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第7話

「生徒諸君は知っての通り、私は防衛魔法と古代神学が専門だ。書物や何やらはすべて燃えてしまったが、知識ならここに残っている」

 とんとん、と自分の頭を指して、ペトラはそう言った。クラウスの表情が明るくなる。

「南の柱――その神殿は、クーナ湾はルシアネッサ寄りの小島にあると記憶している。行ってみる価値はあると思うぞ」

 オルメアが「あ」と声を上げた。

「それってこの集落に来ていた、自称賢者?」

「自称……? わからんが……どんな特徴をしていた?」

「燃えるような緋色の髪に、金のメッシュ、目の色は翡翠色。派手な装飾品に化粧をした綺麗な男だよ」

 その特徴なら、見ればすぐにわかりそうだ。わかりやすい見た目で助かる、なんて言っているクラウスに、ペトラは咳ばらいを一つ。

「そのお方が柱そのものであるかはわからないが……」

 わかりやすい、という言い方はいささか失礼に当たるぞ、と窘めた。

「オルメア殿は小島の存在は知っているだろうか」

「ペトラが言っているのと合ってるかはわからないけれど……白い柱が立っているのなら見たことあるわね。誰もいなかったけど」

 それだ。とペトラは身を乗り出す。

「白い柱はおそらく神殿の名残りだろう。私も実際に赴いたことはないが、文献では在りし日の神殿が描かれていた。場所は覚えているか?」

「そこの裏手から出てまっすぐ北よ。小舟なら貸しましょうか?」

 研究者ってみんなこうなの? とオルメアは勇へ視線をやった。クラウスも興奮するとノンストップでしゃべり続けるきらいがあるので、それは確かに、と否定できなかった。

「急ごう、もうユウタさんたちが向かっているかもしれないし」

 マルタンが席を立つ。一緒にヴィントも立ち上がった。

「ああ、だめだ、ヴィントは留守番だよ」

 その肩をそっと押し戻すようにして、スピネルが阻む。

「おれも役に立ちたいよ」

「だーめ。ヴィントはツァボの看病するほうが大事だから。それに……」

 スピネルは心配そうにグロセイアが寝ている部屋の奥へと視線を移す。この場に来ていない男が、グロセイアの他に二人。

「ナルがここで休ませてもらってから目を覚ましてないだろ。バハルがついてるけど、バハルも休みなしでつくのは大変だ。だから、おまえが助けてやってくれないか」

 そう言われて、ヴィントはマルタンに視線を移す。マルタンがゆっくりと頷くと、それに応えるように頷き、要求を受け入れた。



「ナル……目を覚まさない?」

「ああ、けど、脈などには問題はなさそうだ。呼吸もちゃんとしている」

 ヴィントが心配そうにナルの顔をのぞき込むと、バハルはヴィントの背を撫でてやった。

「おれが……突き落としたから……」

 バハルは首を横に振る。

「ヴィント、お前のせいじゃない。お前のあの時の判断は間違ってなかった」

 精神的な疲労だろう、とバハルは続け、うなされているナルへと視線を移した。



 夢を、見ていた。

 谷底に落ちる夢。

 ――ナル、逃げろお前だけでも!

 父さんが、叫んでる。大きな手。獣の爪が、見えた。王国軍の槍が、父さんの背に突き刺さる。その瞬間を、見てしまった。

 父さんは、熊の獣人の血が入った亜人だった。爺ちゃんが熊の姿の獣人で、その特徴を色濃く受け継いだ父さんは、2メートルにもなるがっしりした大きな体と、獣の腕を持っていた。ある日、王国から手紙が来た。谷で暴れているモンスターがいるので、鎮圧してほしい。これで功績を挙げたなら、正式に王国所属の警備隊に招きたい、と。

 とても丁寧な手紙で、遣いでやってきた人も感じのいい人だったから、俺たちはすっかり騙された。

 指定された日に父さんとおじさんと、兄さんたちと谷へ赴いたら、いたのは暴れているモンスターではなく、ごろつきだった。いや、正しくは、ごろつきに偽装した王国軍の者だったのだろう。襲い掛かってきたそいつらと戦闘になり、あと少しで逃げ切れるかと思ったとき、挟み撃ちにする形で背後に立っていたのは王国の紋章がついた鎧を着た男だった。

 どうしてこんなこと、と叫んだ兄さんに、そいつは笑ったんだ。


 ――お前らみたいな『けだもの』は、でかくて力が強くて邪魔なんだ。


 アロガンツィアの統治をするうえで、万一にでも敵に回られると面倒だと言って、そいつは兄さんを銃で撃った。あんなにもあっけなく、死というのは訪れる。

 ――熊狩りだ、全員殺せ!

