「わたしはあなたと戦う気はありません」
マルタンは剣の切っ先に動じる様子を見せないよう、気丈にそう告げた。マルタンの圧に、ユウタが一瞬怯む。
「ちょっとユウタ、でっかいねずみ君を倒す必要もうなくない?」
フレイアの言葉に、ユウタが否定の声を大きくする。
「いいや、魔族は残らず倒せとの王のお達しだ!」
「変なとこ真面目なんだから……」
残らずなんて倒せるわけないじゃんそんなの言葉のアヤ? ってやつじゃん、と言いながら、フレイアはユウタのマントの裾を引っ張る。それを、ネージュは静観していた。瞳は、凪いだまま。マルタンの方は、爪を出さずに静かにユウタの剣を見つめている。どのように動いたとしても避けられるよう、いざというときはバリアで防ぐためにタイミングをはかっている。
(――来る)
ユウタの剣が、わずかに引かれて振りかぶる動きへと移る、その直前だった。稲光が、マルタンとユウタの間に一つ、地と垂直に走った。前兆となる音もなく、突如として眩しい光の柱が生じたことに、ユウタは剣を取り落としてうしろへ飛びのく。ガシャン、と派手な音が響いた。
「今のは……」
マルタンは、その光から気配を感じた。稲光は鋭さを消し、ふわふわと龍の形をとる。村人の中から、腰が90度に曲がった老婆が震える声で言った。
「龍神様じゃ……龍神様がお怒りじゃ……」
「おばあちゃん?」
孫と思しき若い娘が、杖にしがみつくようにして立っている老婆に聞き返す。
「殺生を働こうとした罰じゃ、やめておけ、お若いの……魔物だろうが、命を粗末にすることは龍神様が許さぬ」
しんと静まり返った村に、老婆の声が弱弱しく伝わる。
「いいえ、皆さまを守るため必要なこと」
落とした剣を拾おうと、ユウタが手を伸ばす。すると、次は剣に直接光が満ちて、剣の先端が欠けてしまった。どこからか、重々しい声が響く。
『これ以上は、わしが許さぬ。疾く、去れ。この常春の村エニレヨは貴様を歓迎しない』
光の中から、二つの桜色の瞳がユウタを睨んでいる。
「誰だか知らないが、この僕に指図するつもりか? 王命を受けて人々を救う大命を背負うこの勇者に!」
光は、低く笑った。
『人間風情が片腹痛い。柱であるわしへのその尊大な態度、覚えておこう』
マルタンはやり取りを目にしながら、ケラスィヤの名を呼ぶべきではないと判断し、黙っていた。わなわなと震えているユウタに、『声』は再度警告を与える。
『次は貴様の身体に目掛けて撃つ。去れ』
パァン、と音を立てて、ユウタのつま先3センチほどの場所に小さな雷が放たれた。悔し気に奥歯を食いしばり顔を歪めると、ユウタはマルタンを通り過ぎる様にして村を出ていった。それに、フレイアとネージュが続く。村人たちが勇者が逃げただとか、魔物がいるのに誰も殺さないだとか、龍神様がどうのとどよめき始める。
ほっと胸をなでおろしていると、
『マルタン、聞こえるか』
マルタンの耳に、直接あの柔らかな少女の声が響く。ケラスィヤだ。音で会話しているのではないと気づき、マルタンは心の中で返答する。
(聞こえます)
『声に出さぬ方がいいと判断してくれてありがとう。おぬしたちに柱の居場所を伝えよう』
ぴくん、とマルタンの耳が動く。
『ここからであれば、一番近いのは南の柱だ。ルシアネッサという町は知っておるか』
一人で頷いたり首を傾げたりしているマルタンを見て、勇とアドラは顔を見合わせる。クラウスは、何が起きているかをなんとなく察して、二人にこっそりと耳打ちをした。
『頼んだぞ、マルタンよ』
どうか無事でな、という優しい声を最後に、ケラスィヤの声は届かなくなった。とことこ、とマルタンが三人に駆け寄る。
「みんな怪我はない?」
一番深手を負ったのは自分なのに、ふわふわ笑いながらそんな風に訪ねてくるマルタンに、勇は抱き着く。
「マルタンこそ! ここからでもわかったよ、怪我したのはマルタンじゃないか」
「ネージュさんが治してくれたから大丈夫、全然痛くないよ」
ほら、と腕を上げて、マルタンはすっかりきれいになった脇腹を見せてくる。
「それならいいけど……無茶するんだから」
「イサミさんには言われたくないな」
「あっ」
顔を見合わせて、笑う。騒動が収まって、村人がこちらへ視線を向けていることに気づいた。
「……これ、あんまりよくない空気?」
マルタンが、じろじろとこちらを見ている大人たちを横目に見て、勇に尋ねる。
「そんな気がするね……」
ざわめきの中に、「魔物だ」「ただのネズミじゃない?」「でも子供を助けたらしい」と聞こえる。各々が好き勝手にしゃべっている状況に、クラウスは小さくため息をつく。
「僕の色々なあれそれで誤魔化せる域は超えましたねこれは」
「なんだよあれそれって」
アドラのあきれた声色に、クラウスは流し目をして見せる。
「あー、はいはい」
よくこんなもんに引っかかるやつがいるよな、とぼやくアドラ。そうこうしている間に、村長が屋敷から出てくるのが見えた。
「あ。村長さん」
マルタンは何も疑わずにそちらを見る。村長は、ゆるく首を横に振った。マルタンの表情が、落胆に沈む。
「すまんがね、うちの村としては魔族を滞在させるわけにはいかん……」
怯えるような顔をしている村人を見遣り、村長は続ける。
「敵意がないのはわかっているがね、怖がっている者がいるのでな」
こどもが叫ぶ。
「でも、ねずみちゃん助けてくれたんだよ!」
被るようにして、中年男性の声が上がった。
「味方のふりをして襲ってくる悪いやつもいるんだ、信じるな」
わあわあと意見が飛び交う。それを見て、マルタンは頷いた。
「……わたしたちがここを去れば、丸く収まる話ですよね?」
残っても去っても村人たちが言い争いになるのはわかるが、争いの種がいない方が鎮火は早いと判断し、それならばとマルタンは村長に会釈をした。
「お宿、貸してくれてありがとうございました。すぐに復興は難しいかもしれませんが、物資の支援は継続されると思うので皆さんどうかお元気で……」
暮れていく陽を背に受けて、マルタンの絹毛がきらきら光る。その背を最後まで見ていたのは、村長とこどもだけだった。