――ベッドの上でぼんやりと天井を見つめていたグロセイアのサイドテーブルの上で、マルタンが置いていった手鏡が光った。手を伸ばして手鏡を取り、開くとそこにグラナードの虚像が現われる。
「グロセイア! 無事だったんだね!?」
「でかい声出すな……無事に見えるか?」
興奮気味に話しかけてくるグラナードに、グロセイアは前髪をぐしゃりとやって答える。
「怪我してるの?」
「まあ……ちょっと油断して食らったのが」
グラナードの目が暗くなった。
「誰にやられた?」
「……王国の軍船の奴がな、爵位を欲しがっていたのに……海の底だ」
伏し目がちでそう言って、グロセイアはため息をつく。間接的とはいえ人を殺してしまったということを悔やむその顔に、グラナードは胸を締め付けられる。
「グロセイアが気に病むことじゃない」
「それもそうだけどな。ああ、あとその呼び方は今は控えてくれ、偽名を使ってる。ツァボライトだ」
え? とグラナードは首を傾げる。
「偽名なんて……」
「万が一にでもお前とつながる手掛かりになったら、俺のやっていることはお前にとって不都合なことだろう。組んでる奴も故郷にしわ寄せがいかないよう偽名を使ってる」
そこまで考えてくれてたんだね、とグラナードは少しだけ申し訳なさそうに笑って、続けた。
「君が生きていることを伝えたい人がいるのだけど」
「うん?」
「私たちの――」
王城にて。
グラナードは、一つの扉の前にいた。三回ノックをすると、しわがれた声が返ってくる。
「開いているよ」
「グラナードです。失礼いたします、グレイ殿」
ドアを静かに閉めた後で、付け足す。
「……大叔父上」
「うん。久々にその呼び名で呼ばれたな。して、どうした」
顔を上げたグラナードは、グレイのそばに早足で寄ると、ご報告いたしますと前置きし、そして声を潜めた。
「グロセイアが……兄が、生きていました」
「なんと……」
「いつぞや、ヴェステリケの沖に船がきたとき、大叔父上から伺った特徴と合致する青年をみかけ、もしやと思っていたんです」
グレイはそうか、そうか、と震える声で言って、両の手でその顔を覆った。そして、深く息を吐いて、か細く「良かった」と零す。
「今は義賊として活動しているようで……直接会うことは叶いませんが」
「義賊……」
ええ、とグラナードは頷く。
「大叔父上もご存じでしょう、この国の現状を」
王都に近い有力な諸侯が住む地域は裕福な生活を営むことができるが、近年併合された小さな町や村は、物資が足りていなかったり、税金の取り立てに苦しんでいること、亜人や魔族が住む箇所は王国軍の活躍によりだいぶ減ってきているが、その地域には困窮にあえぐものも少なくないこと……。
そういった者たちに手を差し伸べているのがグロセイアだった。
グレイは口を一文字に引き結び、俯く。
「大叔父上、……あなたも思うところがおありでしょう」
「ああ。そろそろ頃合いかと思っていた」
冒険者の情報をまとめてある帳簿を閉じると、グレイはゆっくりと立ち上がった。
「この国の他種族排斥主義は異常だ」
「ええ」
杖を支えに窓のそばまで行くと、グレイは空を飛んでいく鳥たちへ視線を向ける。
「異世界から勇者の卵を召喚したことだって、この国がこの大陸を制するため……魔族と獣人、亜人とを滅ぼすためであろうな」
グラナードは、グレイが自分と同じ見立てであることを確認して頷く。
「お前には話しておこう。お前の祖父に当たる人物……それは、公爵家の男ではない」
「え……?」
グラナードは耳を疑った。母であるアルマの父は、テナークス公爵ではない……? テナークス家の長女としてメランジェ家へ嫁いだと聞かされていたが、どういうことかと問う。
「お前の祖母、イサベルは政略結婚でテナークス家に入った。その時にはもう、アルマを身籠っていたんだよ」
「どういう……」
「テナークス家から話を受けるその前から、深い仲の男がいた。グロセイアにそっくりな、真っ白い肌に黒髪、尖った耳輪の……魔族の男だ」
グラナードは、自分と兄の出自についてようやく合点がいったとばかりに笑った。
「なんだ、それじゃあ私たち、おじいさまに似ていなくてもおかしくないわけだ」
それで、とグラナードは続ける。
「……本当のおじいさまは」
「既に故人だ。お前の想像通り」
「政略結婚のために、葬られたわけですね」
諦めたような顔、想定内だというような顔でグラナードはポケットから取り出した手鏡を見つめた。
「おばあさまがこれを母上に渡したときに『大切な人の形見だ』と仰ったそうで。高度で珍しい魔法機器を何故おばあさまがお持ちなのかと思っていましたが……」
「そういうことだ。その手鏡は、イサベルの恋人であったロドが作ったもの」
優しい青年だったよ、とグレイは続ける。
「お前たち双子が生まれた時、ロドの血だと私は思った。イサベルの娘であるアルマには全くロドの特徴は受け継がれなかったが、隔世遺伝で……特に、グロセイアの方に強くその特徴が出たんだろうな」
隠し通せるはずもなかった。だから、殺すよりは森へ捨てようと、姪に提案したんだ、とグレイは唇を噛む。許されないことをしたが、それしか道はなかったという大叔父に、グラナードは問う。
「提案……? 母は、叔父に頼んだ、と言っていたけれど……」
「あの子は優しい子だから、私が提案したことを隠したんだろう。すべて、自分で背負うつもりだったんだ」
母も既に故人である。グラナードは、手鏡をそっと両の手で包んで、目を閉じた。
「お前は、魔族の特徴が兄にしか出ていないと感じるか」
グレイのその言葉に、グラナードはゆっくりと目を開ける。ふわりとしたミルク色の髪は、母譲りのもの、紅い瞳は――。
「イサベルおばあさまも、母上も、瞳は赤色だったかと……ほかに……」
はっとして、グラナードはグレイを見つめる。
「……匂い、匂いがわかります。魔族がヒトに化けていても、その香りで……」
「そう、お前は幼いころから、街中を歩いていると時折怪訝そうに人を見ることがあった。違和感に気づいていたんだろう」
グロセイアはその外見に魔族の特徴を多く受け継いで生まれた。そして――。
「私は、その能力に魔族の力が……」
「そういうことになろう。お前のその優れた剣技は、もちろんお前の努力の成した成果だ。だが、ベースになる力が異常に強い」
王国はこれを恐れていたのだろうか。
万が一にでも、魔族の特徴である尖った耳輪の者が生まれたら殺せ。どこでその血が紛れたかわからないから。
多胎児は殺せ。それは畜生腹、亜人や獣人の子と疑え。
その陋習により、何人のこどもが葬られたか知れない。グロセイアのように捨てられたり、里子に出されて多胎児ではなかったことにして育てられた子も多く存在しているはずだ。
「……」
「グラナード、お前はこの王国に剣を向けることを恐れぬか」
グレイはグラナードの瞳をまっすぐに見つめて言う。
グラナードは、しかと頷いた。
「この命、私が思う正義に捧げます。……なんてね。大叔父上、私たちには強力な味方が付きます」
「なんと?」
イサミという討伐者を覚えていますか。
グラナードは、グレイが頷いたのを確認して続ける。
「彼はユウタ殿の報告により、王国の領域内で指名手配されている。けれど、私の目で確認しました。彼と、その仲間であるエビルシルキーマウス種……彼らなら、彼らの正義を成し遂げるのではないかと思うのです」
グレイはその瞳を潤ませて小さく呟いた。
「イサベルが……望んだ、夢見た世界を……」