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第9話

「さて、マルタン。ささやかではあるが私から礼をしたい。何を望む?」

 マルタンはきょとんとして首を傾げる。

「お礼……? 当然のことをしただけです、お礼なんて……」

 あまりにもまっすぐ、さも当然のことのようにデロニクスの礼を断ろうとしたマルタンにデロニクスは苦笑してしまう。

「すまない、君はそういう子だったな。礼なんて言い方しなきゃよかった。ケラスィヤと同じく、私は君に次の使命を託したい、その力になるものを何か与えたいとそういうことだ」

 ああ、なるほど! とマルタンは小さな肉球を打ち合わせる。目を閉じなさい、と命じられ、マルタンは手を組んでデロニクスの前に歩み出て目を閉じ、頭を垂れた。

「君が欲しい力を」

 デロニクスの手のひらが、マルタンの頭にふかっと乗る。

「……みんなを守れるように……そのために、みんなに近づけるように……」

 マルタンの願いに、デロニクスは少し考えて頷いた。

「そうか、君は変化ができないんだな。本来であれば練習して習得する術ではあるが、急ぎだ、その力は私が授けよう」

 はっとしてマルタンがあたふたする。

「なんかそれってちょっとズルしてるみたいな」

「緊急時だ、修行してる時間は無いぞ。柱が許すと言っているんだ素直に受け取れ」

 もう一度目を閉じるように言われ、マルタンは命令に従う。

 デロニクスの手のひらを中心に、金色の光がふわりと舞うとマルタンの身体が金の粒を纏って淡く光り、すぐに元通りになった。

「さて、これでいい。練習してごらん」

「えと、れんしゅう……」

 そうは言っても、何にどのように化ければいいかわからない。マルタンは視線をさ迷わせた。

「人を怖がらせない、優し気な姿を思い浮かべてみたら?」

 勇にそう言われて、マルタンは小さく頷く。ふわっと暖かい光が舞い、マルタンを包んだ。


 数秒後、光の中から人の形をとったマルタンの姿が露わになる。

「どうかな」

 ふんわりとした髪の毛は、元の姿の体毛の茶色い部分と同じ色で、パッと見てすぐにマルタンとわかる。つぶらな黒い瞳も、人のものに変化してはいるがマルタンの面影が色濃く出ていた。体型を隠すようにふわっとしたフード付きのローブは、素朴なキャメルカラー。男子とも女子とも判別がつきにくい子供の姿を模したマルタンは、くるりとその場で回って見せた。

「良いじゃん、子供って無害そうに見えるもんな」

 アドラが感心して頷くと、マルタンははにかんだように笑う。

「詐欺師の素質アリってな」

「マルは嘘つかないもん」

 ぶすっと膨れて見せるマルタンは、ハムスターが頬袋をパンパンにしている姿になんだか似ていて勇は「ぶふ」と吹き出してしまう。

「ま、まあ……とりあえず変化は合格、ですよね?」

 ペトラへと問うと、ペトラは大きく頷いた。

「本来は訓練で習得するものだが、南の柱より直々に頂いた力だ。有効に活用しなさい」

「はい」


 その姿のまま、マルタンは椅子にちょこんと座る。デロニクスは次は勇の方を向いた。

「さて、イサミ。君に力を授けることは私にはできない。だが……」

 デロニクスは勇に手を差し出すよう言った。両の手のひらを上に向けて、勇はおずおずと自分の手をデロニクスの手の上に乗せる。勇の手を優しく包むように握ると、デロニクスは数秒の沈黙の後、口を開いた。

「やはり……」

「なん、ですか?」

「この世界の者ではないからできること、なのかもしれん」

 なにが? と混乱している勇の手をやっと解放すると、デロニクスはようやく説明に移った。

「君は、何か特殊な力を行使できるんじゃないのか」

 異世界からやってきたユウタは、呪詛にも似た何かを操ることができた。この世界の者ではないという共通点から導き出される一つの答え、それは異能だとデロニクスは仮定する。

