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第1話

 高低差がある場所からだと近くに見えた船は、実際に向かってみると存外距離があった。たどり着いた浜辺には、一本マストのスループ船一隻に、丸太づくりの質素な家がひとつ。あとはヨットが何隻か。日が傾きかけ、オレンジ色に染まる海は、危機が迫っているのを忘れさせるほどに美しかった。

「船とおうちと、どっちにいるかな……」

 マルタンはきょろきょろしながら、浜辺をあるく。砂浜に肉球の跡が残った。

「船がここにあるってことはあの屋敷? 家? で休んでる可能性が高いんじゃないか?」

 アドラが指さした先へ四人で向かう。海賊の根城と思しき場所へかけるにはのんびりしすぎた声が響いた。

「ごめんくださあい」

 ぶっ、と勇が吹き出す。

「マルタン、そんなご近所に挨拶するみたいに」

「? 変だった?」

 しんと静まり返っている木造の建物の前で、マルタンは考え込む。そして再度声をかけた。

「ごめんくださーい、どなたかいらっしゃいませんかあ」

「いないんじゃない?」

 勇に言われて、マルタンは「んーん」と首を横に振る。

「においがするし、船からここまでに足跡があったから多分だれかいると思う」

「え、居留守?」

「寝てるのかも。ごめんくださあ……」

 ぎぃ、と音を立てて、扉が開く。

「うるさい」

 扉を開けたのは、ちょうどグラナードと同じくらいの背丈のすらりとした体躯を持つ男だった。グラナードに聞いていた通りの、青白い肌に尖った耳輪、薄く開かれた唇の間からは犬歯が見えている。慌てて出てきたのか眼帯はつけていなかったが、長く伸びた黒髪で右目は隠してあった。色こそ違うが柔らかくウェーブがかかった髪質はグラナードにそっくりではある。しかし、ぱっと見ただけでは双子とは思えないだろう。

「あ! こんにちは! うるさくしてすみません。えーと、グロセイアさんですか?」

『グロセイア』という名を聞き、男は半開きだった瞳を見開いた。

「……おい、でかい声で言うな。その名をどこで聞いた」

「へ? えと」

 マルタンが答える前に、男はマルタンの肩をぐいと引き寄せて家の中へ招く。

「いい、とりあえず入れ」

 後ろのお前らもだ、と不機嫌そうに言って全員を家に入れると、男は扉を閉めて木製のスライドロックをかけた。外からはわからなかったが、思っていたよりも内装は小綺麗で、広い。部屋の真ん中にある大きなベンチとテーブルに案内すると適当にかけるよう言って、グロセイアはキッチンへ一度引っ込む。「適当にかけて」という言い方が、どことなくグラナードに似ていた。

「何飲む」

 キッチンから聞こえる声に、お構いなくとマルタンは返す。

「っていっても、だいぶ歩いてきたんだろう」

 ピッチャーから水を注ぐと、男は四人の前にそれを出してくれた。

「お気を遣わせてすみません」

 クラウスの胡散臭い微笑みに、男は視線を逸らす。

「そう思うなら要件言ってさっさと出ていけ」

 マルタンは出された水をちび、と飲むと、切り出す。

「お船で湾を渡してほしくて」

「は?」

「突然不躾なお願いをしているのは承知なんですけど、急ぐんです。陸路だと間に合わなさそうだから、お船でルシアネッサまで連れて行ってほしくて」

 そういうと、マルタンはショルダーにしたポーチの中からペンダントを取り出すとグロセイアに渡す。

「これ、グラナードさんから預かってきたものです。これと同じものを持った人が、お兄さんだって……」

 その時に、グロセイアさんという名前も……と言いかけたマルタンを男は制止する。

「俺は……いや」

 グロセイアではないというのは無理があるな、と小さく呟き、男は続けた。

「今はツァボライトと名乗っている。仲間にはその名しか知らない者もいるから、真名で呼ぶのは避けてくれ」

 グロセイアであることを否定しなかったことを確認し、マルタンは頷く。グロセイア――ツァボライトは自分の首から下げたペンダントを外すと、マルタンに渡されたペンダントと並べて見せた。

