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第4話

 あの時は落ちるときに気を失ったから覚えていないけど、水に沈むってこんな感じなんだ。

 暗いから、どっちが上でどっちが下かもわかんないな、でも背中から落ちたからきっと俺は水面の方を向いてるんだろう。音が遠くなっていく。



「はーい、大丈夫ですか」

 ぼんやりと沈んでいこうとしていたナルの身体を、大きなタコの足が絡めとって引き上げた。

「っぐ、っげほげほっ」

 強引に頭を水面から出されてえづく。撫でつけていた前髪が乱れて、ぺったりと額に張り付いて気持ち悪かった。ナルは自分を引き上げた主が巨大なタコであることに気づき、瞬きを数度。

「あれ? 僕ですよクラウスです。変化解くとこ見てませんでした?」

「あ、ああ、うん……」

 船を脱出するかしないかでそれどころじゃなかったと伝えるとクラウスは足でナルを巻いたまま、尋ねた。

「自力で泳げますか?」

「あっ、俺……その」

 何かを察してクラウスは「了解ですよ」と朗らかに答える。そして、ナルの胴をしっかりと足で支えたまま泳ぎ始めた。

「えっ、あのクラウスさん」

「しっかりつかまっていてくださいね、僕、船も引っ張らないとなんで」

 おうい、と上の方から声がした。アドラだ。

「一本だけさぁ、止まり木みたいにしてくれよ。やっぱマルタン重いわ」

 マルタンを両腕で抱きかかえているアドラは、ふうふうと息を切らしていた。

「ごめんねえ……」

 ちょっとダイエットしたほうがいいかな、とマルタンは自分のおなかのお肉をぽよぽよやっている。

「了解です。いやぁ~、僕に足が八本あってよかったですねえ、ほんと」

 ぬる、と水中から一本足を出すと、クラウスは水面に少し浮かせて止まり木を作ってやった。

「ふーっ、ありがとな。船の方は勇とヴィントが乗ってるな?」

 視線を向けると、顔面蒼白の勇がヴィントに背をさすられながら小舟で揺られている。

「ですね、さっきヴィント君がボートに縄を付けてくれたみたいなんで引っ張って行きますか」

「バハルさんは?」

 アドラが船の上を見上げる。バハルは親指を立てて、頷いた。唇が「すぐいく」と動いている。アドラは少し安心して頷いた。

「ツァボライトさんとスピネルさんは大丈夫かな」

 マルタンがアドラの膝に座って、心配そうにつぶやいた。次の瞬間、どん、とまた大砲の音が響く。ツァボライトが乗る船を挟んでマルタンたちとは反対側に着水したようだ。水柱が上がるのが見える。

「ひえ」

「クラウスさん、船の陰を回るようにして、逃げれる?」

 ヴィントが小舟から身を乗り出してクラウスに話しかける。このオオダコ相手に物怖じしないあたり、しっかり海の男だなとクラウスは感心した。

「ええ、もちろん」

「明かりがあるとバレちゃうから照らしてあげれないけど……見える?」

「僕たちは夜目が効きますからね、ご安心を」

 クラウスは自由が利く足を一本差し伸べると、ヴィントから輪にしたロープの先端を受け取った。



「ひゃはーっ、派手にやってんねぇ! あいつらぁ!」

 スピネルが笑いながらツァボライトの肩を叩く。

「おい、お前行ったんじゃなかったのか」

「へェ? なんで。グロセイアの右腕、このアフィラド様が船を降りるなんてことがあるとお思いで?」

 けらけらと笑いながら、スピネル――アフィラドはピストルのフルコックまでハンマーを引き起こすと、引き金を王国軍の船に向かって引く。もちろん、距離的に届くものではない。発砲の際に生じる火花で居場所を明確にして、敵を誘導するための行動だ。

「お前ねぇ……」

「つれない呼び方すんなよ。考えたくはないけど、もう最後かもしれないんだぜ、グロセイア」

 スタンドに並べたマスケット銃を手に取ると、グロセイアは事も無げに笑った。

「そうか? そんなこともないかもしれないぞ。アフィラド」

 真名を呼び返す。それは、言外に命の覚悟をしたことを示す。

ぐらり、と船が大きく揺れる。

バハルに指示しておいた通り、船が王国軍の視界を遮るために軍船へと少し接近した。それで、グロセイアはバハル以外の避難が完了したと悟る。あとは、バハルがちゃんと逃げてくれると信じるだけだ。

「行ったか」

「よし、じゃあ、ワンちゃんたちと遊ぼっかぁ!」

 アフィラドは、船に備え付けてある、てこの原理を用いた簡易カタパルトで火炎瓶を飛ばして軍船にぶつけると、「ナーイスショット」と叫んで大きく一度手を叩く。

「ほーらグロセイア、ハイタッチ」

 しぶしぶ、グロセイアは掲げられた手に自分の手のひらを打ち合わせて音を鳴らす。

 軍船の方は消火活動にあたふたしているようで、一度大砲の手が止まった。が、こちらの船に飛び移るためなのか軍船は諦めずに近づいてきている。

「おいおい、あいつら船ダメにする気かな」

「どうだか。俺の首はそんなに高いのかねえ?」

 マスケット銃を構えると、接近してきた船に適当に撃つ。やはりグロセイアは人を撃つのは本意ではないらしく、マストに穴をあけるに留まった。

「どうする? このままだとあいつらこっちに乗り移ってきそうじゃない?」

「だな」

 もはやこちらの船では舵を握っている者はいない。グロセイアが操舵に回ればいいというのはあるが、さすがにこの短時間ではマルタンたちも逃げきれていないと考えられる。消火に成功したであろう向こう方が、また大砲を撃ってきた、と思ったが……。