「どのくらいできるのかはわからないけど、……傷つけないでくれって願ったときに相手の魔法を手のひらが吸い込んじゃったことはあるんです」

 うん、とデロニクスは頷く。そして、勇の瞳をのぞき込んだ。

「……時にイサミよ。君、体が重いと感じないか?」

「え……」

 言われて、デロニクスの手のひらが勇の目を覆うようにして翳される。瞬間、がくんと膝の力が抜けた。その背をデロニクスの腕が支え、抱きとめる。

「やはり無理をしていたか。……スピネル、手伝えるか」

「もちろん」

 スピネルは勇の身体をひょいと横抱きにすると、壁際のフラットソファに横たえてやった。身体に力こそ入らないが意識がある勇は恐縮してしまって、なんどもすみませんと謝っている。

「謝らずとも良い、それより教えてくれるか。君、あの小島で、何かを吸ったか?」

「いえ、向こうが何か魔法を使ってきたってことは……なくて……」

 その質問に、勇ではなくクラウスが思い当たることを話す。

「イサミくんは気づいていなかったかもしれませんが『吸った』かもしれないものなら目撃しましたよ」

 本人すら気づいていなかったそれは、海の濁りだった。

「え、でも俺なにも……」

「船に乗り込むときに、マルタンさんと手を繋いでいたでしょう?」

「ああ……そういえば」

 マルタンと手を繋いで船に乗り込む際、勇の足が海水に少し浸かったのを、クラウスは見ていた。ユウタがフレイアの力を増幅させたときの海の淀みが、すっと薄らいでいったのだ。そのことを話すと、デロニクスは思案顔で答えた。

「恐らくだがイサミは、魔力を『吸う』ことを無意識に応用したんだろう。海の濁りも、ユウタが行使した魔力の影響を受けて生命力を奪われ生じたものとすればその魔力を吸い上げてしまえばある程度濁りが解消されると考えられる」

 それで、吸い込んだ魔力をどこへも逃がせずにこうして体内にため込んで帰ってきたから体が重く怠く感じてしまうわけだな、と続けると、横になっている勇の額に手を置いた。微熱を孕んでいる勇の顔から、赤みが引いていく。

「ありがとうございます、驚くほど楽になりました」

 ひんやりとした手のひらを退けると、デロニクスは体を起こした勇の横に座る。

「良かった。ところでイサミ、君は魔法は使えるのか」

 勇は気まずそうに首を横に振る。

「いえ……魔法は使えないです、それに、物理戦も全然で……」

 戦闘において役に立つのかを問われたのかと勘違いしていることに気づき、デロニクスは「気に病まなくていい」と遮る。

「違うんだ、私は君の身を案じている。その力は、クラウスが考察する通り『相手の魔法エネルギーを吸収』する力で間違いないと思う。問題は、それをどう放出するかだ」

 魔法エネルギー、特にこちらへの害意をベースに放たれたものを吸い取ってから、放出せずに長時間放置した場合はそのエネルギーが勇の体内に残留し、今回のように体調に異常を来す可能性があるという。自ら攻撃魔法を放つことができない勇にとって、これは問題だった。

「以前は偶然とはいえ僕に触れたことでエネルギーを譲渡する形になりましたが……」

 クラウスの言葉にデロニクスもうーんと唸る。

「譲り渡す相手がいない時は気を付けた方がいいな。あとは君が何かしらの魔法を使えるようになると良いんだが」

 役に立てないばかりか心配をかけてしまう、と勇は俯いた。それをデロニクスはきょとんとした顔で見る。

「何を言っているんだ? 君は仲間だけでなく、この世界に貢献しているぞ?」

 グロセイアが鼻で笑った。

「船の上ではとんでもねえお荷物だったがな。でも、魔法についてからっきしの俺なんかよりは吸収するだのなんだのがある分まだ素地があるってことじゃないのか?」

 それだ、とデロニクスが手を打つ。

「魔法ってのはいつ才能が開花するかわからないものだ。諦めるには早いぞ」

 落ち込む自分のために気を使ってくれたんだろうと感じた勇は、困ったように笑う。この能力で一体何を為せるのか、慎重に考えて進んでいかねばならない。



 明日の出発に備えて支度を進める面々に、クラウスが急に切り出した。

「突然ですが、僕、ここに残ろうと思います」


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