『フィニスホルン』だったのである。

「なるほど、悪しき魔王を討伐する『ゲーム』とやら物語の最後に向かうべき地、それがフィニスホルンであれば、そこに魔王がいると想定してよさそうですね」

 クラーヴァは二枚の地図を並べて、見比べた。

 フィニスホルンの位置は完全に合致している。そこへ向かう道筋は、魔族の地図にははっきりと描かれているが人間が使う方には何も書かれていない。勇は、これも攻略を進めると書き足されてくシステムになっていると思うと説明した。

「現魔王は……よくあちらこちらを放浪しております。そこに留まっているかの確証は得られませんが、もしも魔王を頼ってヒルデガルトがそちらへ向かったのなら会えるやもしれませんね。それに……」

 フィニスホルンの麓には北の柱が庵を構えておりますからそちらにも会いに行ってみては、とクラーヴァは続けた。

「はい、たくさん教えてくださってありがとうございます」

 マルタンはクラーヴァに頭を下げる。クラーヴァはその様子に嬉しそうに微笑むと、答えた。

「ここは知の都市。あなた方の一助となれたならば、それ以上のことはありません。こちらこそありがとう」

 さて、お忘れではないですか? とクラーヴァはマルタンの頭に触れる。

「あっ」

 二人の柱はマルタンに魔族を、この世界を救うのに役立つ力を与えてくれた。クラーヴァもそれに続くということだろう。


「何を望みますか、マルタン」

 目を閉じて、マルタンは考える。誰かを守る力、誰かを怯えさせない魔法、次は――。ちらと思いかけて、それではだめ、と更に目をぎゅうと瞑った。

「マルタン? 今あなたが思いかけた望みは、きっと悪いことではありません。言ってごらんなさい」

 クラーヴァは優しく促す。マルタンはおずおずと口を開いた。

「……力を。強大な悪意を持って向かってくる相手を退ける、力を」

 グロセイアを追ってきた王国軍の船、あそこにとどまってグロセイアを救えたなら。戦う力があったなら、あんな怪我をさせなかった。デロニクスの島でユウタ達と対峙したときに、もし自分に力があれば、スピネルに発砲させないで済んだ。

 この先だってどんな危険が待ち受けているか知れない。

 それならば、戦いたくなくても――。

「よろしい。あなたに一つ、強大な力を授けます」

 マルタンは目を開けた。

「えっ、待って」

 制止しようとするマルタンを、クラーヴァはやんわりと遮る。

「大丈夫。あなたならば適切な行使ができる」

 マルタンの額にあてがわれたクラーヴァの手から、強い光があふれた。マルタンは体が熱くなるのを感じて、毛を逆立てる。

「マルタン、力について説明しましょう」

「はい……」

 少し怯えたような顔で、マルタンはクラーヴァを見上げた。勇とアドラもそれを心配そうに見守る。

「今、あなたの中に目覚めた力は、場合によっては相手を殺してしまうことのできる技です」

「え!? そんな……」

 マルタンはすがるような目でクラーヴァを見る。お返ししますとでもいうように。

「良いですか、その力は『二度目』に発動します。あなたの噛みつき攻撃……それを、二回受けた相手は麻痺に陥ります。また、あなたが明確な殺意を持って格下の相手に二度目に嚙みついたならば……」

 その相手は即死します。

 何でもないことのように言ったクラーヴァを、マルタンは愕然と見上げる。

「マルタン? 聞いていましたか」

「は、はい……」

 唐突に強大な力を与えられたマルタンは、どうしていいかわからずにいるようだった。クラーヴァは落ち着かせるように続ける。

「良いですか、相手が死に至るのは、あなたに『明確な殺意がある』場合のみ。それ以外は麻痺にとどまります。……上手くお使いなさい」

 クラーヴァの右口角がきゅっと吊り上がった。

 マルタンは、ハッとする。

 なるほど。

 命を奪うためではなく……。

「ありがとうございます」


 そのあとはクラーヴァが用意したお茶を飲んで、少しだけ休んだ後、図書館に併設された宿泊施設を使わせてもらうことになった。

 マルタンは、去り際にクラーヴァに尋ねた。

 ――なぜ、レジスタンスは加護を受けていないのでしょうか。

 その問いに、クラーヴァは答えかけ、そして、やめた。

 ――それは、きっとご自分で気づかれた方が良いことです。

 きっと、もうすぐわかりますよ、と微笑んだクラーヴァはどこか楽しそうだった。


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