マルタンたちが水の民の集落へ戻ってきたのは、すっかり日が暮れてからだった。クラウスがタコの姿で船を引いてくれたおかげで、潮の流れなどは一切気にすることなく戻ってくることができたが、一行の顔には疲れの色が見られる。出迎えたオルメアが首を傾げた。
「おかえり、怪我はないみたいだけど、ずいぶんなんというか……」
げっそりしてるわね、というオルメアの後ろから、ひょこ、とデロニクスが顔を出す。
「やあ」
「デロニクス様!」
マルタンがほっとしたように笑ってデロニクスに駆け寄る。デロニクスも、レジスタンスの帰還に喜びを露わにしてそのふわふわの体を抱きしめた。
「おかえり、君たちのおかげでこの通り私は無事だよ、ありがとう」
「え、ちょ、デロニクスあんた、様付けで呼ばれるようなあれなの?」
オルメアは光さす海のような青い瞳をデロニクスへ向ける。対照的な真っ赤な髪が揺れて、オルメアに近づいた。
「黙っていてすまなかったね、私は南を守護する『柱』、万物の守り主の一角なんだ」
オルメアは大きな瞳をぱちくりさせてデロニクスを凝視する。紅を差した唇から、へぇ、と小さく声が漏れた。
「まあ、あんたがなんであったとしても私は構やしないわ。態度を改める気もないけれど、あんたもその方が気楽でいいでしょう?」
蠱惑的に笑うオルメアに、デロニクスはふ、と吹き出した。アドラはひやひやしながらオルメアの態度を見守っている。
「そうだな、そのほうが私も助かる。さて、ここの
「何よ、ここは私の館なんですけど。自分の家みたいな顔しないでくれる?」
「はは、手厳しい」
皆で食卓を囲みながら、小島の神殿で起きたことを報告する。
デロニクスは、籠の中の卵をそっと見せてくれた。
「いいのですか、私どもにこれを見せても……」
ペトラは恐縮と興奮とがないまぜになって声と体を震わせ、そう言った。デロニクスは、はっはっはと声を立てて笑う。
「なに、君たちは私にとっては救い主だからな。二つ目の命をさらけ出してもいいさ」
ペトラさえも知らなかった代替わりのための卵。朱い卵は、暖かな光を放ってそこにある。
「卵のことは、その勇者殿とやらは知っていたか?」
デロニクスの問いに、マルタンは少し考えて首を横に振った。
「おそらく、知らないかと思います。話題にのぼらなかったので」
「そうか。して、柱についての話はできたか?」
マルタンはひげをしょんぼりさせて、俯いて、それからデロニクスに視線を合わせる。
「お話は、しました。でも……」
ユウタが、柱を魔族の化け物と認識していたこと、マルタンと勇が柱の役割について丁寧に説明しても「柱などいらない」とはっきり言ってのけたことを伝えると、デロニクスはふん、と鼻を鳴らした。
「
「……それで、もう説明しても説得してもだめなんだって俺たちは判断しました。向こうもこちらを攻撃する気満々で……」
勇がそう続けると、デロニクスはうん、と頷く。
「全面戦争止む無しか」
それにしては今回は無傷で戻れたようだが、何があった? と首を傾げるデロニクスに、マルタンは答える。
「ユウタさんはこちらへの敵意が明らかだったけれど、その仲間のお二人はそうでもない気がしたんです」
「というと?」
その問いにはクラウスが答えた。
「あちらの勇者……ユウタさんですね、彼、おかしいんですよ。強化魔法を際限なく使える」
「ほう、そんなことは柱である我々にも不可能だが……なにか裏がありそうだな」
「ご明察です。その通り、彼が力を使うたびに周囲の環境が汚される」
なるほど、とデロニクスは頷いた。あの島でマルタンたちと会話したときに話した内容と重なる。地を枯らす力とデロニクスが推察した、ユウタが使う『呪詛』ともいえる力は、仲間や自分の力を引き上げるために周囲の命を吸い上げて奪うものだった。
「よく考えればそうだよな、意味もなく命を奪うというのは勇者として活動する者としては不可解な行為だ。強化魔法へその力を流用しているとなればまあ……」
