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第6話

「ただいま戻った」

 低く落ち着いた女の声に、オルメアが答える。

「丸一日採取でうろうろするなんて、大丈夫?」

「大事ない。世話になっている身だ。このくらいは」

 女は背負っていた籠を下ろしたが、一つに束ねてある大きくうねった長い髪に薬草がひっかかったので、面倒くさそうにそれを外すと籠の中に放り込んだ。籠の中には木の実や薬草がどっさり入っている。

「いやあ、あんたのおかげで薬には事欠かなくなったわ……ありがとうね」

「薬学をかじっていたおかげだな。……奥が騒がしいようだが?」

 オルメアは、あぁ、と笑って廊下の先に視線をやった。

「昨晩、いや、明け方か。浜辺で拾い物をしてね。あんたも顔を合わせておいで」

 少しのあいだ関わることになりそうだからね、というオルメアに頷くと、サンダルをぺたぺたいわせながらグロセイアが休む寝室へ向かった。


 扉の外からでもわかるくらい、無事でよかったとかすすり泣く声が聞こえてくる。

 女は、扉を三回ノックした。

「入るぞ」

「ああ」

 グロセイアの短い許可を聞き、ゆっくり扉を開く。振り向いたマルタンが目を丸くした。

「あ……!」

「おや」

「ペトラ先生!」

 先生と呼ばれた女、ペトラは険しかった表情を和らげる。

「良かった、無事だったかマルタン。アドラに……そちらはクラウスか」

 アドラが会釈をする。お久しぶりです、というクラウスに、ペトラはうん、と頷き、そして面々を順繰りに見た。

「これはまた……大所帯になったな」

 勇がこそりとマルタンに耳打ちする。

「えっと、知り合い?」

「うん! メドゥーサ族のペトラ先生! 教務部長で、マルのこともよく気にかけてくれてたんだよ」

 メドゥーサ、と聞いて、勇が体を強張らせたのに気づいたペトラは自分の髪を触ってから赤い瞳を勇へ向ける。

「すまんな、このなりだから恐ろしかったか」

 髪の間には、鱗が光る蛇が何本かいる。それに睨まれると石化してしまうということは、勇も知っていた。ペトラは安心させるために蛇をぴょいとつまむ。

「髪飾りで束ねている間はこいつらは絶対起きんし、起きても私が命じなければ石化は発動しない。安心しろ」

「あっ、あ、じろじろ見てしまってすみません!」

 慌てて謝罪する勇に、ペトラは苦笑した。

「構わん。慣れているからな。で、マルタン、彼は?」

「はい、一緒に旅しているイサミさんです、異世界の『ニホン』からきた人間族の方です」

 えぇ!? と、ヴィントが声を上げた。

「あれ、ヴィント言ってなかったっけ」

「初耳だよ!?」

 ニホンって本当にあるんだ、とヴィントは目をキラキラさせている。ペトラは、ふ、と笑うと勇に近づいた。

「マルタンが、……うちの生徒が世話になっているようだな、ありがとう」

 右手を差し出すペトラに、勇は少し驚いたがすぐその手を取った。

「こちらこそ、お世話になってます」

 固く握手を交わした後、ペトラは問う。

「して、旅……とは?」

 その問いに、経緯と学校を焼き払った犯人の情報とを話すと、ペトラは「なんと」と言ったきり口を噤み、そして勇に深く頭を下げた。

「ペトラさん!?」

「わが校の生徒が、本当に世話になった。あなたがいなければどうなっていたか知れない。ありがとう」

「そんな、俺の方がマルタンたちには助けられてるんです、むしろ俺は足を引っ張って……」

 マルタンが食い気味で勇の言葉を否定する。

「そんなことないよ! 先生、マルたち、助け合ってここまで来ました!」

 ペトラはマルタンに振り向くと、うん、と嬉しそうに笑う。

「そうか。よかった」

 学校が焼失したのはとんでもない不幸だったが、この旅で得難い友を得たのだな、とペトラは喜ぶ。

「ペトラ先生って、この集落の人ではないよね? 俺、初めてお会いするけど」

 申し遅れましたスピネルです、と会釈をするスピネルに、ペトラはよろしく、と頷いて答える。

「まあ、言うなれば私もオルメア殿の『拾い物』といったところだ」

 後ろからオルメアが声をかける。

「さて、面会ももういいわね。こんなせまっ苦しい部屋で……。テーブルの方で昼ご飯でも食べながら話そうじゃないの」

 ベッドから立ち上がろうとするグロセイアをやんわり制止しして、オルメアはベッドサイドテーブルに土鍋に入った粥を置く。

「食べれる?」

「食わせてくれるのか?」