「間違いなく、同じものだな」

「……そうですね」

 ツァボライトはわずかに微笑む。

「弟は……グラナードは、元気か?」

 マルタンは嬉しそうに頷くと、手鏡を取り出した。

「つながるかな、グラナードさん」

 開いた手鏡に呼びかけてみたが、時間帯が悪かったのだろうか、繋がらない。

「それは?」

「通信用の魔法機器で、タイミングさえ合えばグラナードさんに繋がるんです。せっかくだからお話させてあげたかったのに」

 しゅん、としょげてしまうマルタンに、ツァボライトは苦笑する。

「気を落とすな、生きていりゃそのうち会えるさ」

 ベンチに腰掛けたツァボライトはテーブルに頬杖をつくと、「で?」と首を傾げる。

「なんであんたらはグラナードに船を借りる様になんて言われた?」

 急いでルシアネッサに行かないとならない理由はなんだ? と問う。マルタンが経緯を話すと、ツァボライトは腕を組んで背もたれに背を預けた。

「なるほどねえ……。弟が俺を見つけた日、ってのは、おそらく俺が『勇者殿』が召喚されたと聞いてヴェステリケに行ったときのことだな。その勇者に問題アリとはねえ」

「勇者を探しに?」

 アドラに問われて、ツァボライトは鼻で笑い、水を呷る。

「探すなんてそんな大層なあれじゃないさ、王都に行きゃいるだろうと思って、ヴェステリケに上陸してそこから向かうかって話してたんだ」

 そうしたら、ヴェステリケの浜に王国軍がわらわらと集まってきていたから面倒になってやめた、と笑う。その笑い声に呼ばれるかのようにして、奥の部屋から赤い髪の男が出てきた。眠たそうに目を擦っている。

「んあ? ツァボ、誰それ? お客?」

「起きたか。客というか、なんというか」

 赤い髪の男は、にこ、と笑うと、アドラの横にすとんと座った。

「ようこそ、海賊のアジトへ。俺はスピネルって名乗ってる。よろしくね」

「アドラだ。こっちがマルタン、その眼鏡がクラウス、それがイサミ」

 簡潔に紹介を済ませる。マルタンがあっ、と声を上げた。

「すみません、自己紹介もしないで……」

 スピネルはくすくすと笑う。

「よっぽど急いでたんだね。ま、いいさ。で? どうすんの? ツァボ」

 スピネルの頭には、ヤマネコの耳が何やら楽し気にぴるぴると揺れていた。好奇心を隠しきれない赤い瞳が、ぎらついている。その目を見て、ツァボライトは柔く笑った。

「お前がそういう時は断るって選択肢がないだろ」

「っはは、よくわかってるじゃん」

 で? どういう用事だったの? とスピネルは改めて尋ねてくる。さっきまでの会話は一切聞いていなかったようだ。王国に召喚されたユウタという名の勇者が、力を行使するたびにおかしいことが起きるという事、そして、おそらく次のターゲットは南の柱であるということをマルタンが説明すると、スピネルは眉を顰める。

「おかしいこと、ね」

 ツァボライトに目で何かを伝えて、スピネルは口を開いた。

「それさ、俺ちょっと心当たりあるんだよね」

 アウリスよりも南に位置するスピネルの故郷、ケルコスの井戸が急に枯れたという。スピネルには弟、妹がたくさんいた。ヤマネコ獣人の母と、人間の父との間に生まれた亜人であるスピネルは、もはや自分の兄弟が何人存在するのかを把握しきれていないが、「兄ちゃん」と呼んでケルコスの方角から来る者たちは、たとえ血がつながっていなくても兄弟と捉えて面倒を見てやることにしている。

 井戸が枯れたことを伝えに妹と思しき若い娘が訪れたのは、王国に勇者が現われたという報が届いてから半年ほど経過したころだったかなあ、と記憶をたどり話すと、スピネルはテーブルに両手で頬杖をついてにこっと笑った。

「まあ、たまたまかもしれないけどね」

 ちょーっとタイミングよすぎると思わない? とアドラの顔をのぞき込むと、アドラは確かにな、とだけ返した。じっとアドラの顔をのぞき込み、スピネルはにぃ、と笑う。無邪気でありながらどこか妖艶な赤い瞳が、好奇心に爛々と光っている。アドラは面倒なタイプのやつだと本能で察した。アドラの肌よりもワントーン明るめの褐色の手が、差し出される。

「俺も行っていい? 勇者とかいうのには多分、俺も借りがあるし」

 アドラは差し出された右手に自分の右手を音を立てて当て、握る。

「へえ。上等」

 ツァボライトとクラウスが同時に額を抑えて長いため息をついた。

(これだから……)

 と思いつつも、ツァボライトだって乗り気でないわけではない。立ち上がると、大きなズタ袋に何やら詰め始めた。

「えと、ツァボライトさん?」

 勇が後ろから話しかけると、振り返らずにツァボライトは言った。

「急ぐんだろ」

 がたん、と窓を開ける。窓からは、風向きを知るための風向計と旗が見えた。それを見ると、ツァボライトはズタ袋を掴んで四人を招き入れたあの扉を開く。

「思った通り、出航にはおあつらえ向きの風だ。出るぞ」

「ひゅ~! さぁすがツァボ! フットワーク軽~い」

 太めのしっぽをゆらりと揺らし、スピネルはスキップ交じりにいち早く家を飛び出していった。慌てて四人はその背を追いかける。

「こ、こんな快諾してもらえると思わなかったね!?」

「好都合じゃねえか、僥倖僥倖」

 スループ船の上で寝ていたと思われる男たちに、ツァボライトは大きな声で指示を出す。

「野郎ども、出航だ! 位置につけ!」



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