それでも許される行為ではないがな、と続け、デロニクスはちぎったパンを口に入れた。
「で、その強化魔法には代償が伴っているということをお仲間に説明したんです。因果関係について確証が持てないのでもう少し見極めたい、と建設的な答えが返ってきましたよ」
「へえ? リーダーは馬鹿だが、メンバーはそうでもなさそう、か」
「はっきり言いますねえ」
クラウスはデロニクスと顔を見合わせて笑う。それで向こう方が撤退してくれたから今回は大きな被害は出なかったのだけど、ユウタの使命感を上回る自己顕示欲に塗れた発言に疲れてしまったと勇はため息をついた。
「なんか、あれ……いろいろ拗らせてそうな気がして」
「うん、わかるぞ。だがイサミが頭を悩ませることじゃない。それよりだ、アロガンツィア王の主張も気になるところだな」
そんな話をしていたときだった。寝室から、グロセイアがふらふらと歩いてきたのだ。
「あら、あんたもう傷は大丈夫なの?」
「だいぶ良い。少しはリハビリも兼ねて動きたくなった」
その手には、マルタンから預かっていた手鏡。そっとマルタンへ返すと、グロセイアはデロニクスへ視線を向けた。
「……あんたが柱か」
「ああ」
「さっきまでの話、聞こえていた。アロガンツィアの悪行、一つ聞き出せたぞ」
脇腹の傷がもはや物語っている気もするが、それ以上のことだとグロセイアは言う。
「お前たちの耳にも入れといたほうがいいと思ってな。ナルの一族のことだ」
マルタンたちの帰還前にようやく起きることができて、早めの夕食を取った後だったナルがソファからこちらを見ていた。
「ナル。お前は辛ければ聞かなくていい」
「……いや、聞かせてほしいです」
真実を知ること、それがせめてもの一族への責任になると考え、ナルはグロセイアの報告に耳を傾けた。
数時間前にグラナードと連絡をとったグロセイアは、ついでにと熊の一族について調べるようグラナードに頼んだのだという。ほどなくして折り返されたグラナードからの通信で、その記録が明らかになった。
王国側では、熊の一族は王国への反逆者として処されたという扱いになっていた。谷から王国を目指して進軍してくる一族を、王都侵略を未然に防ぎ迎え撃ったという旨の報告書が城内の資料にあったとグラナードから聞いたというグロセイアの言葉に、ナルは弾かれるようにして立ち上がる。
「そんなことしてない! 俺たちは侵略なんて、そんな……!」
「わかってる」
グロセイアはナルの元へ歩み寄って、その肩をそっと掴んで座らせる。
「お前が意識を失って川べりで倒れていたあの日、討伐記録はその前日になっていた」
グロセイアはマルタンたちに向き直り、続ける。
「俺はナルから前に聞いてる。こいつは、その『熊狩り』で王国軍にいきなり襲われた被害者であり、その事件での唯一の生き残りだ」
唯一の生き残り、という言葉を聞いて、ナルは問う。
「あの……関連することは他に言ってなかったですか、俺の故郷……」
王国の奴らには割れてるんです、警備隊の話を貰った時に使いの人たちが来たから……というナルに、グロセイアは安心させるように言い聞かせる。
「お前を拾った日にお前の故郷に向けて伝書鷹を飛ばしただろ、あれで皆避難できたと考えてよさそうだ。グラナードから聞いた話だと、その後の報告書にはもぬけの殻になった村には火を放ったが、その後の熊の一族の行方は知れない、要調査とだけ書いてあったそうだから……」
ナルは悔しそうに奥歯を噛む。
「俺が……戻って皆を守らなきゃだったのに」
頽れそうなナルの背をそっと支え、グロセイアはマルタンたちに「どう思う」と問うた。
絶句していたマルタンが、ようやく口を開く。
「……ユウタさんは、魔族も亜人も獣人も、汚らわしいとか、卑しいっていう言い方をしていました。……彼の考え、ですがそれ以上に王国の考えなのかなって、思います」
王国も、その手先のユウタも、どちらも人間族以外への差別意識が色濃いと考えていいな、とグロセイアは頷き、そして手鏡へちらと視線を移す。