 いたずらっぽく笑うグロセイアに、オルメアは笑い返した。

「からかう元気があるなら大丈夫ね」

 トレイには小さなベルも添えてあった。

「何かあったら鳴らして呼んでちょうだい。声を張り上げると傷に響くからね」

「ああ、ありがとう」


 まだグロセイアについていたがったヴィントをスピネルがなだめすかして、面々は広間のテーブルへと移動する。

「拾い物って?」

 アドラの質問に、ペトラは紅茶のカップをソーサーに置きながら答えた。

「あの襲撃の後、私も逃げたんだ。知っての通り私は飛ぶこともできないし、足もさほど速くない」

 ただ、この子たちがいてくれるおかげで助かっただけでね、とペトラは髪を撫でる。束ねた先、髪の先端に、蛇の頭があるのを見つけて勇はバイパーを思い出して少し怯えているようだ。

「敵意のある相手以外にはおとなしい。そう身構えないでくれ」

 ペトラはその髪に紛れる蛇たちで、何度か人間の追っ手を振り払ってきたという。しかし、自分の故郷へ戻るために海沿いを歩いているときに討伐者に出くわしてしまい、文字通り背水の陣になってしまった。そこで。

「一か八か、泳いでみたんだ」

「ええ!?」

 アドラが驚いて大きな声を出す。すぐに「すみません」と自分の口を覆った。

「もともと私は水の加護を受けている種族だからな、そのまま討ち取られるよりはと思って」

「それで泳ぎ疲れてそこの浜に倒れてたのね」

 オルメアに呆れ顔で続きを言われ、ペトラは「面目ない」と軽く頭を下げた。

「水の加護?」

 勇が聞き返す。

「そういえばイサミさんは知らないよね。わたしたち魔族にはね、自然の加護が備わってるの」

 個々によって違うが、生まれつきこの世界の何か大いなる力により、魔族は加護されているという。マルタンが言うには、それは種族、出身地など、条件は明らかになっていないが、最低でもひとり一つは扱いに長ける属性が存在しているようだ。

「例えば、先生は水の加護が強いみたいなんだけど、アドラは風だね。火の魔法も使えるけど、風を上手く操れるから火の調節もうまいんじゃないかなっておもう。クラウスさんは水かな?」

「そうですね」

「そうなんだ、じゃあ、マルタンは?」

 勇の問いにマルタンは気まずそうに口をもにゅもにゅした。

「あ」

 ひょっとして。勇も勘づく。

「……マルはわかんないの……レジスタンスだから、なのかなあ」

 ひげをしょんぼりさせてしまったマルタンに、ペトラはうーんと唸った。

「レジスタンス職を見たのは私も初めてだからな」

「顕現するのは珍しいと言いますけど、どのくらいの頻度なんですか?」

 アドラが訪ねると、「わからない」ときっぱり答えた。

「え?」

「わからないんだ、それが。文献では、別種族からの侵略や攻撃が激化した場合に現れるというが」

 だからレジスタンスがどういう職なのか、どんな特色があるのかもいまだに明らかになっていないという。ただ、わかるのは魔族の防衛の要になりうるということだけ。

「魔族って大変なんだね。でも加護があるってのはいいね」

 ふかした饅頭を食べながら、オルメアは呑気につぶやく。

「私ら水の民は、水に入ると足が魚の尾びれに変わるけど魔法は使えない。常人よりも速くは泳げるけど、魔法は打てない。人間にも魔法を使うやつはいるけど、私たちはどうあがいても魔法を使えないのよ」

 勉強してみたこともあるけどさっぱりね、とオルメアはカップの中の紅茶に砂糖を入れてスプーンでかき混ぜる。

「魔法の力は基本的には先天的素質が無ければ使えない。そういった者にも使えるように開発されたのが魔法機器だな」

 ペトラはペン型のライトを胸ポケットから取り出すと、キャップを捻って光らせてみた。船の動力や、光魔法を応用したランプなど、人々の生活に役立てるための魔法機器は、都市部では裕福な層には好んで用いられるツールとなっている。

「私らには縁遠い品物ね……」

 希少性も、値段もね、とオルメアは笑い、紅茶を一口。

「それで、マルタン。南の『柱』を探していると言ったな」

 ペトラは、マルタンに地図を広げるよう言って、現在地を確認させると、オルメアに筆記具と紙を一枚用意するよう頼み、さらさらとクーナ湾南岸の拡大地図を描き始めた。人間の地図にも、魔族の地図にも載っていない小島がひとつ、この水の民の集落から北へ行ったところに描かれる。ペトラは、魔族の地図と並べて、こんなものだろうか、と独り言を零した。


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