「僕の方は話すことなんて何もない」
ユウタがネージュによる治療を受けながら、鋭い視線をこちらへ向けてくる。マルタンはその射るような目に負けず、口を開いた。
「わたしは、柱をお守りするためにここに来ました。とある人が古文書を解析してくれてこの場所を知ることができて、それでです」
名前こそ伏せてはいるが、こちらの情報を開示するマルタンにアドラは驚いて、止めるかどうか迷ったがクラウスに目配せされて口を閉じた。
「あなたたちは、ここをどうやって知ったのですか。地図にもないこの小島を」
マルタンの問いかけに、ユウタは笑う。
「僕は勇者だ。何がどこにあるかなんて知っているさ」
ネージュが少し不満そうな顔でユウタの顔を見上げた。きっとこの言葉には嘘があるのだろう。瞬時にそう判断したマルタンはユウタの青い目をじっと見つめる。
「……それはすごいですね。ソレイユさんの故郷はわからなかったのに」
ユウタはぎり、と歯ぎしりをして、その後舌打ちをひとつ。素直にこの場所を知った経緯を話すつもりはなさそうだ。
「ネージュ、まだかかるのか」
「弾は取り除きましたが、まだ完全に塞がっておりませんわ。お待ちになって」
暖かな色の光がユウタの銃創を包んでいるのを見ながら、マルタンは次の話題を切り出す。
「柱を襲う理由を聞かせていただいても?」
「襲う? 討伐の間違いだ。お前たちはそこにいたであろう怪物を守ろうとしていたが、その理由の方を聞きたいね」
やはり認識に齟齬がある。柱がこの世界の維持にとって重要な役割を果たしているということを、ユウタはわかっていない。
「角があったり、翼があったり、確かに人間の皆さんから見たら『柱』は異形かもしれません。でも、その柱がこの世界の均衡を保ち、四季を巡らせ、エネルギーを正常な状態に導いているんです」
ふん、とユウタは鼻で笑った。
アドラは、だろうな、と思った。こいつがマルタンの言葉に耳を傾けるわけがない。マルタンはユウタにとっては大きなネズミの化け物に過ぎないのだから。
「俺も柱の力を目の当たりにしました。東の柱は神聖な力を持ち、枯れた地を癒してエニレヨの地に雨をもたらしてくれたんです。お三方も見たでしょう、エニレヨでの雨」
勇がマルタンの援護をするように話を繋げる。マルタンは勇の顔をちらと見て、そしてうんうんと頷いた。フレイアが置いたハンマーの頭に腰かけて、ぽんと膝を打つ。
「確かに。いきなり雨が降ってきたんだよねあの日。前日はカンカン照りだったのにさ」
あれが柱とかいうののお力だったってこと? と首を傾げるフレイアを、ユウタは「そんなわけないだろ」と一蹴する。
「たまたまに決まってる。雨なんていつ降るかわからないんだから」
「その前日までの異常な日照りをお忘れですか。あれは、ただの気象現象ではありませんよ」
クラウスが反論すると、やっと傷が癒えたと見えるユウタが立ち上がる。
「何が言いたい」
「あなたのせいです。と」
つかつかと歩み寄り、顔を近づけてクラウスはそう言った。
かっとなったユウタが、クラウスのローブの胸元を掴む。頭一つ分大きなクラウスに食って掛かるさまは、勇敢にも、小さな子供のようにも見えた。
「貴様……! 僕を愚弄したな!!」
「愚弄? なんのことやら。事実を述べたまでですよ」
その様子を静観しているネージュは、どちらを止めるでもない。まるで次の話を待っているようだった。
「僕のせい? 僕のせいで日照りが起きて村が困窮したとそういいたいのか!」
「そうですよ。柱を封印したのは、あなたの力を受けたソレイユさんでしたね」
「あの女、ぺらぺらと……」
言いかけて、ネージュの視線を感じたユウタは口を噤む。
柱を封印した……もとい、彼らの間では怪物を封印したことになっているのだから、それがユウタとソレイユのおかげであることは誇るべきこと。それを喧伝されたとて、痛いことは何一つないはずだ。
『力を受けたソレイユ』そのフレーズに反応したらしい。自分が、仲間に強化魔法をかけられるというのを知られていることに、腹を立てているのか。
「あなたのしたことは二つ。柱を害してあの地のエネルギーのバランスを崩し、日照りを招いた。それから……」
海を指さしてクラウスは続ける。
「世界からエネルギーを奪い、地を、海を、命を汚したこと」
フレイアが、がばりと立ち上がる。
「待って、私がこのハンマーを軽々と振り回せるのも、ソレイユがでっかい魔法を放てたのも……」
クラウスの瞳孔がタコのものに変わる。静かな声色に、怒りが滲んでいた。
「ええ、先ほどの海の濁りで確信しました。――彼の強化、増幅魔法は、周囲の自然や命を犠牲に放たれる」
そうですよねぇ? とゆっくり言ってクラウスは自分の胸元を掴むユウタの手首をつかみ、ぎりぎりと捻り上げた。歴然とした力の差にユウタはつま先立ちになって悲鳴を上げる。慌ててフレイアが駆け寄り、クラウスのローブの袖を掴んだ。
「っおにいさん! 本当なの? 疲れ知らずでずっと力の増幅魔法をかけてくれるの、不思議だと思ってたけど、代償があったなんて……」
右手を高く捻り上げられたまま、ユウタはフレイアを怒鳴りつける。
「本当なわけないだろう!」
「でも……ッ」
