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第8話

「グラナードさん!」

 手鏡には、すぐにグラナードの姿が浮かび上がった。

「良かった、マルちゃん元気そうだね。イサミくんもアドラさんもクラウスくんも、お疲れ様」

 マルタンの後ろから手鏡をのぞき込んでいる面々にグラナードは笑いかける。

「こうして、えと……ツァボライトとの縁もつなげられたし、君たちには本当に感謝しているよ」

「マルも、グラナードさんにいろいろ教えて貰えて助かりました! 先生にも会えたし!」

 偶然とはいえ、な。とペトラはマルタンに笑いかける。そして手鏡に向かって語りかけた。

「ペトラだ。貴殿は魔族への敵愾心のない御仁と聞いている。私の生徒が世話になった」

 頭を下げたペトラに、グラナードはにっこりと微笑みを返す。

「こちらこそお世話になっています。先生……ということはマルちゃんは学生さんなんだ? 今、学校は……」

 そういえば話していなかったっけ、とマルタンは自分が通っていた『魔族防衛専門学校』と、それが奇襲によって一夜にして焼け落ちた話をした。

「霧の森の中の拠点って学校のことだったんだ……」

 グラナードは眉を寄せる。ユウタは悪逆非道の魔族たちが王都殲滅のために築いた戦線の一角であると報告してきたそうだ。アドラが思わず「はぁ?」と声を上げて立ち上がる。

「そうそう、ユウタの野郎、会ってきたけどとんでもねえこと言ってたぞ」

 チクるみたいであんま気分はよくねえが、と前置きし、アドラは小島でユウタが言っていたことをそっくりそのまま伝える。

「図に乗って……」

 ぼそ、とグラナードが言ったのをアドラは聞き逃さなかった。

「王国側の人間もそう思ってんのかね」

「今は勇者の活躍の熱に浮かされているからね。どちらかといえば、勇者様のおっしゃる通りって手を叩いて賛同するファンが多いかもしれないね」

 もっとも、私はいけ好かないけれど。と付け足すと、グラナードは手元の資料をめくった。どうやら、通信している場所は以前貸してくれた木こり小屋のようで、この会話がどこかに漏れる心配もなさそうだ。


「その様子だと、ユウタは南の柱を追うか、もしくは残る柱への襲撃を決行しそうだね」

 その言葉にデロニクスは唸る。

「まずいな、ここにいることが知れたら水の民にも被害が及んでしまう……」

 オルメアは煙管をふかして、それから口を尖らせた。

「それはちょっといただけないわね。どうにかならないの?」

 はいはーい、とスピネルが手を挙げる。

「俺たちが用心棒になってあげる。どう?」

 ナルも頷いた。熊の遺伝子を持つ者は力が強い。スピネルの戦闘能力にももちろん不足はないが、怪力無双の熊がいるとなれば安心感も増すだろう。

「じゃあ、万一のことがあってそこが狙われても防衛手段はあるととらえて良いね? 伝書手段があれば援助もできるけど、そちらの場所がわからないことには……」

 伝書ハヤブサなどの伝書生物は、使役者本人が行き先を正確に知らないと使うことができない。グラナードの小屋を知っている者はこれから水の民の集落を発ってしまうし、グラナードの方は水の民の集落の位置を把握していないのである。

「自分が一度行った事のある場所にしか飛ばせないからな。なあ、お前一度俺たちの拠点を遠目に見に来ていないか?」

 グロセイアの問いにグラナードは笑う。

「気づいてたんだ。うん、近くまで行った事はある」

「手間をかけるが一度ちゃんと来い。俺の手下たちにあとで伝書トビウオで俺の……弟が行くと伝えておく」

 弟、と言われてグラナードの顔がぱっと明るくなる。

「うん」

「ただし、王国の騎士ということは伏せろよ。念のためな」

 お前にとって不利益になることしかない、と続けると、グラナードは「わかってる」と短く返した。時間はかかるが、水の民の集落の位置は伏せたままの状態で、グロセイアの拠点を介して連絡を取り合うという寸法だ。

