白い柱の上に足を組んで座る男の背中には、茜色のきらきら光る大きな翼が広がっていた。オルメアの言う通り、髪は朝焼けのような緋色のグラデーション。瞳の色は翡翠色。確信を持って、小舟は彼に近づく。
「上陸できそうか?」
ふわっと滑空して陸へ降り立つと、男は緩慢な動作で歩み寄ってくる。船から降りる四人に、手を貸しながら、男は嬉しそうに「よく来たな」と笑った。
「えっと……はじめまして、マルタンです」
ぺこ、とマルタンは頭を下げる。まだ日が高いところにあるから、その絹毛が光を浴びてきらきらつやつやするのを、男は好奇心に満ちた目で見ていた。
「マルタンか。よろしく。私はデロニクス、君たちが会いたがっていた南の柱だ」
ところで、そのふわふわの毛並みを撫でてもいいか、とデロニクスは手をわきわきさせている。初対面でこれはなかなか癖の強い奴がきたぞ、とアドラは身構えた。
「? どうぞ」
ふかふかの毛並みを同級生たちに撫でられることに慣れているマルタンは、なんの抵抗もなくスッと頭を下げる。
「ふ、ふわふわだなあ、可愛いなあ! 今代のレジスタンスはこんなにふかふかなのか……」
もすもすと頭を撫でられながら、マルタンは驚いて聞き返した。
「わたしがレジスタンスと、知ってたんですか?」
すると、デロニクスはマルタンの頭から手を放して懐から小さな龍を出す。
「この子が伝えてくれたんだ。ケラスィヤが寄越した使いだ」
龍というよりは、手足の生えた小さな蛇のようなその生き物は、デロニクスの手の上でおろおろと視線をさ迷わせると、人見知りをしているのか、彼の指にきゅっとしがみついて顔を隠してしまった。
「恥ずかしがり屋さんなんだがな。もうじきふわふわのレジスタンスと異世界人の男、大鷲の娘にクラーケに……ん? 一人多いな」
そう言って見たのは、スピネル。
「俺は途中加入メンバーなんで。スピネルと申します」
「ヤマネコの子か。うん、よろしく。まあ、にぎやかなメンバーがこちらに来ると聞いていたんだ」
クラウスはタコの姿のまま、ふよふよと海に浮かんでいる。
「お騒がせしてしまって申し訳ない」
「いや、緊急事態だからな。聞かせてくれるか、何が起きている?」
デロニクスに促され、浜に座ったマルタンたちは、ユウタ一行がしていること、しようとしているであろうことを話す。
四つの柱のことを、この世界の均衡を保つものと思っていないのか、魔族の手先と思っているのか、どこまで知っているのかはこちらとしてはわからないが、とにかく害して力を封じようとしているのではないかということを伝えた。
「なるほどな、私たちのことは、人間の間ではもうおとぎ話にもされていないから、ぱっと見たらこの翼も魔族のそれに見えるのかもなあ……」
いいながら、デロニクスは翼を一度ぱさりとはためかせる。美しい金の粒子が、火の粉のように舞った。
「ケラスィヤも、あの角で魔物と認識されたのかもしれないな。まあ……」
仮に魔族だとしてどうして封じるだ滅ぼすだという考えになるのかがわからないが、と続けてデロニクスは、はたと思い当たる。
「いや、待て、でもなんで彼らがここに来ると言える?」
その問いには、勇が答えた。
「彼が、俺と同じ異世界からの転生者だからです」
「うん?」
少しややこしい話になるけれど、と勇はこの世界は自分がいた世界にあったゲーム『救世の光』がベースになっていること、そして、おそらくユウタはそのゲームをある程度プレイしている状態でここへきていること説明する。
「つまりは……ユウタとやらはこの場所を転生前に知っていて、それで向かってくる可能性があるということか」
「そうです。俺は正直そのゲームをやりこんでいなかったので、ここに小島があるとかは知らなかったけれど……ユウタは……」
うん、とデロニクスは頷く。かなりおおざっぱに説明しただけでもある程度を理解したようで、ゲームという概念もよくわかってはいないが、別の世界にいた者がこの世界で起こることを少し先読みしていたということだろう、と解釈した。
「時にイサミ、君はその、ゲームとやらの地図を覚えているか?」