フレイアはユウタとクラウスを交互に見て、それから口を閉ざした。スカートの擦れる音がして、ネージュが近づく。
「ええと、魔導士さん? ユウタさんを放してあげてくれますか?」
「ああ、失礼。力加減を誤りました」
ぱっと手を放すと、不意に支えを失ったユウタの身体が砂浜に落ちる。ネージュはそれを支えるようにしてしゃがみ込んでから、クラウスを見上げた。
「……周囲のエネルギーを奪って増幅魔法をかけている……そのデータのサンプルは、まさかエニレヨとこの海だけではありませんわよね?」
「それはあなた方がよく知っているのでは? 他の場所でも起きたのではないですか? こういったことが」
スピネルが笑う。
「話してやろうか? 俺の故郷、ケルコスの井戸について」
「ケルコス……?」
ネージュが聞き返すのを、ユウタは止めようとする。
亜人の村の位置をネージュが知らないのは最もだ。
「アロガンツィアよりも西、大きな川があるだろ。あの付近に亜人の村があるんだ。俺の村の井戸はその川の伏流水から引いてる。川の近くで、なんかしたことあるんじゃないの?」
フレイアは思い返す。
異世界よりユウタが召喚されたと王国で騒ぎになり、冒険者を募ったのが二年半ほど前。ユウタ直々に指名されて活動を始めたのが、その頃。活動開始から半年ほどした頃、経験を積むためと言ってアロガンツィア西……クーナ湾東の魔物の討伐に出かけた際に、ユウタが初めて増幅魔法を披露してくれた。
異世界からの勇者が使えるとっておきのサポート魔法だと言って、ハンマーの重みを軽減し、フレイアの筋力を桁違いなほどに上げてくれたあの力は……。
「……」
「こいつらの言ってることを信じるのか!」
フレイアはふ、と小さく息を吐いて、はっきりと言った。
「そのころ、魔物の討伐には確かに行ったよ。ユウタは力を使ってくれた」
「正直に教えてくれてありがとね」
スピネルは少し困ったように笑って、フレイアの顔を見つめる。女の子に困った顔をさせるのは好きじゃなかった。
「あんたは、因果関係があると思わないの?」
フレイアは腕を組んで、「ん」と考える。
「あるかも、だし、ないかも、じゃん? もう少し判断材料が欲しい」
へえ、とスピネルは頷いた。
思っていたよりも、物事を慎重にとらえているじゃないか。
「では、そのお話は百歩譲って『因果関係不明』としましょうか」
クラウスが眼鏡のテンプルを軽く触りながら、切り出す。
「この世界の均衡を保つ柱を傷つけることを……やめる気はないと?」
フレイアは考える。もし、この魔導士の言うように、でかいねずみ君の言うように、四つの柱がこの世界のエネルギーを司って均衡を守ってくれているのなら? あの日照りは、エニレヨ北の祠で龍の魔物を封印したせいだった、そうだったなら?
押し黙るフレイアの横で、ユウタが立ち上がった。
「何が柱だ! 僕の剣を折り、威嚇してきた怪物に世界の均衡を保つ力だと!? そんなの認めない!」
勇が声を上げる。
「それは! あなたがマルタンを傷つけようと、殺そうとしたからでしょう!」
村のおばあさんも言ってましたよね? むやみな殺生を龍神様がお怒りになったんだと、と続けるとユウタはかぶせる様に怒鳴る。
「魔物を殺して何が悪い! それは害獣だ!」
「悪いに決まってるだろ! 誰かが誰かの命を奪うことに正しいことなんかない!」
自分でも聞いたことがないくらい大きな声が出た。
勇は、怒りに震える拳を握りなおし、ユウタを睨む。
魔物を殺すこと、いや、この人は、自分の邪魔になるものならなんだって殺して構わないと思っている、そんな口ぶりだ。
ユウタは勇の勢いに気圧され、目を丸くした。
「お前……魔物の命を人間と対等なものだと思っているのか?」
「思ってるよ。あなたは……ユウタさんは、『この世界』で何をしてきた? 何になろうとしてた?」
核心をつくような、えぐるような言い方で勇はユウタを詰める。『この世界』まるで、別の世界を知っているような言い方だとユウタは気づいた。――こいつ、まさか。
「勇者って呼ばれて、特別扱いされて……英雄になって、満足?」
「う、うるさい……」
「俺は魔物だけが悪い世界だなんて思えない、だからマルタンと行動してる」
「うるさい!」
「あなたは自分の頭で考えて、自分の意思で動いてるのか!?」
「うるさい! 僕はこの世界の『光』だ。すべての人の希望を背負って、この世界を守る勇者だ! 均衡を守る柱など存在しない、存在したとしてももういらない! その役目は僕のものだ!」
噛みつくように、吼えるようにユウタは主張する。
フレイアはその様子をやや引いたような目で見ていた。
勇は「ああ、やっぱり」というような顔をして、短いため息をついた。
「あなたの人となりがわかった気がする。俺たちは相容れないんだ。……マルタン」
「……うん」
マルタンは悲しそうに頷く。勇の言おうとしていることがはっきりわかった。
ユウタに対しては、説得の余地も、交渉の余地もない。
ふらつく足で立ち上がって剣を抜いたユウタを、マルタンはまっすぐに見つめた。勇も、もう及び腰ではない。しっかりとマルタンの横に立ち、同じようにユウタがどう動くかを見つめていた。