「間に誰か挟んでおいた方が確かに足がつきにくくはなるよね」

 感心したように言う勇に、その通り、とグロセイアが頷いた。

「王国側からしたら俺たちは賊だからな。関わっていることそのものがグラナードの不利益にはなるが、水の民を守るという観点からなら少しだけ安全性が上がる」

「私も覚悟はしている。今は……王国側に一応在籍はしておくから、私をスパイだと思って使ってくれて構わないよ」

 誰かに聞かれでもしたら大変なことをさらっと言って、グラナードは笑った。マルタンはグラナードの身を案じ、どうか無理だけはしないようにと言う。


「うん、肝に銘じておく。それから、私の方でも伝承について調べておいたんだけれど……そこからなら、西におわす『知の神』が近いんじゃないかな」

 デロニクスがぽんと手を打った。

「ほう! クラーヴァは人間にそんな風に呼ばれているのか!」

 ん? とグラナードは首を傾げ、デロニクスにもっと手鏡に近づくよう頼んだ。

「あなたは……?」

「ああ、申し遅れた。私が南の『柱』であるデロニクスだ」

 もはや隠す必要もないとばかりに背の翼をばさりと広げて、右手を胸に当て、小首をかしげるデロニクスにグラナードは目を丸くする。初めてデロニクスの翼を見たオルメアも、わ、と声を上げた。

「わ……、えっ、ちょ伝承の神様が……こんな気さくに話しかけてくださるなんて」

「ははは。私は堅苦しいのが苦手なんだ。まあ、これからこの集落にも援助してくれる可能性がある以上君も恩人だな。よろしく頼む」

 ふとマルタンはケラスィヤのことを思い出した。

 彼女も、無条件に生きとし生けるものを愛すると言った。

 おそらくは、この華やかな神も生命を愛し、尊んでくれているのだろう。

 ――彼の場合は単に人懐っこい性格なのもあるとは思うが。

「クラーヴァについてだが、あれは今も変わっていなければ学術都市エルディーテにいるはずだぞ」

 ここには重要なことをさらっと言う奴しかいないのか、とアドラはまた頭を抱える。ペトラも驚いてデロニクスの方を向いた。そして、ほっとしたように微笑む。

「よかった……あなた様が来られる前に書庫の文献を読み漁って、エルディーテではないかというところまでは実は目星をつけていたのですが、実際に柱であるデロニクス様の口からそうであると裏付けが取れました」

 せっかく調べてもらったのに私が明かしてしまってすまんな、とデロニクスは縮こまる。ペトラは恐縮して頭を大きく左右に振った。

「いえ、調べるのは私ども研究者にとっては楽しみでもありますので」

「しかし君の手柄だったというのに……ああ、そうだ。エルディーテへの行き方などは私はわからないんだ。こう、情勢が良くないと柱は自分のエリアから遠くへ離れることは出来ないし、かつては飛んで行っていたから」

 ここ千年くらいはずっとルシアネッサにいたなあ、というデロニクスの横顔に、マルタンは、ケラスィヤがあの時に「ここを離れることは能わぬ」と言ったのを思い出した。そして、少し寂し気につぶやく。

「お役目があるから、旅とかはできないんですね……」

「うん?」

 しょぼんと耳を寝かせてデロニクスを見上げるマルタン。

「それだけ人のことを愛して、人の中に生きるのがお好きなら、きっと旅行とかもお好きかなって、思って」

 そういったマルタンがなんだかとても愛おしくなって、デロニクスはふわふわの頭を撫でた。

「マルタンは優しいな。……うん、そうだな、旅もしてみたい」

 今の対立構造が収まれば、少しはそういう暇もできるかもしれない、と気づいて、マルタンは自分の胸を軽くぽむと叩く。

「少しでもはやく、デロニクス様がこのエリアを出てお散歩しても問題がない世界になるよう、マルも尽力します!」

 ふかっ、とマルタンの胸元の毛にピンクの手が埋まって、それがなんだか可愛くてデロニクスは吹き出してしまった。

「あれ……なんか変なこと言っちゃった……」

「っぷ、くく……いや、ううん、ありがとう。うれしいよ。私が出歩けるということはそれだけ平和な世になるということだもんな」

「はい!」

 収納棚の方にいたオルメアが地図を手に戻ってくる。

「エルディーテならこの港から北西の方だね」

 彼女がさす地図を見ると、湾の出口になっているところ、南の方にエルディーテの記載がある。船ならまたオルメアが貸してくれるというので、バハルに操舵してもらっていくのがいいだろうという話になった。ある程度の旅程を組んだところで、デロニクスがマルタンと勇を手招きする。



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