「自信はないけど……」
ゲームの地図は、霧の森は名前の通りオープンワールド化するまで薄もやのようなエフェクトがかかって見えない部分になっていた。他の場所に関しては、全て鮮明に見ることができるが、街の名前などは実際に訪れないと表示されないというシステムだったと記憶している。
「では、このクーナ湾に小島は描かれていたか?」
勇は必死に記憶を辿る。クーナ湾東岸はレベル上げに使うプレイヤーが多かったから、湾の中は自然と目に入っていた。
「そういえば……なにもなかったような……」
うんうん! とデロニクスはご機嫌で頷き、魔族と人間の地図を出すように言った。
「地図にも描いてないだろう……あれっ?」
誰だこれ描き足したの? とデロニクスは魔族の地図についたしるしを凝視する。ペトラが描いてくれた拡大地図も差し出すと、デロニクスは感心したようにため息をついた。
「はぁ~、こりゃあ……たまげた」
私は神力でここを隠し続けていたんだけど、なんで? と首を傾げる。
「古代神学の先生が割り出してくれたんです、この場所」
マルタンがそういうと、なるほどなあ、とデロニクスは拡大地図をもう一度見つめた。
「……神話や伝記から総合的にこの場所を見つけたってことか、研究者の執念ってのはすごいな。それで君たちは私の居場所がルシアネッサではなくここだとわかったんだな」
魔族と人間との争いが大きくなるそのはるか前には、四つの柱の存在も隠す必要はなかったのだとデロニクスは言う。地図にこの場所を載せなくなったのも、人間側が魔族を敵視して戦いが頻発するようになってからというのだ。
「まって、それっていつくらいの事ですか」
「大体千年くらい前かな……ん? 千と十年くらい前?」
長く生きているからよくわからなくなる時があるんだよなあ、とデロニクスは目を閉じる。しかし、その言葉にクラウスは「つながりましたね」と言った。
「人間と魔族の争いの激化。僕たちが魔族の歴史で知るところと同じですが、そのころを確かに生きている方がおっしゃるならば間違いない。不自然に表記が消えたA1年よりも前の歴史、合致しますね」
へえ、とデロニクスとスピネルの両方が同時に声を上げた。そして、顔を見合わせる。
「どうぞ?」
「え、そんな大したことじゃ」
デロニクスはスピネルに譲る。さすがは神と言ったところか、柔和な顔をしているのに「話せ」という圧がすごい。仕方なしに、スピネルは口を開いた。
「いや、ある一点より前の歴史が消されているなんて、大胆なことやるやつもいたもんだなと思ったんだ。アロガンツィアの人たちは魔族と……それに亜人を嫌っている。というか、そもそも異種族を認めていない気風があるね」
だから、スピネルとツァボライトもクーナ湾の北部にあるアロガンツィア領外に拠点を構えていたし、交易もアロガンツィア王国の息がかかっていない独立都市であるルシアネッサを中心にやっていたのだという。
「ルシアネッサはいいよな。みんな大らかだ。私みたいな派手なのが歩いていても、普通に接してくれる」
そんな風に言って、デロニクスは紅い化粧が入った目尻を下げて笑う。派手という自覚はあるらしい。腕にじゃらじゃらつけているブレスレットも、その長い髪を結い上げるために使っている髪飾りも、ルシアネッサの装飾品作家から購入したものなのだという。さすがに翼は消して行動していたというが、すらりとしたモデル顔負けの体躯に女性と見紛うほどの美貌の男が歩いていたら目立つ。だが、ルシアネッサの人々は全く気にしないのだという。
「それが気楽で良くてな。普通に住んでたんだ。うっかり昔のこととか、ちょっと役に立つ生活の豆知識とか教えてやったら賢者って呼ばれるようになっちまった」
彼らも冗談めかしていたし、誰も本気にしないだろと思って普通に千年以上生きてるとか言ってしまったんだよな、とあっけらかんとしているデロニクスに、アドラは頭を抱えた。
(危機感とか警戒心とかないのかこの方は……)
そんなアドラに、デロニクスは伏し目がちに視線を投げた。
「今ちょっと失礼な事考えたろ? 多少は警戒してるさ。だからここへ戻ってきたんだ」