クラーヴァは、閉架書庫の一番奥の書架へ向かうと、一冊の古びた本を手にしてテーブルについた。扉を閉ざした後に暗くなった書庫だったが、天井のランプをクラーヴァが指さすと、それぞれ一つずつあたたかな灯りを宿してゆき、壁面と天井に繊細な幾何学模様の影を落とした。
「すごい、きれい」
マルタンが感心して天井を見上げていると、クラーヴァは小さく笑った。
「普段はここでお茶を飲んでいるので、閉架書庫と言うよりもわたくしのプライベートルームみたいなものですね。私物化してはいけないとよく部下に叱られるんですが」
どうも居心地が良くて。そう言って、本を開く。
「どうぞ、おかけください」
クラーヴァがそういうと、椅子も自動的に引かれてマルタンたちを迎えるように淡く光った。見た目よりも座り心地の良い丸椅子に勇とアドラは腰掛けたが、マルタンは小さいのでそこからだとクラーヴァの手元がよく見えない。
「あの、近くで見てもいいですか?」
「ああ、すみません。そうですね、不便をかけますがどうぞわたくしの隣へ」
クラーヴァは少しだけ考え込む。
「あなた方がここへ来るだろうという話は、ケラスィヤの使いから聞いています。この小さな龍が、一生懸命ここまで来たときには驚きました。まだ幼いと思っていたケラスィヤが、龍をしっかり使役できるようになっているとは」
「幼い……」
そういえば、デロニクスもまだケラスィヤは未熟だと言っていた。それでも人間たちの常識的な寿命は遥かに超えているのだろうけど……。
「なにやら、よろしくないことが立て続けに起きている、と。そして、わたくし達『柱』を害そうと企む輩がいると」
はい、とマルタンは一つ頷く。
ユウタ一行の話を簡単にすると、クラーヴァはなるほど、と手元の本を捲った。
「それで、勇者とやらは魔族を滅ぼそうと躍起になっているとのことですが……」
「はい、アロガンツィア王の命で魔族を根絶やしにと」
おやおや、物騒ですね、とクラーヴァは笑った。
「魔族が一体何をしたというのやら」
あなたたちには教えておいた方がいいと思いましてね、とクラーヴァはその本の初めの方のページを開いて見せてくれた。
「イサミさん、あなたは異世界からお出でですからあまり詳しくはないでしょうが、なんとかついてきてくださいね」
「え? は、はい」
そして、アドラとマルタンにも視線を向ける。
「この世界で暮らしてきた魔族であっても、一部の者にしか明かされていない……そう、あなたたちが知る処であれば魔王殿と、防衛学校の校長……白いドラゴンですね、あのお方くらいしか、おそらくは知らないでしょう」
なので、あなた方もあまり口外はしないでほしい情報です、とクラーヴァは念を押してから話し始めた。
「この世界において、ベースと言える種族は魔族です」
「え……」
勇が思わず驚いて声を漏らすと、クラーヴァは「おや、あなたが先に驚くんですか」と笑った。勇はもともとゲームとしてこの世界を知っていたが、ゲームの中では人間が正義であり、魔族が人間を滅ぼそうと企む悪者であった。
異世界のゲームにおいて、魔王は魔族以外の種族を全て滅ぼしたうえでリベルテネスを魔族の地とし、世界を征服するつもりだと語られていたのであると話をしても、クラーヴァは眉一つ動かさなかった。
「そうですか」
「腹立たないんですか?」
アドラが率直に問う。
「ええ……腹が立つというよりも、設定がお粗末すぎて可哀想だと感じました」
もっと敵愾心を煽る方法とか、魔王がものすごい悪者になるシナリオとか、考えられそうなのに、とクラーヴァは言う。クラーヴァが考えた設定でゲームが出来上がっていたらそれはそれですごく怖いんだろうな、と勇は思ったが、口には出さないでおいた。
クラーヴァが示したページには、魔法人類の項目があった。そして、そこから枝分かれするように魔族、人間、獣人との記述。
「まず、古代においてすべての生命は魔法を扱える存在でした。外見は現存している魔族そのもの、角があったり翼があったり、様々です」
その魔法人類には、時代が進むにつれて次第に魔法の力を失っていく種がいたのだという。そういった種は、翼を失ったり、鋭い爪をなくして、徐々に現在の『人間』に近い姿へ変わっていった。
「古くは、人間側はこれを進化と呼びました。わたくしたち『柱』や魔族は変化と呼びます」
人間たちは、魔物の特徴を失ってしまったが、動物じみた外見ではなくなったことを好ましく思うものが多かったようだった。大昔には魔法人類と呼ばれていた、リベルテネスの知的生命体の原初の形、変化して人間にならなかった種はそのまま魔力を有し、外見的特徴も残したまま『魔族』と呼ばれるようになった。
「それじゃあ、獣人は……」
マルタンの問いにクラーヴァはお察しのとおりです、と静かに言う。
「魔力を失い、『獣の特徴を残した』魔法人類の生き残りです」
聞けば、水の民も古くは魔法人類であったとみて間違いないらしい。オルメアが言うには「魔法はどんなに努力しても習得することは出来ない」とのことなので、厳密には獣と呼ぶのはおかしいが、おおざっぱに獣人の枠に定義されるという。
「じゃあ、亜人は……?」
アドラが問うと、クラーヴァは次に書物を捲って更に獣人から連なる系譜を見せてくれた。
「獣人と人間との交配種が一般に亜人と言われます。人間は、魔族の外見的特徴こそ失っていますがその根底に魔力を残している人が多く存在します。なので、人間にも魔法を扱えるものがいるのです。亜人とは、その人間と獣人との間の子ですから、少しだけ魔族に近づきます。しかし、もともと魔物をベースとしている魔族に比べるとその魔力は劣りますね」
人間へと変化する際に薄れた魔力が、獣人の血が入ることによって更に薄まっているので、と淡々と続ける。
強大な魔力を保持し、世界から何らかの加護を受けているのが魔族、魔族らしい特徴を失って魔力が薄れてはいるが鍛錬次第でつかうことができる種族が人間、魔族としての外見的特徴を残し、魔力の一切を失ってしまった種族が獣人。だからこそ、初代の魔王から魔族はずっと掟を守ってきた。
「他者を傷つけるために力を行使してはならない」
クラーヴァは本を閉じながら告げる。
「魔族は、戦闘面においては、あらゆる能力が他の種族に比べて高い。だからこそ、その力を行使することは最小限にとどめるべきだ。初代魔王はそう言いました。この世界を守るわたくしたちも、それに賛同しました」
マルタンは小さく口を開けて、驚いた顔のままだったのを引き締めるように首を小さく振った。
「そっか……魔王様は、他の誰も傷つけないために……」
「力の均衡がなくなったからこそ、争いが起きれば対等に戦うことなど不可能になる。争いを避ける方法はないのか、と、いつも考えておいででしたよ」
それが、アロガンツィアの王はどうだろうか。
人に害を為すことを
魔族に害を為すことを
獣人、亜人に害を為すことを
平気でやっているのではないか。
クラーヴァは深くため息をついた。