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第2話

 ツァボライトの突然の指示に、甲板にいた男が飛び起きた。

「えぇ!? さっきついたばっかりなのにもう出るんッスかぁ!?」

「急用だ。悪いな」

 船に乗り込むツァボライトの後に続く見ない顔の面々に、乗組員は「うす」と小さく挨拶をしてくれる。頭に紺色のバンダナを巻いた男が、ツァボライトからズタ袋を受け取り、奥へ引っ込んでいく。ぶーぶーと文句を言っているオールバックの船員だったが、きちんと指示に従って出航の準備を進めているあたり、信頼関係が構築されていると見える。明らかにまだ10代前半に見える少年は、マルタンをじっと見つめていた。

「あっ、マルタンと申します」

 ぺこ、と頭を下げたマルタンに、少年はキャスケットを脱いで頭を下げ返してくれる。

「おれはヴィント。ツァボライトさんに世話になってんの。ここではツァボライトさんがルールだからしっかり守ってね、マルタン!」

 にかっと笑った日焼けした顔は、愛らしくも生意気で、マルタンは故郷の弟たちを少しだけ思い出して懐かしくなり、「うん!」と答えた。

「それで、どこへ行くっていうんですかいお頭」

 奥から戻ってきたバンダナの男がツァボライトに近づき、尋ねる。

「行き先はルシアネッサ。できるだけ急ぎで、とのことだ」

 それと、そのお頭っていうのやめないか? とツァボライトはバンダナの男を小突く。癖になっているようで、バンダナの男は「すいやせん」と呟くように謝って、それからまた「お頭」と呼びかけた。バタバタと準備をしながら、ツァボライトが簡単に船員の紹介をしてくれた。

 このバンダナの男はバハルといって、ツァボライトが活動をし始めたかなり初期のころからの仲間らしい。元漁夫の彼は船の操舵に長けており、舵取りは基本的に彼任せだとツァボライトは言った。ぶーぶー文句言っていたオールバックはナル。力仕事と料理が得意で、素直な奴だという。彼らのほかに二人いるらしいが、今日は非番でそれぞれ好きに過ごしているのだそうだ。

「よし、忘れ物ないかあ?」

 ナルが皆に問う。おう、という返事を確認すると、ナルはツァボライトへ顔を向けた。視線を交わし合い、頷いたツァボライトが叫ぶ。

「これより出航する。錨を上げろ!」

 バハルが舵を切る。ナルが錨を引き上げる。帆に風を受け、船がゆっくりと動き出す。初めての船旅に、ひげを潮風にそよがせてマルタンは目を細めた。



「ぅぷ」

 甲板で、海を眺めながら勇が顔を青くしていた。

「なんだ船酔いか?」

 ヴィントが勇の背をばちんと叩く。

「ぅおわっ……」

「あっ、悪い……マジで具合悪いんだ、水持ってくるから!」

 船倉に走っていくヴィントの背に弱弱しい声で礼を言いながら、勇は息をゆっくりと吸って、吐きだした。

「ううぉぇ……」

 てけてけと走ってきたマルタンが勇の背をさする。

「マルタンは酔わないの、すごいね……」

 海、初めてなんでしょ? という勇の真っ青を通り越して真っ白な顔を、マルタンは心配そうに覗き込んだ。

「うん、でもなんか大丈夫みたい。イサミさん死にそうな顔してるけど……横になる?」

「なんか横になったら永遠に起き上がれなさそうで怖くて」

 あぁ……とマルタンは勇の痛ましい様子に耳をへたりと寝かせる。

「よう、はじめての船旅はどうだ」

「ツァボライトさん」

 マルタンが顔を上げると、そこには木綿のレースアップシャツに着替えたツァボライトがいた。右目には、革の眼帯を付けている。航海の時はこのスタイルなのだろう、おそらくグラナードが見かけた時もこんな感じだったんだろうな、と見つめる。