「違う、これ大砲じゃない……!」

 片目を眼帯で覆っているグロセイアよりも肉食獣の目を持つアフィラドのほうが距離感を測るのはずっと上手いし、遠くまでよく見通すことができる。相手方が放ったものが『魔法弾』であることに気づくのはグロセイアより早かった。とっさの判断でグロセイアの上に覆いかぶさるようにして伏せる。

「っで!」

「わっり、頭打った!?」

「さすがにそれはない。でも背中が痛い」

 文句言いたげな視線を向けるグロセイアと共にその場に伏せて、船の後方に飛んでいった魔法弾をやり過ごす。さすがに船は無事とはいかず、マストの一部が燃える音が聞こえてきた。

「あちゃ~、ですよね~……」

 それに早く立ち上がらないと万が一にでも逃がした小舟に攻撃対象を変更されては困る。グロセイアは消えてしまったカンテラを蹴ると、アフィラドの腕を掴んで立たせる。

「えっ、優しっ」

「向こうもこっちの船沈めるのに躍起になってきたな。そろそろお前も」

「逃げないって言ってるでしょ」

 グロセイアが逃げろという前に、アフィラドは食い気味で否定した。グロセイアは幼いころからアフィラドと共に育っている。言い出すと聞かない。普段は何にもこだわらない、自由で気ままな態度でいる男だが、こうと決めたら絶対に譲らない。それを知っているグロセイアはついに観念した。

「どこまでついてくる気だ」

「そりゃもう船長の向かう場所でしたらどこへでも」

 背後で大砲の音が鳴り響くのも気にしないでアフィラドは笑う。

「まさか地獄なんて言わないでしょ?」

 仲間さえ逃げられればそれでいいという姿勢のグロセイアを諫めるように言って、アフィラドはヴィントから預かったキャスケットを被りなおした。

「俺、これ返さないとなんだから。最後かも、なんて言ったけど、あんたと共倒れなんてやだね」

 逃げないと言った彼が意味するところ。それは、グロセイアも死なせないし自分も生き残る。そういうことだ。この状況でどうしてそんな自信を持っていられるのかとグロセイアは困ったように笑った。

「借り物は返さないとな」

 グロセイアは燃えるマストから火を松明に移し、軍船の前へと歩み出る。その背後には、腹心アフィラドを連れて。


 魔法を動力にした軍船はグロセイアの船目掛けて速度を上げ、乱暴に接舷せつげんさせた。

「もう一人いるぞ! 亜人の男だ!」

 軍船から飛び移ってきた男が叫んだ。そいつも生け捕りにしろとか、逃がすな、と敵軍は声を上げながら次々とグロセイアの船へ上がりこんでくる。

「ねー、なんか物騒なこと言ってる生け捕りだってぇ」

 俺こわーい、と言いながら、アフィラドは招かれざる客が振り上げた剣を躱し、一気に間合いを詰めるとそいつの腹部にえぐりこむように拳を叩き込んだ。低く呻いて倒れこんだ男を足蹴にしながら、次に向かってくる王国軍を牽制する。

「それ以上こっちきたらこの人の首踏んづけちゃうよ」

「構わん、いけ」

 同じ隊の者の命を軽視する命令を下す人間に、アフィラドは「まじで?」と小さく零して飛びのく。向かってきた後続の男達を、カットラス片手に突っ込んできたグロセイアが相手する。船には火が回っており、もう後がなかった。彼らだって命が惜しければ引き返してくれるだろう。

退け、命までは……」

 最後の一人。他は、伸びてしまっている。応援を呼ぶとかして回収して去ってくれれば……そう思ってかけた言葉に男は笑った。

「ここで退けるか、爵位がかかってるんだ。お前の首持って帰って英雄になるのは俺なんだよ!」

 男は手にした剣でグロセイアの脇腹を斬りつける。痛みに一瞬怯むが、距離を取らねばとグロセイアは男の下腹部を蹴り上げた。


 マストが燃え落ちて、船が更に大きく揺れて軋む。崩れるまでもう幾ばくも無い。グロセイアとの戦闘で倒れた男二人を担いで、アフィラドは王国軍に返してやろうとした、が。

「おい、正気かよ……」

 アフィラドの目に、軍船でまた大きな火の玉が練られているのが映った。

 ――まだ仲間がこっちにいるってのに、そいつらごとこの船を焼き払うのか?

「ごめん」

 次の瞬間にはアフィラドは抱えている意識のない男二人を下ろしてグロセイアに駆け寄った。脇腹から血を流す親友の姿を見て、妙に頭が冷えていく。傷を与えた方の男は急所を蹴られてうずくまっていた。少しでも軍船から離れて、それから自分のシャツを脱いで、グロセイアの出血部位にきつく巻きつける。

「またデカい火の玉がくる」

「……そうか」

 ありがとうな。

 グロセイアは呼吸を整える様に大きく息をつくとそう言った。

「何のお礼」

 今まで、と唇が動く前にアフィラドはグロセイアを抱きかかえる。

「おい」

「できれば息吸ってね。せーのっ!」

 二人の影が、夜の海に消える。

 直後、大きな火の玉が船に直撃し、火柱が上がった。


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