「しっ……かしよぉお!」
王都へと帰る道すがら、アドラが大きくため息をつく。
「なんだよあの村人の態度は! こちとら一生懸命戦ったってのによ」
マルタンが魔物の姿に戻った瞬間、ひそひそと侮辱するような言葉を言う人間がいた。子供を救ったという事実があってなお、その深い偏見は拭えない。善い行いをしたとしても、彼らの目にはマルタンが人間に害をなす『モンスター』に見えていたのだろう。
「仕方ないよ、あの人たちはきっとマルが怖いんだ」
「マル……」
釈然としないという顔で、アドラはマルタンを見つめた。
「マルはさ、こんな良いやつなのに」
勇も、アドラの言葉に首がもげんという勢いで頷く。その様子をクラウスはニコニコと見つめていた。マルタンは小さく笑うと、そんなことないよ、と答える。
「そう思ってくれてるならうれしいけど……あのね、人も魔物も、『よくわかんないもの』って怖いんじゃないかな」
「よくわかんないもの?」
「そう、敵であるかも味方であるかも強いかも弱いかも。よくわかんない、だから、とりあえず避ける。そういう考え方、わかんなくもないよ」
弱い人ほど、『よくわかんないもの』を怖がるんじゃないかな、とマルタンは続けた。
「一理ありますね」
「強い人はさ、『よくわかんないもの』が相手になったとしても自分が強ければねじ伏せることもできる。でも、弱い人は『よくわかんないもの』が本当に脅威だったとき、やられちゃうかもしれないもんね」
だからね、とマルタンは薄暗い空を見た。
「マルは、きっとあの人たちにとって、『よくわかんない』し、もともと王国側から『魔族は悪いもの』って教えられて生きてきたから、『よくわかんない悪いもの』なんだよ」
傘もない中、それぞれボロ布を被って、しとしとと降りしきる雨の中を歩く。雨粒が、マルタンの頬をつるんと滑って落ちた。
「へぷっ」
「寒くなってきたね」
マルタンの小さなくしゃみを聞いて、勇は自分の纏っていたマントをそっとかけてやった。はじめに出会ったときのように、雨を凌げるような場所もない。とにかく歩くしかない、と歩みを進める一行に、泥を踏む蹄の音が聞こえてきた。
「誰か、こっちに向かってきてる」
その音にいち早く気づいたのはマルタンだった。変化を解いたアドラは、背の翼を広げて舞い上がる。
「あいつだ、パレードの先頭にいた……」
「グラナードさん?」
降りてきたアドラに、マルタンが言葉をつなげた。
「うん、馬があいつの馬だからわかった。黒い奴」
こういう時アドラは目がよくて助かりますね、なんてのんきに言っているクラウスの眼鏡をアドラはつつく。
「あんたはドがつく近眼だもんな」
「まあ、水中では別に見えなくても問題ないから……」
「それより、なんでグラナードさんが」
激しく大きくなっていく蹄の音に、マルタンが首を傾げた。少し離れたところで、音が緩やかになっていく。やはり、グラナードはこちらに用があるようだ。
「お疲れ様」
馬上から、のんびりとした声が降ってくる。黒馬に跨がっていたのは、近衛部隊の衣装ではなく、胸元に編み上げの紐がついたゆるい貫頭衣に綿のパンツを纏ったグラナードだった。雨避けに被っていた頭巾を脱ぐと、ゆるいウェーブがかかった髪がふわっと広がる。
「あ……」
前に会った時と違う格好だったので一瞬驚いた顔を見せた勇に、笑いかけ、グラナードは泥が跳ねないように馬上からゆっくりと降りた。
「あれ? 私だってわかる? グラナードだよ」
「すみません、少し印象が違ったので」
「驚いた? 前にも驚かせてしまったし、なんだかすまないね。お忍びだからね、この格好にした」
村人に擬態するような服装をしていても、馬が立派なのであまり忍べていない、という言葉を飲み込み、勇は馬を見遣った。
「馬? この子は爆速丸」
馬の顎を撫でながら、グラナードは微笑む。
「あの勇者殿が伝書ハヤブサを飛ばしてきたんだけどね、君たちなんかやったの?」
グラナードは順繰りに四人の顔を見る。
「……イサミくん以外、人間じゃない……よね?」
完全に元の姿に戻っていたマルタンとアドラは当然として、クラウスが人ではないとぴたりと言い当てる。クラウスは喉の奥で笑い、答えた。
「はい、僕はクラーケ種の魔物です」
「やっぱり、ちょっと匂いが違うなと思ったんだよね」
王都にいるときからなんとなく違うとは思ってたけど。と付け足すと、グラナードは頭巾を被りなおす。
「まあ立ち話もなんだし、この獣道を抜けた先に小さい小屋があるんだ。少し歩くけどそこで雨宿りをしないかい」
不安げな表情を見せたアドラに、クラウスはそっと耳打ちをする。
