項垂れているマルタンを見つめて、グラナードは先刻とは打って変わって温かい声色で言った。
「すごく、純粋なんだね」
「へ……?」
素っ頓狂な声を出して顔を上げたマルタンの頭を、グラナードは優しく撫でた。
「ほんの数時間しか経っていないけど、マルちゃんは純粋で真摯な子なんだろうなってことは伝わってきたよ」
「それって喜んでいいのか微妙です」
ぷるる、と小さく身震いをして、マルタンは口を尖らせる。子ども扱いされているみたいで、ちょっと不服なようだ。しれっとマルちゃん呼びされていることは、気にしていないようだが。
「私は褒めてるつもり。気に障ったならごめんね」
マルタンがわざとふくれっ面を作って見せると、そこに和やかな空気が流れた。けれど、次のグラナードの言葉でそれは張り詰めたものに変わる。
「……で、さっきの憶測が当たっていたら……魔族の襲撃が増えた理由が、もし、それだったなら……」
アドラが顔を歪める。
「なあ、そんな酷いことあるか……」
「限りなく黒に近いと僕は思いますね」
クラウスが冷めた声でそう返した。勇も、苦し気に頷く。
「だって、理由もなく人を襲うなんて本来はしないんでしょう……?」
「うん。そういったことをするのは、自我を失った者か、ごくわずかに存在すると言われる反魔王の過激派だけだと思う」
過激派、と勇が驚くと、クラウスが続けてくれた。
「魔族にも人間にもいい人もいれば悪い奴もいる……そうでしょう?」
アロガンツィアを発つ前日の夜に勇が言ったことを返すように、ゆっくりと。
「その悪いものと、向き合わねばいけない時が来るだろうね」
グラナードは頬杖をついて、暖炉の火がはじけるのを見つめた。
「憶測が当たっていたなら、大問題だ。調査を進めて、しかるべき措置をとらないとだね」
そうなると、私が本格的に動かないとならないのだけれど。と言いかけて、グラナードはマルタンと目を合わせる。
「大々的に私が動くと、もみ消されたり逃げられる可能性もある。そこで」
「わたしたちの協力が必要……ですよね?」
グラナードから頼まれる前に、マルタンは強い眼差しでそう答えた。
「わたしとしても、そんな酷いことが起きているのなら見過ごせないです。……みんなは?」
勇、アドラ、クラウスに、視線をゆっくりと移す。
「俺もそのつもりだよ。何かの縁でここに招かれたなら、俺は俺の正しいと思うことをしたい」
「焼け出されたと思ったらなんかとんでもねえことになってるけど、後には引けねえわな」
勇とアドラの言葉に、クラウスは黙って深く頷いた。グラナードは、どこかほっとしたような面持ちで礼を告げる。
「次に勇者……ユウタさんたちが向かう場所はわかりますか」
マルタンの問いに、グラナードは地図を広げる。
「王が次の派遣地として指定した場所が、ここだね」
つ、と指先が王都アロガンツィアと記載された場所から南西へ動く。止まったところは、海に面した街であった。
「……ルシアネッサ!」
マルタンが声を上げる。あの時ケラスィヤの声を聞いていない勇は、ルシアネッサ? と短く聞き返した。
「そう、あのね、村を出る直前に声を聞いたの」
「声?」
「そう、ケラスィヤ様の……ルシアネッサに柱がいるって」
ああ、と勇は思い出した。あの一人で頷いたり首を傾げたり繰り返していたのはそういう事だったのか。柱? と問うグラナードに、マルタンはできるだけ簡潔にと考えた。
「魔族に伝わるお話で、
「あれ……? それ、私も聞いたことがあるかも……」
グラナードが何かを辿るように目を瞑る。
「東に流転の『風の神』
西には深き『知の神』
南は麗しい『華の神』
北は導き手『理の神』……」
彼が絞り出すように思い出して紡ぐ言葉を、クラウスは手帳に書きつける。
「その詩は……?」