「どうしたなんか付いてるか」

「いいえ、グラナードさんの言ってた特徴通りだなって」

「遠眼鏡で見たっていうが、それだけでよく俺とわかったもんだな」

 大きな樽の上に手をついて、船の進行方向を眺めながらつぶやく。

「そうであってほしいって気持ちもあったみたいだけど、ほんとにお兄さんでよかった」

 マルタンがそう言って笑うものだから、ツァボライトもつられて笑った。

「俺は隠したり言わないってことはあっても嘘はつかない主義でね」

「だから、あの名前も否定しなかったんですね」

「そ。まあ、ほんとにグラナードの兄貴かどうかは勝手に想像しといてくれ」

「えっ」

「いいだろ、船、乗せてやってんだ。あんたらの願いは叶ってる」

 見上げれば、満天の星空。欠けた月が、ぼんやりと浮かんでいた。水面にそれが映る様が、きれいだ。ちょっとおいしそうなんて思いながら、マルタンは水に映る月を眺めて礼を言う。

「ツァボライトさん、ほんとにありがとう」

「なんだ改まって。礼をもらわないとは言ってないぜ。それに、ありがとうは無事に岸についてから言うんだな」

 数時間後、空が明るくなる前には向こう岸に着くだろうから準備をしておけ、と、照れ隠しするように肩を竦めるとツァボライトは船員の方へ向かおうとした。その時。


「あれ……!?」

 マルタンのショルダーバッグのフラップ、その隙間から、光が漏れだしたのだ。手鏡だ。手鏡が光っている。大急ぎで手鏡をバッグから取り出すと、マルタンは手鏡を開いた。

「マルタン!」

 聞こえるかい、と切羽詰まった声で呼びかけてきたのはグラナード。先ほどツァボライトの声を聞いたばかりだと、声の調子こそ違えどそっくりな声色だなと感じた。

「聞こえます、どうしたんですか?」

 立体ホログラムとなって現れたグラナードの像は、どこで通信してきたのかは知れないが周囲を気にするように一度見まわしてから声を潜めて告げた。

「船が出た。ヴェステリケから、国王軍の軍船が出たって話だ」

「えっと……」

 話が読めなくて、マルタンはおろおろする。

「どうした」

 マルタンの様子に気づいたツァボライトがマルタンの横から手鏡をのぞき込む。

「そこにいるのは……グロセイア? グロセイアなんだね? もう船の上かい!?」

 焦り、質問を矢継ぎ早に飛ばすグラナードに、ツァボライトは一言落ち着けと言った。

「っ、すまない。私はグラナード。あなたの敵ではありません、あなたの協力を仰いだものです」

「ああ、わかってる。……で、王国軍の船について詳しく聞かせてもらえるか」

 そこはさすがに船長としての対応だった。マルタンは手鏡をグロセイアに向け、固唾をのんで見守る。

「3時間ほど前だろうか、ヴェステリケ港から、王国の船が出たと聞いたんだ。勇者たちがルシアネッサに向かう前の露払いとでも言おうか、その、道をつけるために出たのだと思う」

「ふうん?」

「それこそ、君たち海賊が活動していないか警戒している」

「だろうなあ」

 軍船は速いからなぁ、とグロセイアは目を閉じる。

「情報、ありがとう」

「ずいぶん落ち着いているんだね」

「だって、もうなるようにしかならねえだろ」

 音が聞こえる。ちょうど、進行方向向かって左……東の方から。波を切る音だ。

「悪いな、もう切る」

 グロセイアは手鏡をパチンと閉じると、マルタンにしっかりと握らせた。

「いいか、落ちるなよ」

「えっ」

 マストの上からアドラが叫ぶ。

「何かデケー船来たぞ!!」

 ツァボライトはアドラに聞こえるよう、大きな声で叫ぶ。

「王国軍だ! そこにいると狙われる、降りてこい!」

 わかった、と答え、アドラはひらりとツァボライトの横に着地する。

「上から見たが、だいぶ接近してるんじゃないのか、あれ。姿が見えてから大きくなるまでが早い」

「王国の軍船は魔法動力だろうからな。スピードだけはある」

 操舵の腕はたいしたことねえけどな、と付け足すと、「バハル」と舵を握る男に声をかけた。

「へえ、お頭」

 呼び方を改めないバハルに苦笑してツァボライトは耳打ちをする。バハルは渋い顔をしたが、頷いた。ここでは、ツァボライトがルールだ。水を持って戻ってきたヴィントが、緊迫した空気を感じ取り、ツァボライトの顔を見上げる。

「心配するな。お前たちは死なせない」

 そう言って、肩に流した黒髪を結い上げるとツァボライトは軍船がくる方向の船べりに足をかけ、バハルが持ってきたカンテラに火を入れて高く掲げる。そして、小さく笑った。


「来いよ、王国の犬どもが」


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