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第5話

「おかわいそうに。頭に血が上って簡単な算数もできなくなってしまったんですか?」

 クラウスがくすくすと笑う。その挑発にアドラは頭を抱えた。火に油を注いでどうするんだ、とクラウスの肩を掴むと、クラウスはまあ見ていてくださいとアドラに耳打ちする。

「こちらは五人、そちらは三人。ネージュさんは……攻撃魔法はお得意で?」

 わかっていて尋ねる。先日のエニレヨでのネージュは、攻撃魔法を一度も使用していなかった。目くらましと回復、バフしか使えないと見える。ネージュはにっこりと笑う。

「いいえ」

「ネージュ!」

 ユウタが余計なことを教えるなとばかりに大きな声で制止した。

「ユウタさん、彼の言う通りここは戦闘を避けた方がよろしいと思います」

「な……」

 ネージュはつかつかとユウタに歩み寄り、スピネルに撃たれた彼の脚にそっと触れる。

「いっ……」

 びり、と痛みが走った脚に、ユウタは小さく悲鳴を上げた。

「やはり、まだ無理をしていらっしゃる。私たち二人では、負傷したユウタさんを守り切れませんわ」

 悔しさに震えているユウタの肩をそっと抱いて、ネージュは囁く。

「今、逃したとしても私たちには『あれ』が、ありますから」

 フレイアはマルタン一行のうち誰かが攻撃を仕掛けてきてもすぐに動けるようにこちらを見ていた。しかし、誰も動かない。ふとフレイアの頭に疑問がよぎる。

(……本当に魔族が悪いものなら、本当に彼らがアロガンツィアに害為すものなら、この会話の間に攻撃してくるはず)

 人間の味方のふりをして油断させ、襲ってくる魔物もいるというのが王国内では定説だった。けれど、フレイアはそんな魔物を実際に見たことはなかった。何が本当で、何が嘘か。ゆるりと首を動かし、ユウタの方を見る。今までも何度か彼の態度に違和感を覚えることはあったが、今回は決定的だった。


 彼は信じるに値する勇者なんだろうか。勇者についていけば、思う存分に自分の武を振るうことができる。お嬢様と呼ばれることもなく、ドレスを着せられることもなく、勇者の仲間という大義名分を得て旅ができる。この湾の真ん中でそんなことを考える羽目になるなんて、思いもしなかった。


 フレイアはマルタンたちに背を向ける。危険はないと判断した証だった。ざく、ざく、と砂を踏みしめて、ユウタに手を差し出す。

「帰ろう。今は勝ち目はない」

「フレイア!」

 ユウタが怒りに任せてマルタンたちへ突っ込んでいこうとしているのを察して、フレイアはユウタの腕を強引につかむ。さすがあのハンマーを振り回すだけあって、力は強かった。ずるずると引きずるようにして、船の方へ向かう。そして、顔だけ振り向くと一言。

「今は見逃してくれる、でいいんだよね?」

 マルタンはその背に答える。

「見逃すも何も、わたしたちはあなた方に危害を加える気はないです」

 あなた方が柱を襲うから、それを止めたいだけ。と続けるマルタンに、フレイアは体ごと向いて目を合わせた。

「柱の件は、私もよくわかんないから何とも言えない。本当に危険がないものなのか、ちゃんと調べさせて」

 柱から直接言葉を聞いたマルタンの言う事でも、人間からしてみれば信用に値するものではない。柱が悪しき者で、人間を滅ぼそうとしてそのように嘯いている可能性だってある。そう解釈されていることをマルタンは理解し、静かに頷いた。

「わかりました。でも、わたしたちが柱を守るという姿勢は変わりません」

「うん」

 その会話にユウタは我慢ならないとばかりに騒ぐ。

「調べるも何も……」

「ユウタ、私はね、あんたの仲間だけど、私の考えで動く。いろんな話を聞いて、総合的に判断して、それで戦いたい。それを許さないなら、あんたとはもうやってけないよ」

 ぐ、と唸り、ユウタは言葉を飲み込んだ。

 フレイアがこんなにはっきりとしっかりした物言いをするのは、初めてだった。

 三人は船へと乗り込むと、ネージュの魔力を船に供給してヴェステリケ方面へ発進する。船の動きに警戒し、スピネルはその行く方向を見つめていた。


「……逃がしてよかったのか、本当に」

 ここであいつら沈めてしまっても、誰の仕業かも気づかれなかったと思うぜ、というスピネルにマルタンは首を横に振る。

「争いは争いを生むだけです。それに、誰の仕業が気づかないことはないです。だって、大きなネズミとイサミっていう名前の討伐者を追っていた、という情報があるんですから」

 みんなに危険が及ぶことは避けたいです、と言って、マルタンはその場にぺたむと座り込んだ。

「マル?」

 アドラに声をかけられ、マルタンは大きく息を吐く。

「緊張したぁあ……」

 もともと頭は悪くはないほうだが、こんなに緊張した状態で人と話すなんて初めてだったマルタンは知恵熱でも出しそうなくらい顔をぽわぽわさせている。

「ユウタには伝わんなかったかもだけどさ、フレイアさんにはこっちの誠意が伝わってるんじゃないかな」

 勇はそう言って、マルタンの顔をのぞき込む。

「うん、アドラも、クラウスさんも攻撃するのを我慢してくれたおかげで、わかる人にはわかるんじゃないかなってマルは思います」

 スピネルは短く「やべ」と言った。

「俺、普通に撃っちゃったね!?」

「ほんとだよ」

 アドラが笑うと、マルタンも一緒に笑う。

「でもあのままだったら斬られちゃってたかもしれないから、あれは止む無しで」

 本当は誰も傷つかないのがいいけれど、そうも言っていられないんですよね、と続け、マルタンは少し悲しそうに海を見つめる。濁りが残る海は、ユウタの力の残滓を伝えていた。

「帰ろうか、デロニクスさんが無事かも気になる」

 勇がそっとマルタンの桃色の手を取る。

二人が船へ乗り込む際に海水に触れた時、濁りが少しだけ薄れたことに、クラウスだけが気づいた。

「……おや……」



「おい、ネージュ! この船はどこに向かってる!?」

 苛立ちを隠せないユウタが船上で乱暴に言い放った。

「ヴェステリケ港ですが」

「南の化け物を探さなくていいのか、あいつらが向かう先へ……!」

 フレイアは立ち上がろうとするユウタの肩を掴んで座らせた。

「あのね、ユウタ。ネージュの魔力的に、今あちこちうろうろできる余力はないよ」

 船は魔法動力で動く。ネージュが魔力切れを起こせば、湾の中で漂流することになってしまうとわかっているだろうとフレイアはユウタを諫めた。

「今すぐ動かずとも、大丈夫ですよ。私は『これ』で、彼らを追うことができますから」

 ネージュは、衣服の下、胸元に隠し持っているものを指先で示し、うっすらと笑った。

「……それも、そうか」

「それより、次の予定を立てた方がよろしいのでは。今回の討伐は失敗です」

「一度港に戻り、彼らを……」

 いいえ、とネージュは首を横に振る。

「……深追いするより、先回りして次の『柱』と呼ばれる存在を討伐するほうがいいのでは」

 フレイアはその会話の間も、考え込んでいた。

 『柱』を討伐することは、正しいことなのか。

 どれが最善の道なのか――。


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