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第5話

 グラナードはマルタンの返事を聞くと、今度はバッグから小さな手鏡を取り出した。コンパクト型になっているそれは、まったく同じデザインのものが二つある。

「これを、片方君に」

 マルタンは手鏡を受け取ると、視線でこれは何かと問うた。

「この手鏡は通信用の魔法機器だよ。試しに開いてみてくれるかい」

 言われた通りコンパクトを開くと、何の変哲もない二面鏡に見えた。

「私の名を呼んで」

「グラナードさん」

 素直にその名を口にすると、手鏡の上にグラナードの像が浮かび上がる。目の前にいるグラナードをそのまま映した姿に、マルタンは驚き、グラナードの実像と虚像とを見比べた。

「いい反応をするねえ、こっちもご覧」

 グラナードは自分の手元にある手鏡が淡い光を放っているのを見せる。そして、金具を触って開いて見せた。そちらの手鏡には、マルタンが映っている。

「これで接続テストは問題ないね。これから簡単に会えないことも増えるかと思ってね。何かあればこれで連絡を取り合わないか、ということ」

 マルタンは頷いた後で、首を傾げる。

「こんな魔法機器、初めて見ました」

「だろうね。これは母の遺品で、私も他では見たことがない」

 マルタンは、びゃっ、と飛び上がるとふるふると震えながら手鏡をグラナードにつき返した。

「そんな、お母様の……そんな大切なものを預かるなんて」

「マルちゃん、いいんだよ」

 グラナードはひんやりとしたマルタンの桃色の手を取ると、その手にもう一度手鏡をのせ、自分の両の手で包むようにして握らせる。

「母も、こうやって使ってもらった方が喜ぶはずだから」

 無辜の民が、無辜の魔族が嘆き悲しむことを、母はきっと心苦しく思うだろうから。そう言って、グラナードはマルタンを納得させた。

「さて、遅くまでつき合わせてすまなかったね。そろそろ眠るかい」

 勇の表情に疲れを見ていたグラナードは、ランプをそっと持ち上げる。

「あっ……すみません」

「いや、イサミくんは旅慣れてないよね。本当にすまないことをした。君たちと接触していたことが周囲に知れるとまずいから私は早朝発つけど、君たちはこの小屋を好きに使って好きな時間に出てくれればいい」

 馬は貸してやれないけれど。と付け足し、グラナードは部屋の隅にあった収納箱から毛布やひざ掛けを取り出すと、気まずそうに視線を泳がせる。

「……これまた人数分ないんだよね」

 本来グラナードが一人で休む用の小屋らしく、ベッドも一つしかない。

「雨宿りできるだけでありがたいんだ、あんたがそんな顔しなくていいだろ」

 アドラは暖炉の近くのソファにかけると、ソファの横をポンポンと叩いてマルタンを呼んだ。マルタンはアドラの横でくるんと丸くなる。

「あたしらは一枚で足りそう」

「はは、それはいいね。はい」

 毛布を受け取ると、アドラは自分の肩にかけてマルタンにも分けてやった。

「じゃあ、おやすみ。朝見送れないかもだから、あんたも道中気を付けて」

「うん。ありがとう……で、その二人は」

「外に大きめの池がありましたね」

「うん? あ。なるほどね」

「僕はそちらで」

 クラウスはにっこりと笑うと、リュックを置いて雨の中小屋を出て行ってしまった。

「うーん、問題はイサミくんだ。どうしよう、一緒に寝る?」

 勇は勢いよく首を横に振る。

「なんかそんなに必死に否定されるとちょっと傷つく」

「いや、あの恐れ多いというか邪魔になるしその」

「まあそうか……あ、私の掛け布団を床に敷いて寝てくれるかい」

「いえ、悪いです」

 押し問答になりかけたところを、グラナードは「君たちは明日から私以上に大変なんだから」と押し切って、布団を床に放り投げた。

「わかったらさっさとその上で寝る! いいね」

 そして、自分はベッドの上にさっさと体を横たえてしまった。ひざ掛けと毛布はあと一枚ずつ。せめて毛布をという勇の声を無視して、グラナードは大判の毛布を勇にぽいと投げるとそのままひざ掛けを腰のあたりにかけて寝入ってしまった。