 隊長と思しき男が叫んで、それから叔父さんたちはいっせいに襲い掛かる銃弾に倒れた。逃げてこの惨状を伝えろと言われて、俺は走った。みんなのことを置いて、誰かにこの事を伝えようと。

 けれど、慣れない谷を走った俺が行きついた先は行き止まり。その先は、渓谷。遥か下に大きな川がある、深い谷だった。追い詰められた俺は、下卑た笑いを浮かべた兵士に蹴落とされた。弾を使うのも勿体ない、こんな丸腰の臆病者なら簡単だ、と言われたのが最後の記憶だ。

 このまま死んでしまうのかな。

 あいつの言う通り、俺は臆病者だ。

 谷に落ちながら、死ぬなら死んでいいや、と思った。

 ごめんね、誰かにこのことを伝えなきゃだったのに。

 里にいる姉さんや母さんは大丈夫かな。

 俺たち男以外に熊の特徴はないけど……一族皆殺すつもりなんじゃないだろうか……。



「ごめん……ごめんなさい……」

 ナルが、うなされながらそういったのを、ヴィントは聞き逃さなかった。

「ナル? 気づいたの? 起きた?」

 悪夢から引っ張り出すように、ヴィントはナルの肩を揺する。

「俺が……俺のせいで……」

 つ、とナルの目尻から涙が零れ落ちた。

「ナル!」

 ヴィントはナルの手の甲を少し強めに叩く。バハルは止めずに見守っていた。

「……ヴィント? 俺……」

「大丈夫だよ。ここはルシアネッサの西、水の民の長の屋敷だ」

 ナルが深く息を吐く。そして、腕で目元を覆った。

「……ごめん、寝ている場合じゃなかった。混乱して、その」

 自分の足でここまで歩いてきたのは覚えている。けれど、悪夢のせいで記憶が混濁していたのだ。ヴィントもそれをわかって、ナルの手を握った。

「嫌な夢、見てたんだろ。おれもたまに見る」

 バハルは、静かに部屋を出る。そして、廊下に背を付けると、ゆっくりと上を見た。自分も、失ったものを思い出して涙しないように。



「いやー、僕がタコでよかったですよほんと」

 小舟を引きながら、クラウスは上機嫌で海を行く。

「おまえさ、それ言うたびちょっと恩着せがましいって思わないの」

 アドラは船の上で胡坐をかいてクラウスのつるつるした後頭部に向けて呆れ顔でため息を一つ。

「おやあ、そう聞こえてしまったならすみません」

 ちゃぷちゃぷと波間を進みながら、クラウスは笑った。上機嫌なのにはもう一つ理由がある。出発前に、ペトラから言われた言葉だ。

 柱に会えても会えなくても、一度水の民の集落へ戻って来いと。なんでも、この集落には古い歴史書が何冊か残っていたらしい。アロガンツィア王国の統治圏外であるここには、歴史書の交換に来る使者がいないし、そもそもアロガンツィア史の歴史書が配られることはない。だが、交易で手に入った書物が何冊か地下書庫に保管してあり、その中には他国についての歴史書も多く含まれているとのことだった。マルタン一行が戻るまでその史料のまとめや解析をおこなってくれるというので、歴史書を調べたいクラウスとしてはうれしい提案だったのだ。

「小島ってあれかな?」

 勇が指さした先に、上陸できそうな島が見えた。オルメアの言う通り、白い柱が数本。何本かは倒れている。

「ん? 待って、誰かいる」

 アドラが目をこらす。スピネルも同じく、遠眼鏡でその方向をのぞき込んだ。

「……え、まさか」

 距離が近づくにつれて声が聞こえる。


「おーい」

 その人物は、短い柱の上に座って、こちらに笑顔で大きく手を振っていた。


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