「大丈夫、王都にいるときからおそらく僕の正体に気づいていたようです。なにもしてこないところを見ると、僕たちを討伐対象とみなしてはいないですよ、きっと」
「……それもそうだな」
四人は、馬に乗るかと聞かれたが爆速丸が可哀想と断り、先頭をぱかぱかといくグラナードに小走りで着いていった。やや歩いた先にはグラナードの言う通り、小さな木こり小屋があった。屋根のある軒先に馬を繋ぐと、グラナードは戸を開け、すっかり暗くなっていたのでランプに火を入れる。
「ちょっと埃っぽいけど許してほしい。そこら辺の椅子に適当にかけて」
言いかけて、グラナードは戸棚からタオルを取り出す。
「人数分ないから申し訳ないけど回して使ってね」
「ありがとうございます」
お茶もなにも出せないんだけど適当にくつろいで、なんていうグラナードに、勇はさっそく尋ねた。
「あの、伝書ハヤブサって……」
「あれ、知らない?」
「こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど、俺はこの世界の人間ではないので」
グラナードは、うんうんと頷くとにっこり笑った。
「なんかそんな気はしてた。なるほどね、知らないわけだ。伝書ハヤブサってのは、報告書を持たせたり蓄音魔法をかけたりして情報を伝えるのによく使う鳥だよ。急がない時はスズメとか鳩も使うけど、ハヤブサは緊急時に速くて重宝するんだ」
勇者殿はハヤブサを呼ぶ笛を王からもらっているから、それで使い放題なわけだね、というグラナードに、マルタンは身を乗り出す。
「一体、どんなことを報告されたんですか?」
ここへ来る道中で軽い自己紹介を済ませていた三人にグラナードは視線を移す。
「エニレヨに魔族が現れた、と。バイパー、及びリザードゾンビはその魔族により手引きされたものと考えられる」
「え!?」
マルタンは思わず声を上げた。グラナードは人差し指を唇に当てると、まだ続きがあるよ、と小首をかしげる。
「村のこどもがそのバイパーに襲われる事案が発生、エビルシルキーマウスが子供を助けたが、マッチポンプと考えられる」
「まっち、ぽ……?」
「自作自演……」
勇が呟くと、マルタンはさぁっと顔を青ざめさせた。
「そんな……」
「っおい! ふざけんなよ」
がたんと音を立て、アドラが立ちあがる。
「アドラ、彼が言っているわけではありませんよ」
「わかって……るけど」
悪い、と小さく謝罪し、アドラは椅子に腰かけ、そして項垂れた。
「その様子だと、やっぱり虚偽報告みたいだね」
グラナードは立ち上がり、暖炉に薪を放り込むとマッチ箱に手を伸ばす。湿気ていたようで、うまく火がつかずに何度も箱にマッチをこすりつける様子を見て、アドラは暖炉のそばへ行った。
「ちょっと失礼」
自分の手のひらに、ふう、と息を吹きかけ、小さな火を浮かべる。それを優しく暖炉の中の薪へ乗せると、薪はぱちぱちと音を立てて燃え始めた。
「ありがとう、これで暖がとれる」
アドラの目を見て、グラナードは笑った。アドラは、暖炉の火に照らされて柘榴石のように光る瞳に、目を奪われる。
「……役に立てたならよかった」
「うん」
グラナードは暖炉に背を向けて立つと、四人に向き直る。
「安心してほしい。私は、君たちのことを悪く思ってないよ」
手のひらで勇を指し示し、続けた。
「実は、初めにイサミくんと接触したときから、彼はこの世界の人ではないだろうと匂いでうすうす勘づいていたんだ」
「僕のことも匂いで、と言いましたね」
クラウスが問うと、グラナードはふいと視線を逸らした。
「うん。匂い。勘のこと」
君からは海の匂いが少ししたよ、というグラナードの言葉に、マルタンはすんすんと鼻を鳴らす。
「驚いた。完全に消したつもりだったのに」
「何事も完璧というのは難しいね」
そしてグラナードは皆が着いているテーブルへゆっくりと歩み寄ると、テーブルに片手をついて、マルタンの顔をのぞき込む。
「単刀直入にいうよ。私は、近衛部隊隊長ではあるけど、勇者殿には疑念を持っている」
上体を起こすと、グラナードは小さく肩を竦めた。
「今回の伝書ハヤブサが決定打だ。だって、おかしいでしょう」
ぱち、と暖炉の薪がはじける音が大きく響いた。
「私が差し向けた君たちを――自作自演の魔族呼ばわりだなんて」
その目には、怒りが滲んでいた。柔らかな風貌に似つかわしくない瞳に、勇の背筋をぞくりと何かが走る。
「私は民が無事であることを望み、この国の、延いてはこの世界の安寧を願っている。勇者殿が来てから、不自然なことが多いと思っていたのだけれど……」
いよいよきな臭くなってきたな、と吐き捨てるようにつぶやくグラナードは、あの騎士隊長様のイメージとはまるで別人だった。