「亡くなった母が寝物語に聞かせてくれたものなのだけど、正確に覚えているのはここだけ」
「似たような詩が僕の故郷でも語り継がれていましたよ。
春を呼ぶは東の柱
夏を招くは南の柱
秋巡らすは西の柱
眠りの冬の北の柱……」
各方位に柱、神がいるという部分が一致している。手帳に書き足し、クラウスは「ふむ」と言ったきり何か思考を巡らせている。
「魔族と人間とで違うのかな、地域によって違うのかな」
勇は、マルタンの疑問に何と無しに返す。
「わらべ歌みたいなものなのかな、そっくりだけれど地域によって違う……同じものについて歌っている、みたいな」
グラナードは身を乗り出した。
「なるほど、まさかこんなところで種族を超えて重なる部分がでてくるとはね。それで、ケラスィヤ様というのは」
マルタンはハッとして桃色の肉球で自分の口をおさえる。話してもよかったのだろうか。ケラスィヤ様はお怒りにならないだろうか。けれど、ここで話さなければ次の柱への道がつながらない。なんとなくそんな気がして、説明することにした。
「お察しのとおり、エニレヨ北の祠におわす柱のことです」
「あの寂れた祠に神が!」
寂れた。それを聞いたら、ケラスィヤは頬を膨らませてそっぽを向いたろうか。けれど、それは事実だった。人間がもはや気づかなくなるほどの、森の奥の小さな祠。
「ケラスィヤ様は、ユウタさん……ソレイユさんの力で封印された状態にありました」
それで、エニレヨの気候が乱れ、あの状態になってしまったのだということを伝えるとグラナードは眉を顰めた。
「ユウタ達は柱をモンスターと誤認したということか?」
マルタンは首をぷるぷると横に振る。
「ケラスィヤ様はモンスターには到底見えないと思います。角の生えたかわいらしい女の子でした」
「角」
グラナードはマルタンの反論からその単語だけ抜き出し、そしてバッサリと切り捨てた。
「それは人間には生えていないものだからね」
「それ……だけで?」
「私はそれだけで対象を傷つけたりはしない。けれど、ユウタはわからないな」
マルタンの毛がざわりと逆立つ。怒りの感情を露わにすることがほとんどないマルタンは、自分のやり場のない感情に戸惑った。
「結果的には森にかかった霧を晴らすことになって、魔族の拠点への攻撃に成功しているけれど。……それも知っていたのかな」
クラウスの独り言を、グラナードは逃さなかった。
「知っていた、とは」
「あの人、召喚されたってことは多分俺と同じ転生者じゃないかと思うんです」
「同じ?」
グラナードはそこまで知らないようだった。自分の出自と、この世界を『ゲーム』を通して少し知っていた旨を話すと、グラナードは思考が追い付かないのかきょとんとしてしまった。
「つまり、イサミくんとユウタは出身地が同じという事」
「そう、それで、ユウタもこの世界を知っていたんじゃないかって俺は思ったんです」
霧の結界を張っているのがケラスィヤだという事を知っていて、その正体が何なのかを知ってか知らずか、結界を破壊するために彼女を襲ったのではないか。その仮説に、グラナードはなるほどねと手を打った。
「へえ、じゃあ柱の封印を解いて霧を再度発生させたことは、ユウタにとっては計画が狂う要因になるわけだね。で、その『げーむ』とやらの筋書きでも、次の行き先はルシアネッサなのかな」
勇は気まずそうに視線を落とす。
「すみません、俺そこまでやりこんでなくて……次どんなふうに動けばいいのかは知らないんです」
「ああ、気を落とさないで。君たちがユウタの妨害をしてくれたことで筋書きは狂っているはずだろう? この世界はきっと、君が思う『げーむ』の物語とはズレてきているはずだよ」
それにしても私たちが暮らすこの世界が、異世界では『物語』の中のお話だなんてね、とグラナードは笑った。