 いいのかな、なんて不安に思っていた勇も、先に眠ったマルタンのすぴょすぴょという寝息と、暖炉の薪の音のせいですぐに微睡に落ちていく。日が昇る頃には、ベッドの上には誰もいなかった。



「おはようございます」

 すっかり二度寝してしまっていた勇が目を覚ましたのは、コーヒーの香りに釣られてだった。どこから出したのか、コッフェルで淹れたコーヒーをすすっていたのはクラウス。

「おはよう……クラウスさん、昨日は池で寝たの?」

「ええ、久々に元の姿に戻ってゆったりできました。イサミくんもコーヒーいかがです?」

 まだポットに少しありますよ、というクラウスにお礼を言うと、勇も戸棚からカップを出して軽くすすぎ、一杯のコーヒーで目を覚ます。元の姿を少し見てみたかったかもしれないなんて思いながら、ちらとクラウスを見ると、クラウスは金色の瞳をこちらへ向けた。

「ああ、そうだ、昨日の光魔法の件なのですけどね」

「あ! そう、聞きたかったんだ」

「あれ、……おそらくイサミくんのお力では?」

「へ?」

 勇はカップから口を話すと、そんなまさか、という。クラウスはというと、どうして勇がそんな顔をするのかとばかりにコーヒーをすすっていた。

「いや、俺特に特別なスキルとかは……ステータスカードもほら、真っ白だし」

「異世界からの訪問者は『不思議な力』で世界を救うのでしょう? ……そのカードには記載されない何か『不思議な力』なのでは?」

 そう言われて、勇は自分の手を握ったり開いたりする。あの時、『やめて』と強く願った。殺さないで、と強く。すると、自分が攻撃しないでほしいと思った物だけを避けて、ソレイユの放った魔法が手のひらに吸い込まれていったのだった。

「ソレイユの魔法を……吸ったところまでは俺の力……かな」

「その直後、僕にぶつかったのをお忘れですか?」

「えっ、あ……そういえば」

 あのときはすみません、なんて勇が律儀に頭を下げるものだから、クラウスはおかしくなって笑いだす。

「あっはっは、いや、そんな……そこは気にしないで、むしろぶつかってくれて好都合だったんですよ」

「え?」

「あの瞬間、僕の身体に異常なまでの魔法エネルギーが発生したんです。発生……いや、違うな。流れ込んできた」

 クラウスはカップを持っていた勇の手に軽く触れる。

「……今は何も起こらないですね。断定はできませんが、君が何かしらの魔法を『吸い取った』場合、物理的接触を持って誰かに魔力を『渡す』ことができるのでは?」

「え、えええ!?」

「ところで、君、魔法は?」

 勇は黙ってステータスカードを差し出す。クラウスは苦笑いを浮かべた。

「ですよね」

「はい……」

 マルタンを起こさないように毛布から抜け出たアドラが勇の横に座る。

「なるほどね、こいつにそんな力が」

「アドラ……」

 まだ決まったわけじゃないし当てにしないでね、という勇に、アドラは笑う。

「お。殊勝な心掛けじゃねえか。あんたは物理もどうにかしねえと自分の身も危ういからな」

 いつもいつでも庇ってやれるわけじゃねえぞ、というアドラに、勇はバツが悪そうにうなずく。気づけばいつも助けられてばかりだ。

「そのときは、マルが守るよ」

 むくり、と起き上がって、マルタンは寝ぐせのついた頬をかりかりとかいて直しながらふにゃりと笑った。

「起こしてしまいましたか」

「ん。寝坊しちゃったね。ごめんなさい」

 勇はマルタンもコーヒー飲む? と言いかけて、カップを引っ込める。

「へへ、正解。マルはカフェインだめなの」

 やっぱり、大きなハムスターだな、と思った。

 一行は軽く小屋の掃除をすると、さっと身支度を整えて外へ出た。雨は上がり、澄んだ空気が秋空に満ちる。グラナードに教えてもらった通り、南へ。クーナ湾の北岸を目指し、歩みを進めるのだった。


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